37.見守るだけの2
千歳草は本物のようだった。
誰が持ってきたのか、とリー家の娘に問われたが、わざわざ教えることでもないだろうと思ったので、賢者の使いを名乗る男だと答えておいた。
千歳草の調合はフィアリルにやらせよ――そう賢者は言った。リー家の娘の魔力はシュテルナの持つ魔力と非常に親和性が高いのだという。
この際、シュテルナが動けるようになるのであれば問題はない。
やり方もわかると言うし、任せていいだろう。
捕らえた男は王宮のはずれの塔牢に入れた。クマのような図体の男だった。兵たちが眠っているところを運んでいたが、ずいぶん大変そうだった―――あれは、背が高く筋肉質であるということが一番の原因であるように見える。広い肩幅とごつい鎧のせいで特にそう思えるのだろう。
報告によれば、まだ眠草の効能で眠っているらしい。なにぶん体の大きな男だったので、入れる量も多めだったのだ。
あの男は、モーネの戴冠を見届けた後で処遇を考えればよいだろう。
この数日で王太子モーネも無事に帰還した。シュテルナの容体が回復に向かえば戴冠式が執り行える。
フィエーダは城の者に戴冠式の準備を命じ、周辺諸国に手紙を出した。参加の返事が着々と届いている。どちらの経過も順調である。
「妖精王様、薬のご用意ができました」
後ろから声がして振り返ると、立っていたのはリー家の娘であった。
玉座の裏、今娘が立つ場所にある精霊界への入り口からは今日も、満開の花畑と、雄大にそびえたつ神樹が見える。
「そうか、では行こう」
「はい」
神樹の根元に一人の女が眠っている。
刻まれた深い皺、枯れ木のように細い手足、白く染まった髪。息はか細い。
おそらくもう長くはないだろう。
リー家の娘が、薄紅の透明な薬湯をゆっくりと女に飲ませた。
底のほうに、星屑のように煌めいて見えるのは、千歳草の花弁の粉末だ。
飲ませ終え、しばらく経つと、ここ何年も寝たきりだった女のまぶたがそっと持ち上がった。
「シュテルナ!」
「ここは……精霊界……? あら? フィエーダ様ではありませんか。と言うことはわたくし、ついに死んだのですか? でもまだモーネに王権の継承を済ませていないし、それにリー家のお嬢さんもいらっしゃいますわね??」
困惑のハテナを頭上にたくさん浮かべ、昔と何も変わらない穏やかな表情でシュテルナは微笑んだ。
その笑顔が懐かしくて懐かしくて、そしてそれを見られるのは今度こそあとわずかなのだと気づいて。
フィエーダの心の奥で、何かがきしむような音がする。
「女王陛下。今回、本来危篤だった陛下の体の寿命を千歳草で一時的に伸ばしております。お目覚めになったばかりで大変申し訳ありませんが、ことは一刻を争います。モーネ様の戴冠式のご準備を願います」
隣でリー家の娘が言った。
シュテルナは心得たように頷くと、娘に向かって一つ尋ねた。
「その伸ばした寿命というのは、いかほどなのかしら」
「賢者が言うには、もって、日が七度巡る間、だそうでございます」
「そう。わかったわ」
それだけ聞けば十分だと言うかのようにシュテルナはすっと立ち上がり、王宮へと戻り始める。寝たきりだったとは思えないほどにサクサクと動くシュテルナの足。
これも千歳草の効果なのだろうか。リー家の娘もフィエーダも、慌ててあとを追いかける。
シュテルナは玉座の間に着くなり、執事と女王付きだった侍女を呼びだし、明日戴冠式を執り行う旨を伝えた。やはり真の女王の手腕は違う。フィエーダのときはどこか不安げで半信半疑だった皆の顔が、今ではやる気に満ちている。
シュテルナを見ていると、フィエーダはいつも、人を動かす才能というものを突き付けられるのである。
***
そこは白い世界だった。
果てしなく続く、終わりのない白。
前を見ると、ひとりの女性の背が見えた。
それが誰なのかは一目でわかった。
ルーベルが贈った硝子牡丹の髪飾り。それに結わえられた琥珀色の髪が、日に透けて揺れ、風に舞う。
『フィアリル!!』
彼女の名前を叫んでも、その後ろ姿は振り向くことなく進んでいく。
彼女の向かう先は、花畑だった。
まるで宝石のように、夢の景色のように、きらきらと輝く満開の花畑。その先にあるのは天を衝くほどの大木。澄んだ空の下で葉を広げるその木の影で、その場所は一見陰っているようにすら見える。
その世界は、美しかった。
どうしようもなく、心惹かれるほどに。
そっちへ行ってはいけない。行かせてはいけないことだけを、なぜかルーベルは分かっていた。
そこが忌まわしい場所だから、ではない。
なんだか、もう二度と彼女が帰ってこないような、そんな気がしたから。
現実じゃ会えてすらいないっていうのに。わかっている。これは夢。
また、性懲りもなく手を伸ばす。
夢でも何でもいい。二度同じ過ちはしない。
今度は間違えない。
―――もしももう一度、君に会えたなら。
その時どうするか、ルーベルはもう決めている。
『フィアリル!!!!』
もう一度叫んで、そこで目が覚めた。
***
「―――は!!」
伸ばした手の先にあるのは、フィアリルではなく見慣れぬ天井であった。
周りには何も無い。冷たい石でできた床と壁。高い高い場所にたった一つだけある窓から光が差していて、今は昼だと教えてくれた。
「夢か……」
立ち上がろうとして転んだ。
足を見ると、つめたい枷をつけられて鎖につながれていた。
だんだん思い出してきた。賢者のおじいさんに頼まれてクルトゥーラの王宮に千歳草を届けに行ったら、身なりのいい男に待合室に通されて、お茶を振舞われて、それを口に含んだところまで。
状況を見る限り、あの茶に何か眠り薬のようなものが仕込まれていたのだろう。
(なるほど、ここは牢か)
隣を見るとヴィンテルがぐっすり眠りこけている。ゆすっても起きる気配がない。
その足にも枷がついていた。ベンヌは鳥の姿だったから、茶に口をつけてはいなかったはずだ。姿が見えないということは、ルーベルたちが気を失っている間に逃げることができたのかもしれない。
武器はなくなっている。
鎧も、持ってきた荷物も、千歳草も。
(だからヤダって言ったんだ……)
賢者のじいさんにそっと文句を言う。
クルトゥーラに入ったときから薄々嫌な予感はしていたのだ。
なにせ王が姿を見せないという噂が、町を歩いているだけで聞こうとしなくても聞こえてくる。
そんなことを市街で聞けてしまうような国が、ろくな状況であるはずがない。
おじいさんに頼まれた千歳草がそれに関連するものなのだろう。
そういう単純な事情くらいはなんとなくわかるが、だからと言って関わり合いになりたいわけじゃない。フィアリルの情報も得られはしなかったし、この国にこれ以上の用はなかった。
賊だと間違われたのであれば殺されているだろうが、男の様子を見るに、今思えば殺すつもりもないようだった気がする。
なぜ自分が生かされ牢につながれているのかは知らないが、これくらいの拘束であれば力づくで壊せそうだ。しばらく様子を見て、頃合いになったら逃げだそう。
窓のある位置は確かに高かった。が、登れないほどでもない。
鉄格子がはまっているからまずは外の様子を見てみよう。
そう思って石壁を上る。
「っほ、よっと……お? うわ、えげつねー場所……」
窓から見えたのは、遥か底まで黒々と口を開けて待ち構える谷であった。
崖に沿うように植わっている針葉樹がいかにも痛そうである。
そのまま視線を横に滑らせた。
見えるのは王宮だ。どうやらここは王宮の一番端にあるらしい。掲げられている旗にはどこかで見たような紋章が象られている。三足烏だ。
庭だろうか、少し開けた場所が見えた。そこを中心にして、まるでお祭りのように飾り付けが施されていて、たくさんの人が居るのが見えた。
「ふーむ」
どうやって逃げるべきか。
ひとまず地面に降り立ち、先ほどの王宮の様子を思い出しながら、ルーベルは逃げ出す算段を立て始めていた。




