40.隠れたるより現るるはなし2
「……そうだよな。俺が贈った髪飾りも、してないもんな」
「え……?」
ぼそりと自分にだけ言い聞かせるように呟いたルーベルは、わけもわからずにこちらを伺うフィアリルに苛立ちを覚えた。
(―――否定、しないのかよ)
きょとんとこちらを見る金茶に、今すぐめちゃくちゃに抱いてやりたい衝動に駆られる。
そうしたら、彼女にこの山茶花の髪飾りを贈った男の記憶を、彼女の中から追い出せやしないだろうか。
「―――もう、いいや」
ぜんぶが、バカバカしくなってしまった。
ルーベルがどれだけ気持ちをこらえようと、期待しようと、フィアリルにはもうほかの男が居るのだ。
それなら―――彼女の心をそいつに奪われるのなら―――彼女の一番傍のこの位置は、誰にも渡してやるものか。
たとえ、嘘でも、もうフィアリルは、ルーベルに「好き」だと言ったのだ。
ざまあみろ
「フィアリルは俺の奥さんだから―――」
フィアリルを守ると言っておきながら―――これではあの王太子と何も変わらない、とルーベルは思った。
思っても、意志を覆す気はさらさら起こらない。
そんな自分が、吐き気がするほど嫌だ。
「―――だから、君がどんなに嫌だと言っても、君は俺と、一緒に行くんだ」
そう言いおいて、フィアリルを抱き上げた。
一瞬呆気にとられたような、何が起こっているのかを分かっていないような顔でフィアリルがこちらを見る。
そのことに、ルーベルの苛立ちがさらに募る。
「る、ルーベル……! お、下ろして!」
顔を真っ赤にしてルーベルを押しのけるフィアリルを無視して、横抱きのまま更にきつく抱きしめた。
「―――っ!」
フィアリルが声にならない悲鳴を上げる。
(そんなに、俺がいやか―――!)
フィアリルが涙目でルーベルを睨む。
苛立ちが収まらないまま、逃走経路を突き進む。
先ほど牢の窓から見えていた庭にさしかかる。
そこは混乱の最中にあった。
意識のない女性の体を、男の人が必死でゆすっている。
「寿命はあと五日以上、あるのではなかったのか。別れの挨拶をすることくらい―――わしの気持ちを伝える機会くらい、望めると、ばかり……」
その腕の中でぐったりとしている女性の顔は真っ青で、まるで死人のようだった。
(あれは―――)
ルーベルはその症状に見覚えがあった。
自分の祖父と同じ、突然意識を失くして倒れる病気。
―――そういえば。
あの時―――ルーベルの祖父がまさに生死の境を彷徨った日。
たしかルーベルは、一人の医師に応急処置の方法を教わった。
―――これをやるのとやらないのとでは大違いなんだよ! まずはこうやって手を組んで。胸の、ちょうど心臓がある部分を力いっぱい押すんだ。……そうそう。上手じゃないか。それから、周りをよく見て、魔法使いを探すんだ。電魔法と、回復魔法の使える者をね。
抱きかかえたフィアリルを見る。
「……フィアリル、電魔法、使えたよね」
「う、うん」
先ほどのやり取りの気まずさから、冷たい口調が抜けない。
こんなことも我慢できないほどに、ルーベルには余裕がない。
「ヴィー、回復魔法、使える?」
「竜の加護の範囲外だからね。通常魔法でいいなら」
「ああ。それでかまわない」
その返事を聞いて、ルーベルは男性のもとに進み出た。
「ちょっと失礼しますよー」
「ちょ、な、貴様は……! なぜここに居るのだ!」
「早くどいて。命がかかってる」
ルーベルがすごむと、その男性は、怒った顔を、不意に縋るようなものに変えた。
「意識が、戻るのか」
確約はできなかった。
男性の問いに答えず、ルーベルは昔教わった通りに手を組んで、女性の心臓部を手のひらで規則的に圧迫する。
その場に居た身なりのいい人間たちは、その様子を見て一様に眉をひそめた。
当然だ。
女性の―――それに衣装を見る限りかなり尊い身分の存在に手を触れている。
普通であれば許されるはずはない。
「フィアリル、電魔法をおねがい」
「うん」
じゃき、と音がした。
ルーベルとフィアリルの後ろで兵が剣を構えている。
間合いは詰められた。
この女性の身に万が一があったら、ルーベルの首は間違いなく胴体と泣き別れである。
「微細な電流を流す魔法」
フィアリルが唱えるのに合わせて、目の覚めるような光が一瞬あたりを包む。
どん、と女性の体が少し浮き上がった。
ルーベルは、彼女の頭に何本も、きつく結わえ巻かれた簪を引き抜く。
そしてまた、心臓の圧迫を再開した。
「ふっ―――、けほっ……―――」
応急処置が功を奏したのか、女性はやがて咳き込んで、自発呼吸を始める。
すかさず、ヴィンテルに回復魔法をかけてもらう。
水色の光があたり一帯を包んだ。
それは大きく膨れ上がり、ある一定の大きさまで行ってから、ゆっくりとしぼみ始める。
やがて光が完全に消え、その中央に眠る女性がそっと目を開けた。
「シュテルナ! シュテルナ!」
呆然とルーベルたちを見ていた男性が、女性のもとに駆けよった。
女性に向ける顔は、ひどく優しい。
その女性が男性を見る瞳にも、同じ熱が宿っていた。
「よ―――よかったぁ……」
ずっと気を張り詰め続けていたルーベルは、緊張が解けた瞬間その場に座り込んだ。
あとは、王宮にいるだろう医者に任せておけば、適切な処置をしてくれるはずだ。
「―――おまえは一体、何者だ。リー家の娘と親しいのか」
気づくと、先ほどの男性がこちらを見ていた。
『リー家の娘』という単語にルーベルの警戒心は極限まで引き上がる。
「千歳草でさえ、これ以上は伸ばせぬと……」
「ああ―――そういう……」
しかしそれに続く言葉を聞いて、ルーベルの胸にほんの少しの安堵が芽生える。
(よかった……親しいのか―――なんて聞くから、そういうことかと思った)
ちらりとフィアリルを見る。
そしてルーベルは愕然とした。
フィアリルがその男を見る瞳に、これ以上ないほどの温かみが籠っているように見えたから。
「な、んで……」
―――俺にはそんな目、一度だって―――
(でも、そうか。―――そうだよな)
男の方がそう思っていないとしても、フィアリルがどうかなんて、わからない。
わからないままでいればよかった。
「千歳草の花弁だけは一回しか使えない。賢者のおじいさんはそう言ってたよ。でも、今の発作は寿命じゃない。心臓が動いてなかった。重たい簪に窮屈な服、寿命が近いものに無理をさせ過ぎだ」
揺れた心をできる限り押し隠しながらルーベルは言った。
男は目を見開いて固まる。
千歳草をこの王宮が所望したのはこういうわけだったのか、とルーベルは思い出していた。
この女性をこの催しに参加させるために寿命を延ばしたかったのだ。
寿命はあと五日以上あるのではなかったのか―――そう男は言った。
その寿命を告げたのは賢者のおじいさんのはずだ。
おじいさんがその計算を、間違えることは絶対にない。
気が狂いそうなほど何度も、何度も何度も計算を確認して、それはようやく伝えられるのだから。
残り時間を間違えないこと―――それが賢者足りうる者の一番の資格であるとおじいさんは言った。
「寿命があるのに死にそう―――ってことはむしろ、もう一度千歳草を使うんじゃダメなのかもね。だって、道の途中で転んでるのに、道を長くしたって意味ないじゃん」
「……」
「俺は、医者なら誰でも知ってる応急処置をしただけだ。ほかには何も」
「……礼を申し上げる。本当に、ありがとう」
「これで、フィアリル追っかけるのやめてもらえる? 俺気づいちゃったんだけど、フィアリルが逃げてんのって、そこの女の人の魂の器にされそうになったから……とかでしょ?」
千歳草の花弁の二度目の使用による効能は、「魂の移し替え」だ。
それは、寿命の長さなど関係がない。生き帰りの法である。
それには、その人物と同じような背丈で、同じ性別、そして互いの魔力の親和性の高い器が必要となる。
(―――フィアリル、ごめん。ごめんな。ここを出たら―――)
―――ここを出たら、俺はすぐに離れるから。
心の内で必死に詫びる。
けれど、この男にだけは―――フィアリルを器としてしか見ていない男にだけは絶対に、ルーベルの方から直々にフィアリルを任せるなんて、嫌だった。




