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33.千歳草2


「あの、ありがとうございます。ヴィーを休ませてくれて。俺、何もしてやれなくて……」

「ふぉふぉふぉ、案ずるな。おぬしも長旅じゃったろう。ブリンゲバールから徒歩でともなればのう。ゆっくり休んでいかれい」


 ヴィンテルによれば賢者だというそのおじいさんは、家に招き入れてヴィンテルを寝かせ、あたたかい飲み物を出してくれた。

 こんなのほほんとした優しそうな人が、かつて大陸一を謳われた策略家、賢者であるなど、にわかには信じがたい。


 まあ人は見かけによらないというし、ヴィンテルが賢者だと言うのならそうなのだろう。


 ルーベルが特に疑うこともなく、礼を言って用意された飲み物に手を付けると、よっこいしょ、とおじいさんは椅子に座りなおした。


「さて、お若いの。まずは自己紹介といこうじゃあないか。わしはヴィトと申すもの。ヴィーと名が被っておるのがちと困りものでの。まあ適当に、じいさんだのなんだのと呼んでもらえばよい。ヴィーとは昔馴染みでの」

「あー、じゃ、おじいさんで。俺は、ルーベル・アウストラリスです。訳あって、ヴィーと旅してます」


 うんうん、と相槌を打っているおじいさんに、ルーベルはとりあえず気になっていることを聞くことにする。


「それでその、賢者のおじいさんに聞きたいんですが、ヴィーのこれは何という病なんでしょう」


 聞くと、おじいさんは、ふむ、と言ってヴィンテルの様子を眺め、険しい顔をして言った。


「これは『竜熱』というものじゃな。高く持続性のある発熱と、鱗部分に現れる発疹。間違いないじゃろう。移る病ではないから、そこは安心せい」

「一体何が原因で……」

「冬竜は寒冷な地域を縄張りとする竜じゃからの。この辺りは東諸国シェールレクスグードが近い。竜は種類によって適した気候があるからのう。ヴィンテルにとっては、こちらの比較的暖かい気候が毒になったんじゃろうて」

「もしかしてそれって、俺がヴィーを無理にこっちに連れてきたからじゃ……」


 もともとはセレリス・フォレストに行くはずだったのが、ルーベルの我儘に付き合わせたせいで東諸国に出向くはめになったのだ。

 となるとその元凶は紛れもなく俺である。


「ご、ごめん、ヴィー……無理させて……」

「ルーベルが責任を感じることではないわい。二千歳にもなって己の体調管理の一つもできないヴィンテルが悪いんじゃ」


 そうは言っても、ごめんなさい、と謝りながら苦しそうに呼吸するヴィンテルが心配で仕方ない。

 ヴィンテルの額に乗った濡れ布巾に触れると、まだ取り換えて少しの時間しか経っていないのにじっとりと熱くなっていた。

 冷たい水に浸して絞り、顔や首のまわりを軽く拭いてやるとヴィンテルは心地よさそうに息をつく。


 そのしんどそうな様子に不安がこみ上げる。


「おじいさん、この熱、下がるんですよね……?」

「うむ。幸いにも、今年は千歳草ヴァッテンリリャが咲く年じゃ。その根をすりつぶして飲ませればすぐに良くなろう」


 聞き覚えのある単語が出て来て、ルーベルは驚く。


「それって、あるはずなのにない、変な湖のほとりにしか咲かないんじゃ……」


 ルーベルがおそるおそる尋ねると、おじいさんは、ほう、と言って白い顎髭をさすった。


「その話を知っておったか」

「ちょうどここに来る前、町の人に聞いて……」

「ふむ」

「あの、そんな場所に行くことなんてできるんですか?」


 おじいさんは、ぱちりと目を瞬き、次に朗らかにふぉっふぉっふぉと笑った。


「大丈夫じゃ。その湖は斎湖うみと言ってな。精霊の住処なんじゃ。神獣がともにおれば問題あるまいよ」

「じゃあ俺、花を見張りに行きます。その斎湖うみ? ってやつも、気になるし」

「おお、それは助かるのぉ。昔ならわしが行くんじゃが、なにぶん年を取ったからのう。あちこち痛いし、寒い中寝ると目を覚ませなくなりそうなんじゃ」


 笑いづらい。


 それは困りましたね、とか何とか言うべきだろうか。てかこのおじいさん一体いくつなんだ。

 ルーベルが首をひねってうなっている中、おじいさんはバスケットにひょいひょいとものを入れていく。外は冷えるからと、ブランケットとランプと、パンとバターと、熱いお茶の入った魔法瓶。


「そういえば、斎湖うみに行くには神獣が一緒に居なくちゃいけないんですよね。神獣って……」

「ヴィンテルのような、神話の時代から大陸におるような獣のことじゃよ」


 だが今ヴィンテルを一緒に連れて行くわけにはいかない。

 そう思ったのがわかったのか、おじいさんはバスケットをルーベルに渡しながら言った。


「今回は、この鳥を連れて行きなさい」


 おじいさんが指笛を拭くと、どこからか、一羽の小鳥が滑らかに……いや、たどたどしく、飛んで来た。

 その翼は炎のような金と赤で、まんまるの瞳はどことなくふてぶてしい。目だけでなく体もまんまるで、なんだかぽってりしている。


「なんだよこのクマ。じーさん知り合い?」


 そのくちばしから流暢な人語が飛び出てルーベルはびっくりする。


「この鳥は……?」

不死鳥ベンヌじゃよ。多少口が悪いが、許してやってくれ」


 多少どころではない口の悪さのように思えるのは俺だけだろうか。

 俺だけか。

 そっか。


「ベンヌよ、ルーベル殿を斎湖うみに連れて行ってやってはもらえぬか」

「え? 冗談キツイぞじいさん。おいらイヤだよ。数秒後には、おいら食われてそうな見た目じゃないか」

「いや俺、そんな物騒な見た目してる……? してるか……」


 最近あまり自分を怖がる人に出会わなかったので忘れていたが、自分は人に恐怖を与えやすい容貌をしているのだったか。

 そういえばさっきの茶屋の主人も最初おっかなびっくりという感じだった。


「案ずるでない。たしかに見た目は少々クマだが、あのヴィーが懐いた人間だぞ」


 おじいさん、それはフォローになるんでしょうか。


「えー? ヴィーが? ちっ、じゃ仕方ねーか」


 あ、なるんだ。喜べばいいのか、悲しめばいいのか。ひとまずヴィンテルに感謝しておくことにする。


「では、行って来ます。すみませんが、少しの間ヴィーをお願いします」

「いいんじゃ、いいんじゃ。おぬしも気をつけてな」


 おじいさんは湖までにある目印の位置をルーベルに教えてくれ、送り出してくれた。


 直前の道案内は、肩に乗ったベンヌがその都度教えてくれた。

 どう行ったのかは、すぐに忘れてしまって思い出せなかった。

 ルーベルの物覚えの悪さもあるのかもしれないが、それだけではないのだろう。その証拠に、ルーベルは、今通っている道を通る前に、右に曲がったのか左に曲がったのか、それともまっすぐ歩いていたのか、それすらも思い出せない。


 ただただ、ベンヌの教えに沿って進んでいった。すると、やがて視界がパッと開けた。


「着いたぞ」


 肩の上で、ベンヌが言った。

 どうやらここが、斎湖うみとやらであるようだ。



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