34.千歳草3
星明りの下で、まるで海のように波は寄せ、返す。その湖は広大で、その中に小島のように、ぽつぽつと地面が露わになっている場所があった。
そのうちの一つに、周囲がぼんやりと光っているものがある。
「あれが千歳草のつぼみさ。今回はどうも、花が早く咲きそうだ」
肩に乗ったベンヌが教えてくれる。
「つぼみのときでも根はあるでしょ? それじゃダメなの?」
「ダメに決まってんだろバカクマ。千歳草の収穫は、花が咲いている時のみ。つぼみでも、花が閉じている時でもダメ。効能があるのが開花時だけなのさ」
「お、おう……」
罵倒は要らなかったのでは、とこっそり思ったが、口に出すとまた何か言われそうなので黙っておく。
「まあここまで来たら、あとは待つだけだ。近くまで連れて行ってやる」
「え?」
船もないのにどうやって、と問おうとしたとき、ルーベルの体がふわりと浮いた。
肩を見てみると、大きな鳥の足ががっちりと掴んでいる。
「えええ!?」
「ちっ、騒ぐんじゃねえバカクマ。ただでさえおまえ重いのによ」
「え!? え!? これベンヌ!? ベンヌさんなの!?」
「だから騒ぐなってんだろ、うっせーな! 落とすぞ!」
驚いているうちにつぼみの植わっている小島の一つに辿りつき、ぽいっと落とされた。
振り向くと、一瞬だけ、荘厳な翼を広げる不死鳥の姿が目に入ったような気がした。
けれどそれはすぐに元の小さな鳥の姿に変わってしまう。
「あんだよ、見せもんじゃねーぞ」
「あ、ううん、そうじゃなくてさ」
「じゃあなんだよ」
「ありがとうな、ベンヌ」
ベンヌはなぜか一瞬、虚を突かれたようにその目を瞬かせた。
しかしすぐに我に返って、また舌打ちをする。
「ちっ。……だからてめえはバカクマなんだ」
「なんで!?」
あまりに理不尽だ。少々泣きそうな気持ちになる。
「こっちばっか見てねえで、ちゃんと花見張ってろ。暇だけどな、間違っても寝るんじゃねーぞ」
「はい」
それも見越して、ルーベルはきちんと暇つぶしを持ってきたのだ。
バスケットに入れてきた毛糸と編針を取り出す。色は夜明け前の空の色、藍色。
「なんだ、それ」
「編み物だよ」
「んなことは見りゃわかんだよ。何つくってんだって聞いてんだ」
「おじいさんに靴下あげようと思って。伸縮性のいい毛糸なんだよ、ほら!」
ルーベルが嬉々として毛糸をみょんみょんとさせると、ベンヌは鬱陶しそうな顔をした。
「おまえ、見かけによらず器用なのな……。早すぎて手元見えねえんだけど」
編針を動かすルーベルを見て、ベンヌは若干引き気味に言った。
ヴィンテルといいベンヌといい、そんな顔しなくても、俺は編み物界隈では若輩者の方なんだが。俺の実家の近所のおばさんとか、これを二倍速にしたくらいの速さだった。アレはおかしい。
そう話すと、ベンヌはぼそっと、「人間じゃねえ……」と言っていた。人間です。
そうして黙々と靴下を編み続けること半日くらい。
二足分のもこもこ靴下が完成した。足を冷やさないようにすると病気をしにくいというし、まだまだ寒い。今回のお礼の意味も込めて贈ろう。
できたぞ、と言おうとして見ると、ベンヌはルーベルの肩の上で眠っていた。
ブランケットの端を丸め、起こさぬように慎重に、そこにベンヌを寝かせる。ルーベルの体温でも残っていたのか、少し温かくなっている場所にベンヌは頭をこすりつけている。
「ベンヌにも何か作ってやりたいな……」
先ほどの伸縮性のある毛糸がまだ少し残っている。さっきみたいに姿を変化させたとき、翼や胴体に身に着けるようなものだとすぐに使えなくなってしまうだろう。
どうせなら長く使えるものにしたい。
「レッグウォーマー……とか、どうだ……?」
どちらの姿でも、窮屈だったり逆にぶかぶかすぎたりしないようにして、飛びづらくなったら困るから重たくならないようにして、と一人でぶつぶつ呟きながら、必要な編み目を計算していく。
毛糸は元の分の半分ほどに割き、細い編針を使ってできるだけ細かい編み目にする。
どうせなら驚かせたいので、編むのはベンヌが寝ている間にしよう。
ベンヌが起きている間は、いろいろ悪態をつきながらも話に付き合ってくれるので、それが楽しかったのもある。
そうして待つうちに、千歳草のつぼみはだんだんふっくらとふくれ、周囲の光も強まってきた。
眠くて何度も意識を失いそうになったがなんとか持ちこたえた。その都度ベンヌにつつかれたおかげである。
「今夜あたり咲くだろう。咲いたら持ってきたスコップで根元からすくって、その鉢植えに移し替えるんだぜ」
絶対に引っこ抜こうとするなよ、と何度も念を押された。
引っこ抜いたらどうなるのか、と聞くと、それは知らねえと言われた。怖いのでやらない。
やがて湖の端に光が差し、ルーベルがここに来て二度目の夜明けを迎えるころ、その瞬間はやって来た。
湖が反射した白い光に照らされて、千歳草は咲いた。
それはそれは美しい花だった。光の粒子を八重に咲き誇る花弁に纏い、しゃらりという音すら立てそうなほどの神々しさ。
その様子に、ルーベルは思わず息をのむ。
「ほら、さっさとしろ。ぼけっとしてるとすぐ閉じちまうぞ」
「う、うん」
ベンヌに急かされ、おそるおそる花の根元を円形にくりぬく。まわりの土を入れておいた鉢にそれを植え、上から少し土をかぶせた。
「おし、上出来だ。そんじゃその鉢、落とすんじゃねえぞ」
そう言って、ベンヌはまたルーベルを掴んで湖の岸まで運んでくれた。
「ありがとう。今もだし、連れてきてくれたのも。ベンヌの話聞くのも、楽しかった」
「…………」
礼を述べるのを、ベンヌは黙って聞いていた。
ルーベルは夜通し編んでいたレッグウォーマーを取り出す。
「あのさ、これ。作ったんだ。足に巻くやつ。お礼と言ってはなんだけど……」
「おいらにか?」
「うん」
「ちっ」
舌打ちをするので、気に入らなかったかと慌てて引っ込めようとすると、それを遮るようなタイミングでベンヌが、びっと足を出す。
「着けるの?」
「そのために作ってくれたんだろうが。違うんか?」
「!!」
ルーベルはベンヌの足にレッグウォーマーを巻いてやった。
しばらくの間、ベンヌはじっとそれを眺めていた。ちょっとだけ優しげな目が、喜んでくれているみたいで、ルーベルは勝手に嬉しくなる。
「帰んぞ」
ベンヌはルーベルの頭の上にでんと乗った。帰りはそちらにするらしい。ちょっとは信用してもらえたんだろうか。
「さっさと歩け、バカクマ」
……そんなことはなかった。
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