10.ドラゴンの卵3
「思い出した! 『竜の子守歌』だ! ……て、あれ? んん? 大丈夫? ルーベル?」
目を覚ましたフィアリルが心配そうな顔でルーベルに触れる。
その手はあったかくて、やわらかくて昨日の夜と同じ、フィアリルの気配がした。
(生きてる。)
「さっきはあぶなかったねぇ。魔法が届くのが先か、踏みつけられるのが先か……ハラハラの展開だっ……」
「なんであんな無茶をしたんだ!!!!!」
フィアリルがびくりと肩を震わせた。
まずいことに今のルーベルには余裕がなかった。
つい口調が荒くなる。
フィアリルの目線の先がすまなそうに逸らされた。
「なんか、いけるかもって思って……。なんとなく魔法も思い出せそうだったし……」
「ふざけんな!」
ぎゅっとフィアリルが身を縮める。ヴィンテルがおろおろと様子を伺っているのが見えた。
フィアリルがおそるおそる瞑っていた目を開け、ルーベルを見る。かと思えばギョッとしたように目を見開き、次いで心配そうに眉を寄せた。
「ルーベル、泣いてるの?」
「……が、……君が、死んだかと、思った……」
安心した途端、急に涙が止まらない。
生きてる。
フィアリルが温度を持って目の前にいる。
そのことへの安堵が止まない。
「こっちの気も知らないで……。心臓が、潰れるかと思った」
「…………」
「いなくならないでくれ……頼むから……」
小さな子供をあやすみたいに背中をとんとんと叩かれる。
子供扱いすんなし、と思うが、その規則的なリズムとフィアリルの手のひらのあたたかさがルーベルを落ち着かせていくので何も言わなかった。
「ごめんルーベル。心配かけたね」
「二度とやらないで」
「善処します」
「二度とやらない!」
「……はい」
念を押すと、フィアリルがしょんぼりとうなだれた。
そのしおれように良心がツキツキ痛むがこればっかりは譲れない。
俺の心臓は一つしかないんです。あんまり怖がらせないでほしい。
「ところでヴィー、さっきの何?」
「えー? 僕、なんかやったかなぁ?」
すっとぼけるヴィンテル。
ルーベルの手によって粛々と脱がされる手袋。
「さっきの、何?」
「『冬の奇蹟』だよ」
「『冬の奇蹟』?」
手袋を人質にとると途端に素直に喋り出すヴィンテル。
それでいいのか少年、と嬉しさ半分心配半分でルーベルは思った。
「フィアリルさんについてる『ドラゴンの加護』のことをそう呼ぶんだ。ドラゴンの使う特殊な能力をフィアリルさん自身にも使うことができるの。さっきは別に、大したことしてない。フィアリルさん寝てただけだし。ちょこっと体温をいじっただけで……」
フィアリルの方を向くと、「わたしそれ知らない」と首を振られた。
ルーベルもわからない。はじめて聞く言葉だし、本で読んだこともない。
「なんで? なんでわたしはそれができるの?」
「フィアリルさんだからだよ。ありとあらゆる種族から寵愛を受けるリー家のご令嬢でしょう。ドラゴンだけじゃない。ほかの種族だって……もういいでしょルーベル! 説明めんどくさい! 手袋返してよぅ!」
渋々、ヴィンテルの手に手袋を着けなおしてやる。
ずいぶん気に入ってくれたようで、ルーベルとしては嬉しいけれども。
「でも気を付けてね。加護があるからって油断はできない。さっきはたまたま僕がいたけど、使い方を知らないうちは加護がないのと変わらないんだよ? それに、『冬の奇蹟』が使えるのは、ドラゴンの力が強くはたらくブリンゲバール地方のまわりだけだ。しかもその能力を使えるドラゴンが近くに居なきゃならない」
『ドラゴンの加護』には俺が思っているよりいろんな制約があるみたいだ。ヴィンテルに膝詰めで説教されているフィアリルは、大人しく話を聞いている。
ヴィンテルの話を聞く限り、この加護はブリンゲバールにいる間の一時のものと思っていいだろう。
それでも、王太子に追われている今、対抗する術がひとつでも多いことに越したことはない。
「でも、なんでヴィーはそれを知ってるの?」
「だって僕ドラゴンだし」
「フーン」
待て待て待て。フーンじゃないんだよ。
フィアリルの反応の薄さにルーベルは目を剥く。
しかしヴィンテルもその反応は当然だというかのように、そうだぞと頷いた。
(え? なにこれ。俺? 俺がおかしいの?)
ルーベルは全然フーンで終われなかったのでヴィンテルに問い返した。
「ヴィーもドラゴン……?」
「うん。そこそこ長く生きてるからね。ほら、よくあるじゃん。長く生きていれば人の言葉くらい云々ってやつ」
人の言葉くらい云々て……。
こんな風に雑に発表されるような情報じゃないと思うんだけどなあ。
やっぱり俺がおかしいわけ?
「ちなみにおいくつでらっしゃる……?」
「さあ? 二千とか、そんくらいじゃない? 年ってだんだん数えるのめんどくさくなるよね」
ふーん。
驚きを通り越すと、人はリアクションが薄くなるみたいだ。
よかった。俺がおかしいわけじゃない。おかしいのはあっち!
「別に年なんてなんだっていいじゃん。長く生きてるからって賢いとも限らない。現にさっき僕たちを襲ったドラゴンも五百歳そこらだ。ルーベルたちよりは長生きじゃん」
「うん。まあ」
そういうことではない気もするが、まあ、今考えなくてもいいか。
これから時間はたっぷりある。
ややこしいことは脳の余裕があるときに考えるに限る。
「ところで、フィアリルさんの『竜の子守歌』で眠ってた彼女、起きたみたいだけど大丈夫?」
促されて後ろを見ると、先ほど暴れていた巨大なドラゴンが、心なしか気まずそうにルーベルたちの後ろに立っていた。
***
「きゅきゅきゅー! きゅーきゅ! きゅー! (さっきはごめんなさい。反省してます)」
「えと……、『さっきはごめんなさい。反省してます』だって」
「いいよいいよー。結局わたしたち生きてるわけだし! 踏まれてないし!」
「君はもうちょっと危機感持ってねフィアリル」
ルーベルたちはヴィンテルの通訳を介して、先ほど馬車付近で大暴れしていたドラゴンと会話していた。
彼女の鱗はよく見ると透明に近い青なので、一応、蒼竜というくくりに分類されるそうだ。
「きゅきゅきゅーきゅ、きゅーきゅ、きゅきゅ……」
「『さっきたまごを盗まれたばかりで、捜索していたところに馬車が来た。ドラゴン特有の反応があったから、犯人だと思って我を忘れてしまった』だってさ」
「それは、心配だな……」
「きゅーきゅ……」
本当に申し訳なく思っているらしく、蒼竜の母親がしょんぼりと肩を下ろす。
生まれてくる子供のことを考えれば、気が立つのも無理はないと思う。
「わたしたちも、卵探すの手伝いますよ」
「そうだね。はなればなれじゃ、心配で今夜寝れなそうだし」
「きゅーきゅ、きゅきゅ? (いいのですか?)」
「気にしないでいいんじゃない? 人に限らず困ってるやつをほっとけないんだよこの二人は」
***
ルーベルたちは横転した馬車を立て直し、その中で話を進めていた。
アイスフィールドまでの道案内のために持ってきていた地図を広げ、卵泥棒が向かいそうな場所に目星を付ける。
「盗まれたのがさっきなら、そんなに時間も経ってないはず。この先は雪も深いから、逃げたなら南の方角へ向かったんじゃない?」
「そうだろうね。でも、前の集落からここまですれ違った人間はいなかったから、どこかに潜伏してるんだと思うんだけど……」
「じゃあ、こことかは?」
フィアリルが指さしたのは、ここからほど近い場所にある洞窟だ。
雪を避けられて、火が焚けて、入り口が目立ちにくい。潜伏するならもってこいな場所に思える。
「きゅーきゅ、きゅきゅー!」
「そこはまだ捜索してないってよ」
この馬車はフィアリルが綺麗に魔法で直したので雪をよけられて風も遮られる。
凍えないようにと部屋が温まる魔法をフィアリルがかけてくれたので、とても快適だ。
しかし、この馬車を一歩出ると周りは雪だらけの極寒状態。
いくら逃げ足の速い泥棒と言えど、この中をわき目もふらず進むにはあまりに無謀だし、最悪死ぬ。
近くにある雪をよけられる場所に現在も潜伏していると考えるのが妥当だ。
「じゃあ、とりあえず俺が行って様子を見てくる」
「わたしも行く!」
「僕もー」
「きゅー! きゅきゅ!」
「わたしはここで待ってるよ。まだ馬の面倒も見てやりたいし、誰も人が残っていないのも危ないだろう」
というわけで、最終的に、御者のおじさんだけを残して全員が捜索に向かうことになった。
一歩外に出ると、刺すような寒さが防寒着すら貫通するかという勢いで襲ってくる。
髪も雪風にあおられ、フィアリルは寒そうにマフラーに顔をうずめている。
「フィアリル、悪いんだけど、どこでもいいから俺のこと掴んどいて。ヴィンテルも。はぐれるとまずいし」
「あいあいさー」
「わかった」
フィアリルは返事を返すと、ルーベルの左手を取った。
冷えたフィアリルの指先が自分の手の温度でぬくんでいく。
手袋に包まれたヴィンテルの右手は、ルーベルの上着の裾を掴んだ。
「フィアリルの手冷たいな……ブリンゲバールに着いたらなんかあったかいものでも食べようか」
「賛成」
「ヴィーは何か食べたいものないの?」
「え? なんで、ぼく?」
ヴィンテルが、わけがわからないというように怪訝そうに眉をひそめた。
なぜそんな顔をされるのかわからず、ルーベルたちも首を傾げる。
「なにが『なんで』なの? だってヴィー、わたしたちと一緒に来るんじゃないの?」
「うんうん」
「え、一緒に行っていいの?」
「……逆に、なにかいけない?」
フィアリルが心配そうにヴィンテルの顔を伺う。
もしかして、来れない理由が何かあるんだろうか。
(それとも、あれか、俺の顔がこわすぎたか? 一瞬ならいいけどずっとは無理、的な……)
三人できょとんとしていたら、ふいに後ろから蒼竜がくつくつと笑う声がした。
「きゅきゅきゅーきゅ、きゅーう? きゅーきゅきゅ(当たり前みたいに仲間みたいに思ってくれてたことにびっくりしてるんでしょ? ヴィンテル様は)」
ヴィンテルの目が見開かれるが、竜の言葉がわからないルーベルたちは、なんでヴィンテルが驚いているのかわからない。
「きゅーきゅきゅ、きゅーきゅ、きゅーうきゅきゅ(さっきから、うれしそうですもんね。馬車でもずっとご機嫌でしたし、お二人のことをよほど気に入ったんでしょうね)」
蒼竜が喋るにつれヴィンテルの顔がじわじわ赤くなってくる。
「おい、蒼竜! 余計なこと言わないでよ!」
「きゅーう……きゅきゅきゅー?(別に内容わからないんだし、よくないですか?)」
「え? え? ドラゴンさん、なんて言ってるの?」
「なにも! 何も言ってない!」
「きゅーう、きゅきゅ……(ご自分で墓穴を掘ってらっしゃる……)」
竜の言葉と人の言葉が入り乱れて話の流れがさっぱりつかめない。
いっぺんにしゃべると混乱するな……この組み合わせ。
混沌状態のドラゴンたちの会話にルーベルは遠い目をする。
最終的に、可笑しそうに笑う蒼竜と、不機嫌そうに顔を赤らめたヴィンテルが黙りこくったので、なんのことかは分からなかった。




