13.元王太子の猪突猛進1
ここは、セントランドからフロストランドへ向かう関所を越えた先にあるフロストランドの玄関口グレーデール。
様々な屋台や宿屋が立ち並ぶ、街道沿いに栄える町だ。
「今日も平和だな、リチャード」
「まったくですな」
その町で温泉宿を営む男、ノーマンはいたって平凡な宿場町の姿を目に映して呟いた。隣で同じようにぼさっと外の景色を眺めていたリチャードが同意の相槌を打つ。
「この平和がずっと続いてくれれば一番なんだがな」
「……まったくですな……」
二人がこんな会話をするのには理由があった。
昨日まで(と言ってもたったの一晩だが)グレーデールに滞在していた友人ルーベルとその妻フィアリルがセントランドを追放されたことが発端のこの騒動の行く末を憂いてのことである。
セントランドの王族が、世界の至宝リー家に手を出そうとした。
あろうことか、リー家の謙虚な態度を逆手にとって。
それを(仮にも)次期国王であるはずの王太子がやったのだから笑えない。
セントランド国王もさぞ困ったことだろう。自分が次代に選んだ自分の息子が、よりによって一番つつかれたくない蛇をつついたのである。
件の元王太子、マティアス・セントランドは廃太子になったと情報が入った。それでも罰を譲歩した方だ。
仕方ないといえばない。リー家の一応の位置づけはどの国でも階級下から二番目の子爵家と決まっている。その家の令嬢を王太子の権限で追放したのであれば、国が表立って大きな処分を下すことはできない。王太子というのは、それほどまでに大きな権力を持っている。半分国の意志であると言ってもいい。
国が公認で追い出したのに、それを後から撤回するのがどれほど不可能に近いか。まともな神経を持っていれば想像もついただろうが。
「そうもいかないんだろうな」
「ええまあそうでしょうね。セントランドがリー家のご令嬢を手放すんですから、よほどの非常事態ですね」
「我が国としてはラッキーなんだが……いささか相手がおバカすぎるな」
「フィアリル嬢の優秀さに隠されてしまっていたんでしょうな。すべて王太子の手柄となっていましたが、セントランドのここしばらくの善政は彼女によるものでしょうから」
ノーマンは目の前に置かれた情報資料を見ながら長いため息をついた。
フィアリル・リー。
ノーマンの友人であるルーベル・アウストラリスの妻であり、学園に通っていたころからセントランドの第一王子の政務を代行していたという彼女。
「仮にもフロストランド第三王子の俺が、この子の顔すら知らなかったんだから悪質だよなぁ」
「……」
ノーマン・ロックウェル。本名ノーマン・フロストランドはこの国の第三王子であり、観光・商業・情報の分野を一手に担う、国王について一大臣を務める第三王子である。
フロストランドの顔とすら言えるノーマンが、フィアリルの姿を見る機会なくここまで過ごしてきたということは、セントランドの元王太子は彼女に政務を代行させてきたのを秘匿し続けていたということだ。
「やってくれる……」
史上最悪ともいえる黒い笑いを浮かべて、ノーマンは重い腰を上げた。
自国にとってはいいことしかないのだ。今から来るちょっとした災難さえなければ。
***
グレーデールに、この日一人の男が足を踏み入れた。
見るからに上等そうな馬車。しかも個人用。御者の男も身なりがよく、お忍びを装ってはいるものの、どなたかやんごとなき身分の方であろうということは町のみな、すでに思い当っていた。
「フィアリル・リーは居るか」
馬車から町へと優雅に降り立ったその男マティアス・セントランドは開口一番そう言った。
町の者たちの顔に緊張の色が走る。
その名はちょうど一日前に町に泊まっていた女性のものだった。
一人クマのような図体の戦士をお供に連れて、愛くるしい顔を満面の笑みで彩ったその女性は皆の記憶に新しい。
彼女に絡んだごろつきどもに堂々と啖呵を切ったことも印象深い、豪胆な人である。
そしてその女性の情報に関しては、町の商工会長から一つ、厳しく言われていることがあった。
「いえ、そのう……」
フィアリル嬢を探す者が表れた場合、まず真っ先にノーマン・ロックウェルに報告をすることと、彼女の情報に関しては彼の指示がない限り決して口外しないこと。
フィアリル嬢がこの世界のすべての国において貴族籍を持つ極めてまれな一族、リー家のご息女であり、セントランドでの不遇を理由にフロストランドに逃がされた、という事実を町民たちは知らない。
だが、彼女の存在をこの国に留めておくことが如何に有益なことかを、グレーデールの聡い町民たちは皆よく理解していた。
彼女の驚くべき魔法の数々をその目で見た門番も、例に漏れずその一人であった。
遠い昔に憧れた高等魔法、それを可能にする複雑かつ緻密な古代魔法を自分が生きているうちにお目にかかれるとは思わなかった、と昨晩は皆興奮しきりであったのだ。
そんなわけで、かしこい町の門番は二人のうち一人をロックウェルが営む宿に走らせた。
ロックウェルが事態を把握するまで、残ったもう一人の門番は、あーだのうーだのと言って時間稼ぎを頑張る。
そういう作戦である。
「なんだ、そんなに難しい問題でもないだろう。フィアリルは居るかと聞いているだけだ」
「わたくしは一門番です故、町をご利用になるお客様の名前は分かりかねます」
うそである。
この男、特技は顔を覚えることである上に、フィアリルのことはビジュが良すぎてとてもよく覚えている。あの日真っ先に覚えた名前がフィアリルである。
そして彼女は昨日の朝ブリンゲバール行きの乗合馬車に乗ってこの町を出て行った。
もちろん町にはもういない。
「だったらわかるやつを出せ。必ずこの町に滞在したはずだ。フィアリルの追放先はフロストランドの奥地だそうだからな。ここを通らないわけがない」
「ただいま、すぐにお連れいたしますので、もうすこーしお待ちください」
「まだるっこしいな」
「どうか、どうかご容赦くださいませ」
一方、先日自分の廃太子が決定し後任が第二王子になった、その苛立ちを引きずって来たマティアスの機嫌の悪さは最高潮に達していた。
俺を待たせる時点でこの町はもうダメだ。終わりだ。
自分が国王になったら、こういう村からさっさと取り潰して割いていた金を懐で温めたいものだ。
そんなことを考えながら待つこと数十秒。
生意気そうな黒髪の若い男が道の先から走ってやって来るのを見たマティアスは、あいつがここに着いたら最初に何の罰を言い渡そうかと考えていた。
マティアスをこれだけ待たせておいて、申し訳なさそうな顔一つしない。それどころか、厄介な、と言わんばかりの目でこちらを見てくる。
(気に食わないな)
若者は走って来たとは思えないほどに涼しげな顔をし、マティアスの前に跪いた。
「遅い」
「申し訳ありません。大変長らくお待たせいたしましたお客様」
「俺は隣国の国の王子マティアス・セントランドだぞ。フロストランドの宿は他の国の王族に対して何のもてなしもしないどころか、長々と待たせるという方針なのか?」
自分が事前に連絡もせず更にはお忍びであるということも棚に上げ、マティアスはイライラと足で地面を踏み鳴らした。
「何卒お許しくださいませ。殿下のような王族の方には未だかつてお会いしたことがありませぬゆえ、対応に不備が出てしまい……。私はこの先で宿を営んでおります。この町の商工会長、ノーマン・ロックウェルと申します」
ノーマンが発言に皮肉気な含みを持たせたことにも気づかず、マティアスは長いため息をついた。
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