25.もたもたしてるから
玄関扉の開く音がした。二人分の靴音も一緒に聞こえてくる。
「ただいまー」
「ただいま戻りましたー」
「おかえり」
機嫌のよさそうなフィアリルの声に、ルーベルの胸がズキンと痛む。
しばらくすると、手を洗ってきたらしいフィアリルが台所に姿を見せた。一つ結びになった髪が揺れる。どうやらシチューの器を持って行ってくれるようだ。
「ハイこれおねがいしまーす」
「おまかせあれー」
フィアリルが鼻歌を歌っている。その背中を作った笑顔のまま追いかける。
そんな風に、花が咲くみたいに笑いかけないで。それ以上の幸せそうな顔で、別のやつに、あの、君の半分みたいな魔法具を渡すくらいならいっそ。
「ルーベル、他に運ぶものは?」
ヴィンテルに聞かれて、ルーベルは我に返った。
「あ、ああごめん。じゃあ、ヴィーはこのスプーン並べてよ」
「いいよ」
「なあ、ヴィー」
「なに?」
フィアリルがあの魔法具を渡すのは誰なんだ。
そう聞こうとして、やめる。
「いや、なんでもない。ごめんな、引き留めて」
「別に、いいけど……」
俺は理不尽な男だ。
つくづくそう思う。
そうでなければ、好いた人が幸せになることを喜べないはずがないのに。
「ご飯、食べようか」
にこにことサラダをテーブルに並べるフィアリルを眺めてルーベルは言う。
「……夫婦そろって、まわりくどいな」
ヴィンテルがぼそりと呟いた、その声には気づかなかった。
いただきます、と三人で声を合わせる。
冬もいよいよ本番だ。芯まで冷え込む季節になった。温かいシチューは難なくのどを滑り落ちて、三人の腹を温める。
「ねえフィアリル、この先のことなんだけど」
ルーベルがそう切り出すと、一心不乱にシチューを口に運んでいたフィアリルが顔をあげた。
けれど目線が合ったと思ったら、フィアリルの方がぱっと俯く。
なんだか先ほどから、目を逸らされる。
そのことに、またズシリと胸が重くなる。
「う、うん。冬支度も済んだし、そろそろ、町を出ないとね」
「ああ。セレリス・フォレストまではあと少しだし、向こうの馬車が動き始める前に、出発した方がいいと思うんだ」
「僕も賛成。セレリスまで行けば僕の知り合いもいるし。早いに越したことはないよ」
「うん。……そこで提案なんだけど」
続きを口にしなければならない。
俺はここに残るから、ここから先はフィアリルの大事な人と一緒に行くんだと。
「あのさ、俺……」
「ルーベル・アウストラリス! フィアリル嬢! 居るか!!!?」
ルーベルの言葉にかぶさるようにして、扉をたたく音と、ラルフの声が響いた。
一同は弾かれたように立ち上がり、玄関扉を開けた。
「ハリスさん! どうしたんですか、こんな時間に。ちょうど明日、出発の相談をしに伺おうと……」
「そんな悠長なことをしている暇はない。すまないが、急いで町を出ろ」
「え! 今夜ですか!?」
「そうだ。さっき、ブリンゲバール周辺の村での、件の王太子の目撃情報があった。どうやら、少数の護衛だけを共につけて、半月近くかけて冬の山を越えてきたらしい。山を馬車が通れるようになるのは、本当はあと半月ほど先なんだが……」
「冬の山を越えただぁ!?」
ラルフも自分が言っていることがかなり突飛だというのは承知のようで、彼自身半信半疑の顔をしている。
「だが、ことこういうことに関してこの町のギルドの人間の調査は優秀だ。嘘を言っているわけではないこと、どうか信じてもらいたい」
「いえ、疑うつもりはありませんが……」
「急ぐんだ。ここから先、セレリスまでは悪路が続く。馬車も通れない。のんびりしていたら追いつかれてしまう。元王太子の目撃情報があったのは東の山側。今情勢があまり安定していない東諸国の方だ。元王太子の一行が向こうの国の過激派とつるんでいるという情報もある。今実際にどれほどの人数になっているのかは見当もつけられない」
「わかりました。すぐに準備をして、町を出ますから」
ルーベルの声に、ヴィンテルが動き出した気配がした。準備を始めてくれているのだろう。ここに持ってきたもの、買ったけど置いていくもの、持っていくもの。みるみるうちに荷物が出来上がっていく。
「すまないな、ルーベル。嬢ちゃんも。ちゃんと送り出すこともできないで。魔法使いとしての報酬もほとんど払えていない。この町で、三度も古代の高等魔法を使ってもらったのにな」
「ハリスさん、わたしたちはもう十分良くしていただきました。出発が少し早まるくらい、なんでもありません。それに、魔法職の報酬もいただきすぎたほどです。町で保護してくださって、住むところに、仕事まで斡旋してもらったんですよ。差額分と言ってはなんですが、『明るく照らす魔法』の魔法陣、差し上げます。その魔法陣を写して、灯りをともしたいところに置けば光りますから。消したいときは魔法陣を割くように破いてください。雪まつりの夜の部にでも使っていただければ」
「恩に着る」
フィアリルがその魔法陣の紙を手渡したときだった。
爆発音がした。
ラルフが弾かれたように入り口がある方角を見る。
「まずいな」
「え」
「さっきのは、敵襲の合図だ。武装した集団が町に現れた際に使う」
「敵襲!?」
「宣戦布告ということだ。こちらが受け取れば開戦は避けられない。フロストランド国王の耳に入る前に収束させれば人死には出ないだろうが……。和睦での向こうの要求は十中八九おまえらだろう」
開戦。
セントランドはたしかに妖精姫を惜しんでいたが、それを取り返すために戦争しようとするほど切羽詰まってはいなかった。逃がしたのは国王の判断もあってのことだと聞いている。元王太子の汚名返上のために、わざわざ軍を出すことはないはずだ。ならばこの武装集団は果たしてどこのものか。
「先ほど、元王太子が東諸国とつるんでいる情報があると言っていましたね」
「ああ」
「おそらく、そのうちのどれかが……あるいは結託して、元王太子を担ぎ上げてフィアリルを狙っている。東の方は女神信仰の篤い国が多いから」
「十中八九それだろう。急いで町を出ろ。おそらく主要な街道は抑えられている。崖側から行け。いいか、くれぐれも落ちるなよ」
そう言い残して、ラルフは場を後にした。




