22.冬の竜3
冬を司る者だからこそ、冬がきらいだ。
本当は、自分のような存在はいない方がいいのだ。
今朝の夢を思い出す。
もうどれほど前になるのかもわからない、古い、古い記憶。自分の存在が誰かを殺めたという覆しようのない事実。
ヴィンテルはその時のことを今でも度々夢に見る。まるで忘れることを許さないとでも言うように、くりかえし、くりかえし。
「着いた着いた! 見てよ! ほらあれ、わたしが作るの手伝った滑り台」
じゃーん、と両手を広げてフィアリルが言った。
その雪像を見、ヴィンテルはぽかりと口を開いた。
そこにあった雪像は、竜の形をしていた。少し透けたような真白な体には、一つ一つ鱗が彫ってある。
長い尾は大きく下へと続く滑り台になっていた。たくさんの子どもたちが、それはそれは楽しそうに何度も何度もせがんで滑っていた。
「これは、ブリンゲバールの古い文献に伝わる、冬を司る竜の御姿だそうだよ。その姿は冬を導き、白く透ける鱗はその年はじめての雪を連れてくると言われる。ブリンゲバールを雪の要塞たらしめる、フロストランドの守り神が一柱、冬竜の。綺麗だね」
「ヴィーのことでしょう? 冬竜って。だからね、ほら、あそこ!」
フィアリルが指さしたのはその雪像の首の部分であった。そこから細く紐のように彫られた氷と、それにつながる手袋の意匠。
「昨日、ヴィーが四大竜のうちの冬を司ると聞いてね、そのあと急いで彫ったのよ。ヴィーのお気に入りの、ルーベルが作ったミトン。我ながらうまくできたわぁ」
「すごいすごい」
こちらを向き直った二人はにこにこと笑っていて、それぞれの手でヴィンテルの頭を撫でた。それから、小さな子どもの姿をした自分の目線に合わせるようにして、そっとしゃがみこんだ。
「ヴィー、昨日の話の続きをしてもいいかしら」
フィアリルがそう言うのを聞いて、腹の底がすうっと冷えていくような心地になる。これから、自分はもう一度、人に見放されるのだ。
『私たちは人類よりも遥か高次の存在である』と言ったのは、自分の一世代前の冬竜だったか。彼がそう言った理由が、今は痛いほどにわかった。
そう思わなければ、あまりにも淋しかった。
自分以外のどの季節の竜も、人々の営みに恩恵をもたらし、ときにその輪の中で笑う。
高潔で気高いと言えば聞こえはいいが、先代の冬の竜はいつだって敬遠されてきた。
雪で閉ざされた自分の社には、一人として参るものなどおらぬと常々皮肉気に言っていたものだ。
けれどその表情の裏で、本当は他のどの竜よりも人という生き物を愛し、心を砕いていた。春の温みで雪崩れた雪が民家を圧しつぶさぬように、夏の間に貯蔵庫に使う氷が大きく育つように、秋に積もった落ち葉の下で眠る生き物を守り育むように。大気の温度を調整し、雪を降らせ、そしてまた、人々の営みの季節へと受け渡す。
それは代変わりした今の冬竜も同じように。
だけど、時々揺らぎそうになる。
自分は先代ほどに気持ちを割り切ることはできなかった。
今まで気になりもしなかった、小さな小さなほころびが、今となって、ヴィンテルの胸に大きな不安の穴を空けているのだった。
「わたしね、まだヴィーに言ってなかったことがあるの。ヴィーはずっとわたしたちを助けてくれていたのに、忘れてしまっていた」
「いや、いい、ちがうんだよフィアリルさん」
「いいえ、言わなければいけないわ。言わなければいけないことなの」
「ちがう。謝罪とか、いらない。励ましも。恨んでなんてない。ぼくが欲しいのは、そうじゃ、なくて……」
ヴィンテルの説得も聞かず、フィアリルが口を開いた。薄紅色のくちびるから、たった一言が紡がれる。
「いつもありがとう、ヴィンテル」
ヴィンテルは大きく目を見開いた。
まさか。どうして。
「わたしたちの後ろから冬がついてきて、王太子殿下の足止めをしてくれているのも、魔物を遠ざけてくれていたのも、今朝食べたバールベリーのパイがあんなにおいしく出来上がるのも、ぜんぶぜんぶ、ヴィーがいるから」
ヴィンテルの事情を、この娘が知るわけもないのに。
「ありがとう。ヴィーが居てくれて、よかった」
畏れてほしいわけじゃない。敬われたいわけじゃない。
慰められたいわけでも、やさしくされたいわけでも、歓迎されたいわけでもない。
一度でいい。たった、一度でいいから。
「ぼくは……」
冬の竜を、愛してほしかった。
「え、あ、あれ? ヴィー? 泣いてるの? どうして? やっぱり言うのが遅すぎた?」
「お、俺の顔が突然こわくなり始めちゃったとかか? な、なんとかしてみるから! えーっと、えーっと、やっぱり眼鏡かなぁ」
ヴィンテルは何か言おうとすると余計に涙が溢れそうで、何も言えないまま首を横に振るほかなかった。
おろおろと二人そろって両手を宙に彷徨わせる夫婦は、自分たちがたった今、一頭の竜の心を掬い上げただなんていうことには少しも気づいていないのだ。
自分の手のひらを包む、本物のミトンの手袋を抱きしめる。すっかり自分の一部になったそれは、生まれてはじめてヴィンテルが貰った、人間からの感謝のしるし。
「……せいぜい、感謝してよね。人間なんて、目を離すとすぐ死んじゃうんだから」
善処します、と言って嬉しそうに二人は笑って、それからまたヴィンテルの髪を撫でた。
そのあと三人で滑り台を滑った。
出店で買ったジャガイモのバターのせと、肉串と、フルーツに飴をかけたやつ。それをかわりばんこに食べながら歩いた。
帰り道、ルーベルはヴィンテルをおぶってくれて、フィアリルはそれを見てころころと笑った。
こんなにもあたたかい冬があったことを、ヴィンテルはきっと、千年先も忘れないだろう。




