36.見守るだけの1
「なに? 門に怪しげな者らが来ているだと」
はい、と早朝の空気のようにさっぱりとした返事を述べる兵をみやる。
報告を受けたフィエーダは、それを聞いて顔を顰めた。
今、王の容体は政務をするに十分であるとは言えないし、王太子は辺境の賊の討伐を宰相一派に命じられており不在だ。
妖精王はあくまでクルトゥーラと同盟関係にある内の一つの国の王でしかないから、内政を取り仕切るわけにはいかない。
こんなに些末な事柄でも、フィエーダの一存で衛兵の言う『怪しげな者』とやらを拘束することすらできないのである。
なんでも、その『怪しげな者』は、クマみたいな巨躯で、眼光鋭く、傍らには白い髪の少年を、肩には喋る美しい鳥を連れているとのことらしい。
まるで祭りが三ついっぺんに来たかのようなタイプの怪しさである。
こんなにいかにもな状況もそうないのではなかろうか。
「その男が言うには、『自分は賢者に言われて千歳草を持って来ただけだ』と……」
「賢者……? それに千歳草だと……? なぜそれを知っている者が王宮の外からやってくるのだ。これは王宮内のみの、それも一部の人間しか知らない秘密事であるはずだぞ。しかも、賢者へ連絡したのは昨晩のことだ。いくら何でも……」
「ですから、今こうして怪しいと申しているのでございます!」
フィエーダは不甲斐なさに歯噛みした。
どんなにこの国を愛しく思えども、干渉することはできない。
今でさえ、もうすでにその禁を侵しているかいないかのグレーゾーンなのに。
今フィエーダができることは、ここにあるべき王が据わるまで、その玉座を守ることだけ。
シュテルナが命を懸けて守り慈しむこの国を、フィエーダでは護ることができない。
それはどうしてもシュテルナの仕事なのだ。いくら宰相一派がその座を狙っても、シュテルナが生きている限りそれが不可能であるように。
このまま王が斃れても、また新しい王が即位し自分はまたその王と同盟を結ぶだけであろう。
それでも、まだ先立たれてしまっては困るのだ。
シュテルナが倒れてしばらく、政務は王太子モーネ・クルトゥーラが行っている。彼女の政務の腕は確かである。
しかし、その足元はまだ盤石とはいいがたい、脆弱なものだ。
シュテルナからの正式な継承を済ませていないからである。
モーネはシュテルナの実の子ではない。そもそも、この国の王位継承は血縁によって行われない。
現王が次代を選び、選ばれたものが王になる。そうしてこの国は継続してきた。
その公正さを確保するためにフィエーダは居る。継承を見守るためだけの同盟。
その対価として、クルトゥーラの王は、その死後、精霊界に眠ることとなる。王の亡骸は精霊界を守る結界となる。
そういう約束事なのだ。
だからまだ。
彼女の選んだ正当な王位継承者が次の王となるのを見届けるまで、シュテルナは死ぬことを許されない。
シュテルナの死により、反王太子派である宰相一派が何を仕掛けてくるかはわからないし、それによりモーネも死んで実権を悪臣に握られたりしたら最悪だ。
現に、王族が崩れそうな今になって、宰相の命で王太子は賊討伐に駆り出され、政治の権は宰相に移ろうとしている。
せめて、モーネにクルトゥーラの王の権を譲り渡す戴冠式を済ませるか、他の者に付け入らせないほどの固い約束事として、モーネの即位を大々的に発表してしまうか、どちらかが必要なのである。
―――ちょうど今年は千歳草が咲くでな。その花弁を適切に薬にし、服用すれば、王の寿命を多少なりとも伸ばせる。国政を安定させるためのあれこれを済ませるくらいの時間であればつくれるじゃろう。
昨晩、水盆の向こうで賢者が言った言葉を思い出した。
千歳草。
人間界と精霊界のはざま、斎湖に咲く花。
神獣を伴ってのみ行くことができる場所。それは妖精王とて例外ではない。
その花は、竜の熱をも冷まし、人間のちぎれた腕をも元通りに、定められた寿命すら伸ばしてしまうという。
―――千歳草で伸ばせる寿命は僅かじゃ。そして、もう一度その時が来ても、もう二度と目を覚ますことはない。もう一度を願うことすら禁忌。それを重々わかっても、使うんじゃな?
賢者には何度も念を押された。言われずともわかっている。
何を置いても、フィエーダは約束を守らねばならない。
そのためだけにフィエーダは居るのだから。
「そやつらは拘束して牢に放り込んでおけ。抵抗するようであれば、眠花か何かで眠らせろ。宰相派の手先かもしれない。情報を得られるかもしれぬから、殺すでない」
「心配せずとも、我々のような兵に殺される相手のようにはお見受けしかねます」
「そうか。では、くれぐれもそなたが死ぬようなことのないようにな。……それと、リー家の娘を精霊界から呼び戻せ。千歳草が本物か、見極めさせる」
はっ、とやはり元気の良い敬礼をして、兵は仕事に戻っていく。
それを見送りながら、きっとシュテルナではこうはしないのだろう、とフィエーダは思った。
のほほんとして見えて、存外あれは強い。王に相応しかった。
どんな不届き者も、怖がりもせずに御前に呼び立てて、のんびりと確実に情報をかすめ取る。
最後にはその者すらもその懐に引き入れてしまう。
そういう、やわらかい強さを持っていた。
それに比べて、自分のなんと臆病で、人望のないことか。
王を見守る存在ではあれど、その実ずっと、王よりも弱い。
「シュテルナ……。ふがいない友で、すまないな」
ぽつりとつぶやいた言葉は、がらんどうの広間に響いて消えた。




