21.冬の竜2
石が降ってくる。
人間が投げた石だ。それは大小さまざま。悲嘆の声と共に、絶え間なく降り続けた。
すぐに気づく。これは夢だ。
自分がまだ、ただの白竜だったころの夢。
「おまえのせいだ! 俺たちの畑に雪を降らせやがって!」
「おまえさえ来なければ!」
それは先代の冬竜に生々しい傷をつけていく。その真っ白な鱗は血で汚れ、見事な鬣はあっという間に土にまみれた。
「ヴィー、おまえは逃げなさい。向こうに抜け穴があるから。さ、行くんだ」
「ノールスケン……ノールスケンは、どうなるの?」
「これは私に向けられた声だ。私が冬竜の名を冠する以上、たとえ怨嗟の声だろうと、すべて聞き届けるまではここを動くことまかりならぬ」
「そんなこと言ったって! このままじゃ、死んでしまうよ」
「私のことは気にしなくていいんだ。早く行きなさい」
「でも!」
「これは命令だよ、ヴィンテル。“今すぐにここを去りなさい”」
四大竜である冬竜の『命令』は、他の竜に対して強制力を持っている。ヴィンテルの体は、己の意志に反して先代に背を向け、一目散に駆けだしていた。
「……そう、それでいい。どうか元気で。ヴィンテル……」
未だ止まない人間たちの呪うような声と、微笑んだような先代の声を背中に聞き、泣きながら走り続けた。
まもなくして、自分の体にノールスケンが使っていた冬竜の能力の数々が受け継がれていることに気付く。
それは、竜が代変わりしたこと、そして、先代が命を落としたことを意味した。
それからまた、長い時が経った。
岩陰の向こうから泣き声が聞こえてくる。
そっと覗き込む。子供の姿で遊んでいると、いつもお菓子をくれる家のおかみさんだった。
声をかけようか、風邪を引いた息子の具合はどうだろう。
今年は秋の竜に頼み込んで、できる限り実りの時期を延ばしてもらったから、滋養に効くバールベリーの収穫も多い。雪で甘くなったベリーを摘んで、渡してやろう。きっとすぐ元気になる。そう伝えるつもりだったのだ。
ベリーの多く生る場所を知っていた。竜の爪ではつぶしてしまうから、人の姿で一粒ずつ摘んだ。
雪でぎゅっと実の詰まった、甘そうなベリーを籠いっぱいにつめて、その家の扉をたたいた。
「おかみさん、おかみさん、ペーターの具合は……」
涙にぬれた青白い顔と、虚ろな瞳がドア向こうにひっそりと現れた。
あの朗らかな笑顔はどこにも見当たらなかった。
ああ、おまえさんかい、と言った声にはどうにも張りがなくて、後ろでひっつめのお団子にしている髪が、今日は妙にボサボサで。
まるで大事ななにかが抜け落ちてしまったようなおかみさんの姿と、瞬間的に体の中をよぎった、ざらりとした嫌な予感。
「ペーターはね、いない」
「いない?」
「死んでしまった」
ヴィンテルは言葉を失くした。
何か言おうとしても、は、という息の音しか口から出てこない。
「もともと肺が悪くてね。この雪だろう? 寒さが悪さして、風邪をこじらせちまってね。悪いが今日は、帰ってくれないかい。……とてもじゃないが、もてなしてやれそうにない」
おかみさんはそう言って、そのまま扉を閉めた。
閉まり切る直前、細い細い隙間からたった一言。
「……ほんに、冬の竜なぞ、いなければよかったのに」
籠が手から滑り落ちた。
籠いっぱいに摘んだ赤色がそこら中にぶちまけられて散らばる。けれども、それを拾い上げる行為はとてつもなく無意味なことに思えて、ヴィンテルはただその場に立ちすくんだままでいた。
わかっている。おかみさんは、ヴィンテルが、その『冬の竜』だということなんて知らなかったことくらい。けれど、だからこそ、その言葉はヴィンテルの深くやわらかいところにぐさりと突き刺さった。
景色が急速に上へ上へと流れていく。
いや、これは、落ちているのだ。
―――
「は!」
目を覚ますといつもの寝床だった。竜型のヴィンテルがピッタリおさまるほどの一室に、クッションを敷き詰めて眠るのが、現在のこの家でのヴィンテルのブームだった。
窓から部屋へ白い光が差し込んで、ゆらゆらと揺れていた。
「……いやなゆめ、見ちゃった……」
シュルリと人の姿を取り、部屋を出る。
やけに静かで、人の気配が感じられない。
一階に降りてみたが、二人の姿はやはりなかった。鍵が開いていたので寝室も覗いてみたが、そこにもいない。
「雪まつり、行ったんだな、二人で」
最初からそうすると言え、という気持ちと、やっぱり二人で行くんじゃないか、というふてくされた気持ちが同居して、なんとも気持ちの据わりが悪い。
「……いやいや、拗ねてない、ぼくは別に拗ねてない。ぼくがそうした方がいいって言って、二人はそうしたってだけのことじゃないか」
誰に弁解するわけでもないのに、一人で言い訳を並べ立てては首を振る冬竜、およそ二千歳。傍から見れば、まったく意味の解らない絵面だ。
「でも、いってきます、くらい、言ってくれてもよかったんじゃないの」
そう口にした途端、なぜだか急に、先ほどの夢の詳細が思い起こされて、胸の中に突然すとんと、寂しさだけが置かれたような気持ちになって。
だからやっぱり、さっきからずっと、自分は拗ねているのかもしれなかった。
「もう、山に帰ろうかな……」
「ただいま戻りましたっと」
ズバン! と勢いよくドアが開いてフィアリルとルーベルが顔を出した。
「あら、起きてたのねヴィー。じゃあ支度して、そろそろ行きましょう、雪まつり」
「ああ、でもお腹減ってない? そこにバールベリーのパイ焼いておいたから、一切れ食べて行こうよ。甘酸っぱくて、おいしいよ。俺たちは朝食べたんだけど」
どうやら外は雪らしく、ふわふわとした雪片が白く町の光を反射していた。フィアリルはケープコートに積もった雪を払い、寒い寒いと言いながら指先をひょいと振った。暖炉にふっと火がともる。
「二人とも、雪まつり行ってたんじゃないの?」
「え? 違う違う。雪かきしていたの。家の前に結構積もっていたから」
暖炉に薪を足しながらフィアリルは鼻歌を歌った。そのどこか気の抜けたメロディに誘われて、ヴィンテルのお腹がぐうっと鳴った。
ルーベルの言った通りの場所にバールベリーのパイが置いてあった。それは少し冷めていたが、それでもなおうまかった。
「あー寒かった。ごほん、フィアリルお嬢さま、わたくしめにも暖炉の火を分け与えてはもらえませぬか」
「うむ。許す」
お貴族様ごっこなるバカっぽい遊びをしながら二人は暖炉の前で縮こまっている。
二つ並んだその背中は、けれどそっと引き合うように寄せあわされている。
それを見ているとやっぱり、(仮にも)新婚夫婦である二人の間にいつまでも居座り続けるのは良いことではないように思えて仕方なくなってくる。
「準備できたよ、二人とも」
「おーっし、じゃ行こう」
まだしんしんと雪の降り積もる中を、街の中央にある広場まで三人で並んで歩いた。
会場に近づくにつれて、ヴィンテルの胸にはまたずっしりとした重石のような気持ちがせりあがって来ていた。




