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20.冬の竜1


「雪まつり、か……」


 先ほどまでの一連の流れをつぶさに見ていたヴィンテルは呟いた。

 無自覚にいちゃいちゃしている二人に、果たして自分の存在が認知されていたかどうかはわからないが、まあ多分視界にくらいは入っていたはずだ。


「……雪を見るのがそんなに面白いのかな、人間は。ただ寒いばっかりで、楽しいものでもないと思うんだけどな」


 上掛けを取りに行ったルーベルの後ろ姿を見やりながら、こっそりと息をはく。

 クマみたいな体躯のその青年から生み出された手袋は、いつでも肌身離さず持っていられるようにと一本の紐で繋げてもらい、首から下げていた。

 ヴィンテルはそれをじっと見やった。

 それから、己の真白なたてがみを一房つまみ、手遊てすさび、パッと放す。


「冬をつかさどる竜に編み物を贈るなんて、変わった連中だよなぁ」


 自分がつかさどるものの副産物である雪。ヴィンテルはそれが嫌いだった。

 人々が汗水たらして耕した土も、恵みをもたらす川も、森も、何もかも、それは覆い隠してしまうから。

 生き物を、寒さへと否応なしに追い立てるもの。それを美しいと愛でる気には、どうしてもなれないのだ。


「賢者のじいさんも、どーしてぼくをフィアリルさんのところへやったんだか。もっとピッタリのやつがいただろうにさ。……それこそ、春の竜ウォーレみたいな……」


 冬はいつだって嫌われ者。春を寿がれるたびに、ヴィンテルの胸がチリッと焦げるような音がする。

 冬が来てしまったという嘆きの声を、いったいどれほど聞いたことだろう。

 喜ばれた思い出もあったような気がするけれど、それすら虚しかった。

 だって……


「あれ、ヴィーはまだ起きてたのか」


 突然ドアが開いてルーベルが現れたので、ヴィンテルは思わずその場で飛び跳ねそうなほどに驚いた。

 持ってきた毛布をそっと眠っているフィアリルの体にそっとかける。


「フィアリルも寝ちゃったし……。あ、そうだ。温めたミルク飲む? 泡立てて、はちみつたらしたやつ。リュッケのおかみさんに作り方教わっておいたんだ。あと、刻んだ胡桃くるみを混ぜ込んだスコーンの生地、雪で作った箱で寝かしてあるから焼こうか。ちょっと取ってくるから鍋見てて。あ、バールベリーのジャムも出そう」

「……うん」


 言いながら、ヴィンテルが返事をするより先にルーベルはマグカップを二つ取り出し、牛乳の瓶のふたを開けた。火にかけた鍋の番をヴィンテルに任せ、外の雪箱フリッジに寝かせてあるスコーンの生地を取りに外に出て行く。

 揺れる火を眺めていると、その穏やかさに誘われてふっと昔の記憶がよみがえる。


 賑やかに笑う子供たち。山間を越えて響く仕事歌。たくましくも穏やかな人々の営み。どこかの家から漂ってきたぬくい夕餉の香りも。

 いつからだろう。その景色が、霞がかって見えるようになったのは。


―――ほんに、冬の竜なぞ、いなければよかったのに。


「――……ィー、ヴィンテル!」


 肩をゆすられて我に返った。声のする方向に顔を向けると、心配そうな顔をしたルーベルがこちらを覗き込んでいる。


「なんだ、ルーベルかぁ。……あ! お鍋!」


 あわてて火にかけた鍋を覗き込む。中にあけられたミルクはまだ波打つことなく、しんと鍋に湛えられている。


「あーよかった。煮立たせちゃったかと思った」

「ありがとね、鍋見ててくれて」

「ううん。ごめんなさい。最後の方、ぼーっとしてて」

「大丈夫大丈夫。どうしたの、考え事?」

「うーん、まあ、ちょっと」


 言葉を探しても見つからず、ヴィンテルは語尾を濁した。


「ふーん。……そうだヴィー、さっき聞いてたかもしれないけど、明日、フィアリルと広場の雪まつりに行くんだ。一緒に来るだろ?」

「ルーベルって、ばかなの?」

「え!」

「なんでせっかくフィアリルさんとふたりでおまつりを回れるチャンスなのに、僕を一緒に連れて行こうっていう発想になるの?」


 ヴィンテルが呆れ交じりに言うと、ルーベルは口をぽかんとあけてこっちを見た。


「そんなこと、考えつきもしなかった……」

「ばかなんだね?」


 本当に、少しも頭になかったようだ。

 フィアリルが一緒に行こうねと言った時にだってきっと、三人で行くものだと思ったのだろう。それでもあんなに嬉しそうな顔をしたと。


(なんか、かわいそうになってきた……)


 よもやヴィンテルから哀れみの目を向けられているなどとは知らず、温めたミルクを泡立てながらルーベルは首をひねった。


「いやでもさぁ……、明日一人でヴィーを置いてくって発想をフィアリルがするとは思えないし、当然一緒に行くもんだと思ってたから、気持ちの据わりが悪い……」

「……」

「何の話?」


 後ろから蝶の羽が震えるような、さやかな声がした。

 ルーベルはスコーンの生地をオーブンに入れながら答えた。


「いやだから、明日の雪まつりはヴィーも一緒に行くだろう……って、フィアリル!?」

「いいにおいがして、起きちゃった。おいしそうなもの、飲んでるのね」


 ルーベルが先ほどかけてあげていた毛布にくるまって、うらやましげにじっとマグカップをみつめている。

 ルーベルは何も言わずにもう一つマグカップを戸棚から取り出す。


「わーい。ありがとう」


 泡立てたミルクを三等分にマグカップに注ぎ込むルーベルの横で、ヴィンテルはこそこそ話をするみたいに口元に手を添え、フィアリルの耳に口を近づけた。


「ねえフィアリルさん、明日の雪まつりってルーベルと二人で行くんだよね?」

「なんで?」


 即疑問で返され、むしろヴィンテルは困惑する。

 なんで、『なんで?』?


「え、ヴィーは一緒に来ないの?」

「そうじゃなくて! ルーベルと二人っきりで回るんじゃないのって聞いてるの!」

「え、ごめん、わたしとルーベルとヴィーの三人で回るつもりだった……。予定入ってた?」

「そうじゃなくてぇ……!」


 だめだ。話の前提条件からすれ違っている。

どうやら二人は、当たり前に三人で回るつもりのようだ。

 

 二人してなんなんだ。

 そしてなんでぼくは、さっきからちょっと喜んでるんだ。

 なんで、うれしいんだ。


―――ほんに、冬の竜なぞ、いなければよかったのに。


 ふいに頭を横切った言葉に、ヴィンテルは手のひらを握った。


「……やっぱり、ぼくはやめておく。二人だってそのほうがいいでしょ?」

「「全然やだ」」

「それってぼくが四大竜だから? まあそうだよね。だって、ぼくが居てよかったことなんて、それくらいしかないもの」

「「え? 四大竜?」」


 目の前の二人がマグカップを落としそうになって慌てて持ち直したのがわかった。

 知らなかったんだろうか。二人のことだから、気づいていると思ってた。


「そうだよ」

「他の竜を統べ、四つの季節を司る、大陸に四頭しかいない……の、四大竜?」

「うん」


 今度は二人の口がぽっかーんと開いた。

 会って数か月でこんなに呼吸合うことあるんだな。


 ヴィンテルはつい笑ってしまった。

 それからちょっと泣きそうになった。この二人に失望されるのは、なんだかすごく、悲しいことに思えて。


「でもそれだって、そんなに期待しても無駄だよ。だってぼく、つかさどってる季節、冬だし」

「え、待って待って、まだ理解が追い付いてな……」

「ぼくが居たって、寒さと雪と氷くらいしかあらわすことはできないんだよ。人間にとって、いいことなんて何にもないんだ」


 寒さと飢えは、死の象徴のようなものだ。

 つまり、冬とは死そのものと言える。ヴィンテルの守りたいものはいつだって、ヴィンテルのせいでその形を失くしていく。

 ヴィンテルがこの世に生と呼ぶべきものを受けてからおよそ千年の間、畏れ敬われたことは数知れず、時には今この瞬間のように仲間として人類と過ごしたこともあった。


 けれど違う。違うのだ。畏れてほしいわけじゃない。敬われたいわけじゃない。

 慰められたいわけでも、やさしくされたいわけでも、歓迎されたいわけでもない。

 一度でいい。たった、一度でいいから……


「結局、みんな、春が来た方が喜ぶ」


 その言葉で思考を断ち切るようにして、ヴィンテルは飲み干したマグカップを置いた。

 そのまま、二人の方を振り返ることなく、いつもの寝床のある部屋へ行く。


 ルーベルとフィアリルは、追いかけてこなかった。



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