24.旦那さんの早とちり2
ヴィンテルがフィアリルからの頼まれごとを終えるころには、日もすっかり傾き、橙色と藍色の境目にちらほらと星が瞬き始めていた。
その頼まれ事というのは魔法宝飾具の強化である。フィアリルに見せられた魔法具が『術者原動型完結界魔法』などというおおよそ普通の素具には耐えられなさそうな強力な魔法が付与されたものだったのだ。
魔力がフィアリルのものだったので、彼女が付与したんだろうということは分かった。
しかしこの状態では、フィアリルが一つでも匙加減を誤れば素具の方が壊れていただろう。今、この素具がブローチの形状を保っているのが不思議なくらいだ。
付与魔法が異常なほど緻密に魔法と素具との均衡を保っているので、魔法や魔力の揺らぎでは壊れないのだが、代わりにトパーゼルの耐久性が著しく低くなってしまい、石自体がトンカチで叩けば割れてしまいそうなほど脆弱。ガラス並みの強度になっているのだ。
「斎湖って、意外と近くにあるんだね」
「あれは、竜がいないと通れない道を使うんだよ。普通の人が見つけられないように。場所自体は、こことは次元が違う世界にある」
「次元?」
「うん。位相がズレたところ」
「ふーん」
今回のような特殊な魔法宝飾具の強化では、魔力を足し引きしても意味がない。石自体の物理的な耐久性と魔法との間にあるつなぎ目をグラデーションのように馴染ませる必要がある。それを可能にするのが、精霊の使う特別な力、『霊力』である。
魔法具に霊力を付与してもらおうと思ったら、精霊の住処を尋ねる必要がある。それには、その土地の守り神である神獣(今回の場合は冬竜にあたる)を伴って特別な路を通らなければならない。
その精霊の住処の一つが斎湖なのである。
「……今フィアリルさんが持ってるその魔法具、売ったら国一つ買える値段がつくからね」
「え゛」
「『術者原動型完結界魔法』が付与されてる時点でかなり稀少で高額だろうけど、それでもふつうはもっと安いよ。とってもこわれやすいから。でも今回は強化が施されてて、それも一番維持力がある『霊力』でやったから……」
「やっぱり、素具の値段払ってこようかな……」
斎湖はヴィンテルがいれば気軽に行ける場所だが、斎湖のある場所とこちらの世界では時間の流れ方が違う。
時間のブレはその時々によって変わるが、今回は随分小さく収まっている。
こちらとあちらの時間経過がほとんど等しかった。
珍しいこともあるものだ。
「ところでフィアリルさん、歩くの、はやくない?」
「え? そうかなあ。いつも通りだよ」
「…………」
フィアリルはそう言いながらも歩く速度を緩めない。彼女の頬は上気し、冷たい宵闇に白い息が舞う。
早く家に帰りたい、ルーベルの喜ぶ顔が見たい、という感情がほとんど隠されることなく漏れ出ている。けれどそのくせ、その感情は家に帰った途端、内側に引っ込んでしまうのだから難儀だ。
「ほんとう、好きなんだね、ルーベルのこと」
もはやこのことでフィアリルをからかうのすら飽きていたヴィンテルは、半ば呆れながら、しみじみと言った。
途端、フィアリルの顔がぼっと赤くなる。
「……内緒よ、ヴィー。絶対に、ルーベルに言ってはだめ」
フィアリルは否定しなかった。いつもと同じように。
真っ赤になったまま、恥ずかしそうに、切なそうに、そう言う。
「……別にいいけどさ、なんでそんなに隠そうとするかなぁ」
ルーベルだって、フィアリルのことが大好きなのに、決してそれを口にしない。
どうして、そんなに回りくどいことをするんだろう。
言ってしまえば楽なのに、二人とも頑なにそれを嫌がる。
「わたし、顔しか取り柄がないのよ。そんな女の隣に、すでに無効に等しい命令を守ってルーベルは居てくれている。ああ見えて、優しくて、律儀なんだもの」
「…………」
「これ以上を望もうなんて、わたしに都合が良すぎる。ルーベルには迷惑になる。わたし、いくら偽ヒロインでも、やっていいことと悪いことの区別くらいつくのよ。もう何回も、ルーベルにひどいことしてるの。これ以上はいやよ」
「……そう」
竜の寿命は長い。そうすると大抵のことは待てるようになるものだ。
けれど、これほど長く生きて来た今になってまさか、人間のような寿命の短い生き物に対して『じれったい』という感情を持つようになるとは思わなかった。
ヴィンテルはそれ以上何か言ってやることもできず、相変わらずのフィアリルの急ぎ足に仕方なく付き合ってやる。
ヴィンテルの十分の一にも満たない寿命しかないというのに、気持ちを伝えることをこんなにもためらうのは一体なぜなのか、ヴィンテルにはやっぱりわからなかった。
けれど、二人が互いを想い合っていることだけは、疑いようもなかった。
家の明かりが見える。ルーベルが帰ってきているのだ。
甘いミルクの匂い。きっと、夕ご飯はシチューだ。
すでにフィアリルは駆けだしていた。ヴィンテルも慌てて追いかける。
どうか、やさしい二人の想いがいつか、通じ合いますように。
想い合い過ぎてこじれないでくれ、と願うことしか、ヴィンテルにはできないのだから。




