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31.妖精王の憂鬱


 妖精界の中心に根を下ろし、広く枝を伸ばす『神樹』。

 その根元に、咲き誇る花々とやわらかい苔に覆われた棺のような空間がある。


 そこに横たわる女の顔を、フィエーダはもう何年も、飽くことなく眺め続けていた。


『フィエーダ様、ここはまこと、うつくしい場所でございますね』


 もうずっと昔に、彼女はそう言って微笑んだ。

 彼女が笑うと、世界も一緒になって笑っているようだとフィエーダはいつも思っていた。


 女は神樹の上から眺める景色が好きだった。ここに来る日は決まって、上に連れて行ってくれと頼まれた。

 女が木の上で過ごすことができるのは、ほんの束の間の時間であったが、しまいには気に入りの本まで持ち込むようになって、時間の許す限りをそこで過ごしていたものだ。

 女とフィエーダの間には、短くも穏やかで満ち足りた時間が流れていた。


 それはフィエーダにとっては何よりも大切な時間であって、同時にいつまでも続くものだと信じてやまないものでもあった。


 いつか、ふと、問うてみたことがあった。


『そんなにここが気に入ったのなら、ずっとここに居ればよいのに』


 フィエーダが言うと、女は困ったような顔をして、できません、と言った。

 なぜだと問うと、これにも迷うことなく女は答えた。


『わたくしは、国の王でございますから』


―――


妖精王フィエーダ様、リー家の娘を連れてまいりました」


 なつかしさに引き留められていたフィエーダは、クルトゥーラの兵の声に諫めるような響きを感じてその目を開けた。

 視線の先には、いつかの親友とそっくりの顔をした一人の娘が、その親友そっくりの佇まいで立っていた。


「ああ、来たか、リー家の娘よ。今の『妖精姫』の名はフィアリルと言うんだったか」


 澄ましたような不機嫌そうな顔もよく似ている。


「今の名もなにも、わたしは生まれたときからフィアリルでございます」


 そうか、とフィエーダは適当に流した。リー家の娘はその世代によって、容姿や性格も少しずつ違っている。だが、根本的な性質は、何度代を経ようと何も変わらない。

 にこにこと人畜無害そうな顔をしたバカっぽい娘を演じておいて、その下ではどんな非道な決断もできる冷血漢が。


「シュテルナの病気が治らぬ。賢者の力を借りたい。連絡を取ってくれ」

「……まさか、それだけだったりします?」

「まさに、それだけだが?」

「なら、連絡をくれればよかったではないですか。わざわざこんな手荒な真似などせず。……わたしは、ルーベルにあんなにひどいことする羽目になったのに。唯一ルーベルを思い出せる品物も、もう粉々なのに」


 いつもと違う、しおれた様子のリー家の娘を見て、フィエーダは目を瞬かせた。

 フィエーダがはじめにこの娘に会ったのは、一世代前のリー家の娘、つまりフィアリルの母親がまだその腕に抱いているころだった。

 その頃にはすでに、母親と同じ、目的のためなら最短経路を選ぶような性格をしていたはずだ。その目に迷いはなく、決断する際にはついでに情もない。


 それが一体どうして、今はこんなにも憔悴しているように見えるのか。


「仕方がないだろう。正確な居場所がわからない者に向かっては通信魔法は使えない。以前はそなたが王宮か子爵家に居たからどちらかに向けて使えばよかったが、今回はそうもいかない。フロストランドということしかわからんではな。だから、捜索させた」


 捜索方法は兵に一任させていたから、何かそこで不備があったか、認識の齟齬があったのか。

フィエーダとしてはフィアリルの居場所がわかればよかったのだが。

「できれば連れてきてほしい」と言ったから、「できれば」の意味を「必ず」という方に深堀りされたのかもしれない。


 そう言うと、リー家の娘はフィエーダを睨んできた。解せない。


「……それにしても、リー家の娘らしくない。いつもの合理的で冷酷無慈悲な部分はどこにやった? 一人の男と離れたくらいで、何をそんなに取り乱す」

「あなたには言われたくないですけどね。……わたしにも、いろいろあるんです。好きな人をわざわざ傷つけたくなどないでしょう。妖精王様がそうであるように」


 娘の言うことは正しいので、フィエーダは言い返さなかった。


「こんなことなら、もっとちゃんと言いたかったな」


 どうせフラれるにしても、とリー家の娘は付け加えて、一瞬遠くを見た。

 しかしすぐに視線をフィエーダの後ろに向けた。

 入り口のある方だ。


「シュテルナ様は、そちらの世界にいらっしゃるのですか」

「そうだ」

「賢者様が処方されていた薬は、きちんと飲んでおいでで?」

「欠かさず」

「…………」

「やはり、もう厳しいのか……?」

「わたしからは、なんとも。医者でもなければもちろん、賢者でもありませんから」


 リー家の娘は、そう言って首を横に振る。


「……厳しいのだな」


 フィエーダが言うと、案じるような金茶の瞳がこちらを見つめた。

 大丈夫だという意味を込めてフィエーダは微笑みを返す。薄々わかっていたことだ。


 なんだかんだと文句を言いつつ、結局目の前の困っているものを放っておけない人の好さもまたこの娘の本質であることを、フィエーダは思い出していた。


 リー家の娘は、近くに立っていた衛兵に「水盆を持ってきて」と頼んだ。


 衛兵が持ってきた水盆に湛えられた水が波立たなくなるまで待ってから、娘は呪文を唱える。


「『賢者と連絡を取る魔法プラータ』」


 水盆の水はゆっくりと波打ち始め、やがて張り詰めたように凍る。

 賢者と連絡がついた合図であった。



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