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16.ブリンゲバール2


 声のする方角に目を向けると、荷物をたくさん積んだそりが左に少し傾いている。どうやら雪にはまって動けなくなっているようだった。


「どうするんだよ、これ。そりがねえと、この量はとてもじゃないが今夜中には運べないぞ」

「困ったな。子供たちが待ってるのに……。明日の朝になって枕元になーにもなかったら、がっかりするだろうなぁ……」


 男たちは不思議な格好をしていた。白い毛皮で縁取られたあたたかそうな赤色の服に、奇妙な形の赤い帽子をかぶっている。

 それに、どうやらそりを引いているのはトナカイのようだ。大きな角と赤い鼻を持つ生き物で、セントランドでは見かけない。

 そのトナカイも、今は寒そうに凍え悲しげな眼で男たちを見ていた。

 ごめんな、とすまなそうな顔で男の内の一人がその毛を撫でる。トナカイはそれに応えるようにくぅんとひと鳴きし、男に顔を擦り寄せる。


「あの、何かお困りですか?」

「え?」


 フィアリルが声をかけると、沈んでいた男たちの顔が驚いたようにこちらを見る。

 ついでその視線が横に滑り、ルーベルの姿を捉えると、今度はぎょっとした顔になった。


 おいなんでだよ。


「い、いやあ、実は……。この町では毎年、星女神さまの生誕を祝う祭りをするんですがね、その日の夜にある行事をするんですよ。眠っている子どもの枕元に、町の大人が贈り物を置いていく、っていう……」


 たしかに、そりに積まれた荷物を見ると、ほとんどが可愛らしい紙とリボンに包まれている。あの箱を開ける瞬間はさぞわくわくするだろう。


「毎年当番が決まってまして。この辺りを治める伯爵さまが、このためにとわざわざ予算を割いてくださっているんです。それで、ちょっとした名物になっているんですが……」


 それを運んでいる途中でそりが雪にはまって動けなくなってしまったらしい。このままでは贈り物も雪に埋もれてダメになってしまうし、ここから町の家全部に今夜中に贈り物を届けるのというのでは無理がある。


「……それで、途方に暮れていたというわけなんです……」

「じゃあ、そのそりが雪から抜け出せば解決します?」


ルーベルが尋ねると男たちはうんうんと頷いた。


 自分で聞いておいて、フィアリルはルーベルの横でふわわと大きなあくびをかましていた。眠気が襲ってきているのだろう。ヴィンテルなど、ルーベルの背中ですでに寝息を立てている。


「そうなんだが、この溝が思ったより深くて……」

「男二人でもなかなか持ち上がらんのです……」


 それを聞いたフィアリルは、にゃるほど、と頷き、むむ、と少し考えるそぶりをするとピンとひらめいたようにパッと顔を輝かせた。


「思い出したぁ! 『橇を持ち上げる魔法スレイリフト』!」


 フィアリルがそう言った瞬間、トナカイごとそりが空に飛んだ。トナカイが慌てたようにせわしなく足を動かしている。


「ありゃ、高すぎちゃった……。トナカイさんごめん……」


 フィアリルは、ほんとごめん、と繰り返しながら、道の真ん中の上空あたりにそりを横移動させる。それからきわめてゆっくりとそれを着地させた。

 突然の出来事に、トナカイはそのつぶらな瞳をきょとんとさせている。


「これでよーし。じゃ、行こうかルーベル、ヴィンテル。お二人とも、贈り物配達がんばってください」


 男たちはしばらくの間呆気にとられたように突っ立っていたが、フィアリルが手を振ると目を覚ましたように。


「あ、ありがとうございましたぁー!!」


 深々と頭を下げる二人組にフィアリルはもう一度にっこり笑って手を振り、また宿の名前を探し始めた。

 その日から、子どもたちの間で『星女神の使いのそりが空を飛んだ』という噂が広まることとなるのだが、それはまた別の話だ。


***


 商業ギルドの受付のお姉さんがとってくれた宿、リュッケのご主人はいい人だった。

 夜遅くに到着し、雪までかぶっているルーベルたちを見て、タオルとあたたかい飲み物を出してくれた。

 温めた牛乳を少し泡立て、そこに蜂蜜をたらしたものだ。ほんのりとシナモンの香りがしておいしかった。つまめるものをと出してくれたのは、チョコレートを纏わせたバールベリーだ。飲み物に溶かしてもおいしいですよとおかみさんが教えてくれる。


 ふーふーとヴィンテルが飲み物に息を吹きかけている。ドラゴンの舌には少し熱いのだろうか。


「ありがとうございます。とってもおいしいです」

「いいのよぉ。おいしそうに飲んでくれて、わたしも嬉しいわぁ」


 先ほどまで青白い顔をしていたフィアリルが、今はふにゃりと表情を和らげている。金茶の瞳がほっと細められて、頬は赤みを取り戻した。

 その様子を、ご主人もおかみさんもにこにこと眺めている。

 そういえば、この人たちも俺を怖がらないな、とルーベルは思った。


 きっと、フィアリルが近くにいるからだ。

 可愛らしくて、やさしくて、かしこくて、どんな人の心も瞬時にとりこにしてしまう。


 そんな彼女が、近くにいるから。


「ルーベル、このチョコおいしーよ! ……食べないの?」


 きらきらと瞳を輝かせ、もぐもぐとチョコレートを頬張るフィアリルがかわいい。

 フィアリルがいなかったら、今頃俺はどうなっていただろう。

 今日も誰かに怖がられ、怯えられて生きていたんだろうか。


「……食べる。食べるよ」


 ルーベルがチョコレートを口に含むと、フィアリルが満足そうに笑った。

 満面の笑みがフィアリルを彩る。

 その笑顔が、好きだと思った。


「かわいらしい夫婦ですねぇ。まるで昔の私たちみたい。ね、あなた」

「ああ。二人とも、心底から互いを想い合ってるのだろうな」

「ほんとうに。まぁ、お互いそれを知らないようですけれど」

「どうやら、そうみたいだな」


 湯気の立ちのぼる甘くてあたたかい飲み物に夢中になっていたルーベルたちは、宿のご主人とおかみさんが、そう言ってにやにやとその光景を見ていたことには気づかないままだった。




 今夜泊まる部屋に荷物を置き、一息つく。

もう遅いので食事は明日にすることにして、一同わっせと布団を並べ敷いた。

 ルーベルは背負っていたヴィンテルを布団に寝かせる。ヴィンテルはことりと深い眠りに落ちた。


 よほど眠たかったのか、フィアリルももう着替えを済ませ、布団の中でうつらうつらとし始める。金茶の瞳をとろりとさせて、ぼうっと一点を見ていた。

 なにが気になっているんだろう。


 しばらく様子を見ていたが、なにかを話し出す気配もないのでルーベルも寝ることにする。ちなみに今日は別々のふとんである。

 もちろん。



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