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29.忘れてやらない


 ラルフ・ハリスが抜け道の入口へと辿り着いたとき、ルーベルはまだその場に立ち尽くしていた。

 少年の姿をした白竜(ラルフもそう紹介されただけなので詳細はよく知らないが)が、泣きじゃくっている幼い少女を慰めている。その少年の頬にも涙の跡が見えた。

 ルーベルと少年に、町に滞在していた時のような笑顔は見えない。


 姿を現したラルフにルーベルは視線をよこしたが、何も言わない。

 ラルフもまた、そうしてそこにいる二人に何の慰めも言ってやることができなかった。


「二人とも、フィアリル嬢から伝言がある。……聞くか?」


 ラルフがここに来たのはそのためだった。もう居なくなっているかもしれないと思っていたが、それでも、フィアリルが伝えてほしいと言ったからには、できる限り応えたかった。町を救った恩人の頼みだ。


 疑問形にしたのは、二人にも選ぶ権利があるとフィアリルが言っていたからだった。


『二人が自分を置いて故郷に戻ると言っても、わたしに止める資格はありません。わたし、一生言わないつもりだったのに、欲をかきました。今だって、きっとこの伝言を聞けばルーベルは来てくれるって、そう期待しているんです』


 だから、ラルフに判断してほしい。

 迷うそぶりがあったなら、言わずにいてほしい。

 自分フィアリルの元から、解放してあげてほしい。


 でも、とその口元は言った。クルトゥーラの兵には見えないように。ラルフにだけに聞こえる声で。


『やっぱりわたし、ヒロインとしては偽物みたい。だって、好きな人ルーベルにはどうしたって、わたし以外と幸せになってほしくない』


 ラルフはルーベルを見た。

 ルーベルは、フィアリルから受け取ったトパーゼルの魔法宝飾具を見つめている。


 一瞬の沈黙を跨いで、ルーベルが口を開いた。


「いや、聞かなくていい」


 ルーベルは少年に向かって、行くよ、と声をかけた。

 ラルフは少し落胆する気持ちをこらえながら、そうか、と答えた。フィアリルには悪いが、彼がそう言う以上は聞かせるわけにはいかないだろう。

 そう思ってラルフがその場を去ろうと回れ右をしたとき、同意を求めるようにルーベルは言った。


「まったく。俺の奥さんは本当にかわいいよねぇ」


 それを聞いて、思わずラルフは振り返る。


「強いかと思ったら寂しがりで、豪胆かと思わせて臆病。なんやかんや、本当は素直じゃない。なんでもさらけ出してくれるかと思えば、本当に知りたい本心はずーっと教えてくれないままでさ」


 見つめていたトパーゼルの魔法具を、マントの胸元にパチンと留めて、仕方なさそうに、けれどそれはそれは嬉しそうに、ルーベルは笑った。


「振り回される夫の気持ちも、たまには考えてほしいもんだよね。なあ、ヴィー?」


 笑いかけられた白い髪の少年は、それを聞いてやれやれと肩をすくめる。


「そうそう。人の気持ちは一番わかってそうなもんなのにね」

「ちっげーよ。全部わかっててやってんの、フィアリルは。俺の知らない色んなこともあいつはみーんな背負い込んで、ぜーんぶ自分でなんとかしようとする。そのためには、自分の気持ちを殺してでもなんでもして、守ろうとする。計算高い奥さんなんですよもー」

「いいじゃない。そこがすきなんでしょ?」


 揶揄うように尋ねた少年に向かって、少しむくれるようにルーベルは視線を流した。


「うっせ。そんな返し、どこで覚えたんだか、まったく」


 そんな風に返してから、照れたように呟くように、ぽつりとルーベルは付け加える。


「……そうだよ。そういうところが可愛くて、そういうところも大好きだ」


 目を見開いたラルフに、ごめんなさいギルド長、とルーベルは言った。

 胸元に着けたトパーゼルの魔法具を握り締めて、決意を込めた笑顔で。


「フィアリルがなんて言づけたのかはわからないですけど、今度フィアリルに会うことがあったら言っといてください。『君がなんて言ったか知らないけど、地の果てまで追いかけてやるから覚悟しろ』って。……やっぱ俺、付きまといみたいなところあるのかも」


 まずいかな、と少々気まずそうにそう言って、でも、とルーベルは付け加える。


「これはフィアリルが悪いんです。俺に『好きだ』と言ったからには、忘れてやらない」


 ルーベルは荷物を背負い直し、泣いていた少女の涙をそっと拭き取って、ラルフにその小さな手を預けた。


「じゃあ俺たちもそろそろ行きます。ラルフさん、お世話になりました。どうかお元気で」


 そう言って、さっさと町を出て行ってしまう。

 まったく仕方のない夫婦だ、とラルフは思った。

 見せかけの正反対さに騙されると痛い目を見る。本当は二人とも、お互いのことが大好きなくせに、それすら伝えるのをためらうような性格の似たもの同士なのだから。

 鈍くて無自覚でお人好し、いつだって規格外だ。そんなことは、町の近くで橇を助けたと聞いた時から知っていたことではあったのだけれど。


「お嬢さんもすごかったが、おまえも大概だよ、ルーベル」


 去っていく背中に、ラルフはそう呟いた。

 もうずいぶん遠くなった彼の元には届くはずもなかったのだけれど。


「さてと。どうやって親父にバレないようにセントランドにこのことを伝えたものか」


 一つため息をついて、ラルフももと来た道を歩き始めた。

 ラルフにはまだ仕事が残っている。

 せっかく戦争を回避したのだ。ここから先は、いや、今度こそ、自分の王子としての手腕にものを言わせる必要がある。


「汚名返上、させてもらうぞ。ルーベル・アウストラリス」


 決意新たに、ラルフは特上の紙とフロストランド王族の印璽を棚から取り出したのだった。



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