23.旦那さんの早とちり1
バールベリーの名産地、ブリンゲバールに店を構える、町でたった一軒の魔法具宝飾品店『モーンストローレ』の店主テュストは迷っていた。
目の前にいるのは身なりのきちんとした美しいお嬢さん。彼女は開店してすぐ店にやってきたのだが、そろそろお昼も回ろうかというほどの現在になってもショーケースの前から動く気配がなかった。
選んでいるのが誰かへのプレゼントだということは当たりがついていた。先ほどからお相手らしき男性の名前 (ルーベルというらしい)をしきりに呟き、ああでもないこうでもないと言ってはうろうろと歩き、じいっと見ては首を振り、の繰り返しである。
もともとあまり客の来る店ではないから、居たいだけ居てくれていい。だが、あまり悩んでいるようなら何か声をかけるべきなのではないかと。
(しかしアドバイスというのは、お客様にとっては、ときにとんでもなく厄介な代物だからなぁ……)
つまりはテュストもテュストで堂々巡りであり、両者の無言の時間が流れて早一刻が過ぎようとしていた。そろそろ次の鐘が鳴る頃だ。
「お客様、何かお困りでしょうか……?」
勇気を振り絞ってそう切り出したテュストに、その女性は期待に満ちたまなざしを向けたのだった。
「なるほど、旦那様への贈り物でございましたか」
「そうなんです。ギルドのラルフ・ハリスさんにお仕事を紹介してもらってお金が入ったので、ルーベルが身に着ける魔法具をと思いまして。魔法は自分で付与できますから、付与前の素具でいいので、売っていただくことはできないでしょうか」
目の前の女性がそんなことを言い出し、テュストは目を剥いた。
「え!? 魔法の付与ができるんですか!? お嬢さんが!? あんなに緻密な書き込みを、こんなちっちゃな魔法具に!?」
魔法具への魔法の付与は、それ専門の魔法使いがいるくらい職人的な技能を要する。それも一朝一夕で身につくようなものではない。
「え、ええ。指輪の裏とか、時計の文字盤の裏とかに呪文を書き込んでいくの、よくやりました。楽しいですよね。報酬も高いし」
宝飾品への魔法の付与はそれだけで職になる高等技術だ。文字に魔法を込めつつ魔力を注ぎ込み過ぎないように、それこそ麦の一粒に細工を施すがごとくの繊細な作業だ。
それも、指輪の裏に時計の文字盤の裏と来た。この少女が? はったりでなく?
テュストはごくりと息をのんだ。
「その……、付与のための法具の代金は頂戴しませんので、付与するときの様子をお見せいただくことは可能でしょうか……?」
「え? えええ!? お代いらないんですか? ……お金ですよ……?」
正気か? と言わんばかりの眼で本気で意味が分からなそうにその少女はこちらを見てくる。
「本気です。ただし、あなたの腕が本物なら、ですが」
「え! そんなことしなくても、わたしの独学の魔法付与なんてそんな、本物なわけないんですからお金貰ってください。ね?」
「いいえ。見てから決めます」
ほんとに? と訝しげな顔で首を傾げながら、その少女は素具を選んだ。これもさんざん悩んだあげく、マントを留めるためのブローチにすることにしたようだ。
魔宝石はトパーゼルがついている。あたたかな黄色は日に透けると金色に煌めく。それが彼女の瞳の色であると気づいたとき、テュストは心のうちで、のたうち回った。
「では、これをください」
テュストが椅子をすすめると、丁寧に礼を言って座る。
魔法付与用の細かい道具を取りに行こうとすると、必要ありませんよ、と言う。
「よーし。“魔法を付与する魔法”」
彼女が呪文を唱えると、ふわりと集まった水色と黄色の光の粒が混ざり合い、やがて一本の万年筆のような形をとった。そのペン先が、ブローチの裏にものすごく緻密な高等付与魔術を記述していく。
「は……」
その光景はもはや、幻というのさえ現実的に感じるほどだった。それはどこか異界めいていて、テュストには想像もつかないようなはるか遠くにあるものだった。これが本当に人間の仕業なのかと、魔法が終わりかけている今この瞬間にも脳はまだ疑っている。
「ふー! できたー! 本当にこの素具の代金、タダでよろしいんですか?」
「いや、ちょっと待っ……。え? さっきの……」
テュストが言葉を失っていると、その少女は魔法を帯びて柔らかい光を帯びるその宝石を矯めつ眇めつし、嬉しそうに目を細めた。
満足そうな笑みだ。
それもそのはず。彼女がそのトパーゼルのブローチに付与したのは、『術者原動型完結界魔法』である。
その名の通り、術者の魔力を原動力にして、魔法具保持者の危機に結界を張る魔法であり、テュストのような一介の魔法具店員、魔法使いの端くれにもその名を轟かす超高等魔法だ。
テュストがそれを実際に目にするのは初めてだった。そしてそれは、テュストのもつ一流の鑑定魔法をもってしても、今まで鑑定した魔法具の中で最高の出来。トパーゼルの素具は、その値段では決してお目にかかれないだろう高額な品に姿を変えていた。
この技術を素具の値段で見れるとしたら、破格すぎる。
「もちろんでございます。大変すばらしい魔法をお見せいただき、感謝申し上げます、お客様」
「やだなー。そんな、照れちゃいますよ。そんなこと言われたら、調子乗っちゃいます、わたし」
「いや逆になんでこれで調子乗らないんだこのやろう」
一瞬口が悪くなってしまい慌てて咳払いでごまかす。
とにかく、今見たことは己の胸の中と日記にだけに仕舞っておくことにしよう。
るんるんと今にも飛び跳ねそうなほどの足取りで帰っていく少女の後ろ姿を見送りながら、テュストはそう心に決める。
その魔法は、彼の死後、日記が大陸全土に翻訳されることで、その名とともに後世へと語り継がれることになるのだが、それはまだずっと先の話である。
***
店の外で先ほどの一部始終を見ていたルーベルは、フィアリルが店の扉を開けたドアベルの音で我に返り、開けっ放しになっていた口を閉じて身を隠した。
最初に断っておくが俺は断じてストーカーじゃない。かわいい奥さんが、雪まつりも終わったというのに朝っぱらからどこかに出かけるから、心配になってこっそりついて来ただけだ。
尾けてきたんじゃない、付いて来たのである。
今はそんなことより我が奥さんの神がかった技術のことを論じるべきだとは思わないか。
え? 思わない? 話を逸らすな?
ごめんなさい。尾けました。
気になってしまったのだ。フィアリルの隠し事が雪像の仕事を手伝っていたことだったというのは昨日の雪まつりで判明した。しかしなぜそれを隠していたのか、それがわからない。ヴィンテルも一緒になって何やらこそこそと。
気になって尾けてきたら、入った店は魔法具宝飾店ときた。しかも買っていた法具の魔宝石はフィアリルの瞳の色。
自分で使うのか、それとも誰かにあげるのか。
付与してる魔法がヴァッテンシェルラなのだから、おそらく後者だ。
「誰なんだよ。君の瞳の色を身に着けられる、幸せ者は……」
自分の口から出た言葉とは思えないほど、呟いた声には少しも力が入っていない。
軽やかな足取りで店を後にした彼女を更に尾ける気力ももはや尽きかけようとしていた。
あんなに幸せそうな顔で贈り物を選んでいたのだ。きっと大事な相手に渡すものなんだろう。名ばかりの夫に隠したいほど思い慕う相手に。
「なんだ、辛気臭い顔をして。フィアリル嬢と何かあったか」
結局、あのまま尾けることも家に帰ることも気まずく、ルーベルはギルドに足を運んだ。
ラルフが今日の帳簿を確認しながらそう尋ねてくる。
犬の姿になってしまう茶の効果が切れたラルフの姿はかなりの好青年であった。ルーベルより少し年上くらいかという年若さの、黒髪の軽やかな人だ。
もっとずっと年上の渋い男の人だと思っていたので、最初にその姿のラルフを目にしたときはびっくりして固まってしまったものだ。
フィアリルが本当に惚れるとするなら、こんな風に王子様然とした存在なんだろう。そんな風に思った。
今、彼の涼しげな眼差しは帳簿にそそがれたままだったが、その声音には心配の色がのっていた。
「いや。俺が勝手に、傷ついただけです。フィアリルが誰かへの贈り物に魔法宝飾具を買ってるとこ見て」
「そうか」
「俺、やっぱり心が狭いんですかね。形ばかりの夫婦なんだから、他の人に何をあげたってフィアリルの勝手なのに」
「ん?」
ラルフは一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに何かに思い当ったように「ああ、なるほど」と呟いた。
それから『心底うざったい』とでも言うようにひらひらと手を振る。
「そういうことなら、今すぐ帰れ。急いで帰れ。とっとと帰れ。いいな」
「ええ……俺の話聞いてました?」
「ああ聞いていたぞ。聞いていたから帰れと言っているんだろうが」
何がどうしてこうなっているのか、ラルフは薄々察したが、バカバカしすぎてルーベルに説明するのも面倒くさくなっていた。
要するにこの男は、その贈り物の相手は自分ではないと端から決めてかかっているのである。ラルフにしてみれば、おまえのほかに誰が居るんだという話なのだが。その宝飾品を渡す相手がラルフだなどと勘違いでもされようものなら、なお面倒くさい。絶対に関わりたくない。
「おまえの不安なぞ、家に帰ればカスほどの存在になる。私がそう約束してやろう」
「そんなこと、なんでギルド長にわかるんです?」
「私でなくともみんなわかると思うがな。これ以上私にその話を聞かせるな。他人の惚気話ほど聞いていてつまらないものはない。わかったらさっさと帰れ」
半ば追い出されるようにギルドを出たルーベルは家への帰り道をとぼとぼと歩いた。こんなに家に帰りたくないと思ったのは初めてだ。
いつもなら、フィアリルの顔を見れるのが嬉しくてたまらないのに、今日は怖くて仕方がない。
家の鍵はまだ閉まっていて、フィアリルが帰ってきていないことにほっとする。
ヴィンテルの姿も見えないので、二人でどこかに出かけたのかもしれない。
「……ただいま」
もやもやと考え込んでいても仕方がない、と何とか気持ちを奮い起こす。
もし今日捨てられるとしても、それまでは夫婦なのだ。夕ご飯を作ってフィアリルとヴィンテルの帰りを待とう。
そしてもし、フィアリルから「別れよう」と言われたら、駄々をこねずに頷こう。それが、幸せになるべき彼女への精一杯の餞になるように。
「夕飯は、クリームシチューにでもするか。チキンと香草入れた、野菜たっぷりのやつ。フィアリル、あれ好きだしな」
バターを置いた鍋を火にかけ、溶けてきたところに小麦粉を大きな匙一杯ほど加える。少し練り、固まったところにミルクを加え、よく溶かし、全体がとろりとした液状になったところで一度火からおろしておく。
野菜を乱切りにしていく。包丁がまな板に当たって規則的な音を立てる。
肉を先に、火の通りを見ながら野菜を加えて軽く炒め、先ほどのルウを入れてゆっくり煮込む。
鍋を混ぜる手に水滴が落ちて慌てた。
こんな顔はフィアリルに見せられない。情けない。
楽しいことを思い出そう。そうすれば、この塩水も止まる。
そう思って、ここしばらくの記憶の数々を思い起こす。
また、ルーベルの手に水滴が落ちた。ぽたぽたと、それはとどまるところを知らないようだった。
「困ったな……。全然止まらない」
忘れてた。
楽しい記憶にはいつだって、隣にフィアリルがいたことに。




