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12.蒼の洞窟



 フィアリルの魔法の光が顔に触れたのか、紅竜はくすぐったそうに目を閉じてからふと声をかけてきた。


「おい、そっちのクマみたいな方……」

「ルーベルです」


 諭すような声音がやさしい。じいちゃんみたいだなと思う。

 でも『クマみたいな方』は一生根に持つから覚えとけよ?


「おおそうか、ではルーベル」

「なんでしょう」

「わしを許すとぬかしおったそこな娘はおぬしのつがいか?」


 声のおだやかさは変わらない。けれどどこか背筋をただされるような感覚が走る。

 紅竜の一切の衒いのなさがそれをさらに裏付けているみたいだった。


「……はい」

「肝の据わったよい娘だな」


 返ってきた内容に首を傾げる。話の内容がつかめない。

 射るような金の瞳に見つめられると身動きが取れなくなる。

 が、フィアリルが肝の据わった女の人であることはたしかなのでルーベルは迷いなく即答した。


「はい。俺の大切な奥さんです」

「そうか」


 紅竜は今度はフィアリルの方を向いてじっと目を合わせて問うた。


「娘よ、おぬしも、同じように思うか」

「当たり前だよ。わたしみたいなカワイイ子の隣に居るべきは、ルーベルみたいな世界一カッコいい人だからね」


 ルーベルと紅竜は同時にぱちくりとまばたいた。

 今フィアリルから信じられない単語が飛び出したからだ。


「俺が、

「こやつが、カッコいい???」」


 ルーベルと紅竜の声が重なる。ついでに蒼竜とヴィンテルも首を傾げた。

 当たり前だ。こちらの感覚の方が正しい。図体ばっかりでかくて。怖いだろうが普通は。

 なのにその反応に、フィアリルが心底不思議そうな顔をする。


「なんでよ。ルーベルはカッコいいでしょう? まずは筋肉がいいよね。たくましいのにムキムキしすぎてなくて、程よくて。それから見上げるほどの上背も素敵」

「あ、ああまあ体格はいいが……」


 紅竜が戸惑ったように浅く頷いた。

 その声が引き攣っている。


「体だけじゃないよ。ルーベルのほんの少し赤みがかったネコっ毛の茶髪もね、実はふわふわなの、ほら! かわいいよね」

「……カワイイ……」

「目の色はね、このマフラーとおんなじ色なんだよ。深い紫」


 フィアリルはなおもにこにこと笑いながら話し続けた。

 やさしい金茶の瞳がじっと俺のことをみつめるから、気を抜くとどっと羞恥が押し寄せて俺を飲み込むような気さえする。


「わたしね、その目がこっちを愛しげに見るのが好きなの。その腕で抱きしめられるのが好き。包まれて眠るのが好き」


 待て待て待て待て。

 頼むから少し待ってくれ。

 なにこれ。なんで俺、こんな、こんな……


「やさしくて器用で強くて、困った人のことはほっとけなくて、そんなルーベルが大事だよ」


 いいでしょ、と自慢げにドヤ顔を披露するフィアリル。

 むふーっと腰に手を当てる姿がなんともいい。なんだこのかわいい生き物は。

 そうだ俺の奥さんだったわ。


 紅竜はどこか気まずそうにフィアリルから視線を外した。

 なんでかわからないが、すまなそうな目を向けられる。

 紅竜はそのままルーベルの耳元に口を寄せ、フィアリルに聞こえないようにか、ひそひそ声で囁いた。


「悪いことをしたなルーベル。わしがじっと見つめると、その者は本心しか話せなくなってしまうのだが……今使うべきではなかったやも知れぬ……あの娘からあんなに思いが湧き出てくると思わなくてな……」

「……ソウデスカ……イヤベツニゼンゼンイインデスケド……」


 操心術のようなものだから、さっきルーベルのことをべた褒めしまくったこともすぐに忘れてしまうのだ、とも言われる。


(フィアリルの、本心―――)


 途端、恥ずかしさと嬉しさと、かすかな不安がルーベルの胸に去来する。


(いや、喜べよ、俺)


 大事な人だと、言ってくれた。

 ルーベルの行動を、好きだとも。


(―――でもそれは、俺を好きだってことじゃない。家族とか、友達に言う”大事”だ)


 フィアリルの本心は、ルーベルを友人のようなものだと認識している。

 それは、ルーベルがフィアリルに向ける熱とは、明らかに、決定的に、違っているのだ。


「いや、ほんと、すまんな……。詫びと言っては何だが……。あ、あー、実はだな。この洞窟の奥にはなかなか小粋な伝説を持つ場所があるんだ」

「……というと?」

「この奥はいたって普通の洞窟なんだが、このような大吹雪の昼、ごくまれに魔鉱石の一部が青く光って、星空のように見えるのだ。……それはそれは幻想的な眺めよ。それを共に見た男女はな、それはもうロマンティックな雰囲気にだな……」

「…………詳しく」


 数刻後、ルーベルとフィアリルは洞窟の奥の氷の上を歩いていた。

 夏は水で満たされているという足元は寒さでキンと凍り、不純物のない透きとおった美しさだ。


 見上げると、今にも零れそうなほどに蒼い魔鉱石がまたたいている。

 それは満天の星にも似た冴えた輝きだった。洞窟の上の方から滴り落ちてくる水滴が魔鉱石に当たるたび、しゃんと音がして星がはじける。

 夢のような光景というのはまさにこのことを言うのだろう。


 フィアリルの滑らかな流線型を描く横顔が魔鉱石の光に照らされて浮かび上がる。

 金茶の瞳に映る魔鉱石がきらきらと輝いた。

 ルーベルはあまりの美しさに息をのんだ。そして、この日のことは一生忘れまいと己の脳裏に強く焼き付ける。


(―――教えてくれた紅竜には感謝しないとな)


「わぁぁぁ、きれーだね、ルーベル」

「君がね」

「まあね」

「…………」


 なんっだこの暖簾に腕押し感は。

 ルーベルががどんな歯の浮くような恥ずかしい台詞を言ったところで、フィアリルにはこんな風に流されて終わるんじゃないか。


 そんな予感にルーベルは焦る。


 褒めても褒めても、そんなんわたしは顔がいいんだから当たり前だろって顔されるのは何なんだ。

 なんやかんやで伝わってない気もする。


(え? なに? ロマンティックて何? 俺が聞きたい)


「……一緒に見れるなんて、ラッキーだなぁ……」

「うん。かわいい奥さんが隣にいるわけだし」

「そうだろうそうだろう」


 ちらりと隣を見てみるが、フィアリルの表情までは辺りが暗くてよく分からない。


―――この洞窟のこの景色、一緒に見た男女はずっと互いを想い合える。


 紅竜が教えてくれた、その伝説はあまりにもベタで、どんな観光地にもよくある、恋のおまじないのようなもの。


 でも、ベタでもありきたりでも何でも、ルーベルは嬉しかった。

 大事だって言ってくれたこと。この景色を一緒に見れたこと。


 もう誰にも、フィアリルから何かを奪わせない。

 ルーベルにできるのは、それだけだから。


「ルーベルもカッコいいよ」


 ふいにそんな呟きが落とされる。

 あまりに突然すぎてルーベルは息の仕方を忘れた。


「…………へ!? え、え、あの……?」


 やっと呼吸の感覚を取り戻したものの、驚きすぎて言葉がつっかえた。何か言おうと思うのに、喉の奥から言葉が出てこない。


「なにを驚いてるの? さっきも言ったでしょ」

「記憶、消えるんじゃ……」

「……何を言ってるの?」


 しゃんと、魔鉱石に水滴が落ちる音が響く。

 いくつも、いくつも。

 蒼い石がその度に明るく光を放ち二人を照らした。


 目の前には訝しげな表情のフィアリルがいる。

 どんぐりみたいにまんまるな彼女の瞳がじっとルーベルをみつめてくる。


「ね、ルーベル、ちょこっと顔貸して」

「ん? いいけど」


 なんで、と聞こうとしたときだった。

 ちゅ、とかすかなリップ音が耳のすぐそばで聞こえる。

 同時に、ほんの一瞬ルーベルの頬にフィアリルの体温が触れた。


「なになになになに? フィアリル? なんで俺のほっぺにその……ちゅーを……」

「なんでって……ルーベルがしてくんないから……」

「え!?」

「なんでもない!!! バカ!」

「なんで!?」


 ぷんと頬を膨らませたフィアリルがそっぽを向く。

 なんで罵られたのかだけは分からないが……でも……


 なんだ、ちゃんとロマンチックな展開になったじゃないですか。


「俺の奥さん、ほんと、かわいいなぁ」


 なによ、とフィアリルのジト目がこちらを見る。


「いや、ひとりごと」


 ルーベルはあわてて笑って誤魔化す。

 今まで反射みたいに当たり前に口にしていたその言葉が、今日はなんだか、ものすごく気恥ずかしかったから。


***


「奥の景色は楽しめたか?」


 洞窟の入り口付近まで戻ってくると、蒼竜と紅竜が揃ってこちらを向いた。

 どうやら蒼竜のお説教は終結したらしく今は肩を寄せ合って話している。


「はい。それはもう」

「そうか。我らもあとで見に行くとしよう」

「きゅーう」


 互いに目を合わせて頷き合う二竜にフィアリルが不思議そうな顔をする。


「何回も見てるんじゃないの? 飽きたりしない?」

「飽きるなどあるわけがなかろう。永く生きていれば何度か見ることはあるがな……、そのときの妻とその景色を見れるのは、その瞬間が最後なんだぞ。毎度、しかとこの目に焼き付けねば」

「こいつら、さっきからずっとこんな感じなんだよ。相手するの疲れたわー。もう行こうよルーベル」


 二竜と一緒に待っていたヴィンテルがげんなりとした顔をする。

 あつあつなつがいだ。


「そっかぁ。じゃあ、わたしたちもまた行こうねルーベル」

「ああ」

「卵が孵るのはいつ頃なの?」

「もうすぐだぞ。ざっと八十年ほど先だ」


 もうすぐとは。

 ドラゴンの時間感覚、難しい。


「次来る頃にはわたし、しわしわのおばあちゃんかな」

「まあ、おぬしらには特別に、わしが連絡してやってもよい」

「楽しみにしてる」

「なにかあったら、おぬしらの方から連絡してきてもいいんだぞ。娘の方は『加護持ち』であろう? 多分念じれば我に通ずる」

「あ、そうなんだ」

「明日でも、明後日でもよいぞ」


 紅竜がどことなく嬉しそうな顔で言うので、ルーベルもつられて笑ってしまった。

 なんだか拠り所が一つ増えたような心地がして、ほっとする。


 その光景を見ていたヴィンテルがぽつりとつぶやいた。


「フィアリルさんがルーベルを可愛いっていう理由、僕わかったかも……」

「でしょー?」



 ドラゴンたちに別れを告げて、ルーベルはフィアリルとヴィンテルとともに馬車へと戻る。

 次に来るときには、彼らが迎える新しい家族の姿を見れることだろう。




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