「元」婚約者の献身
ダンジョン攻略が終わると聖女は市井に出たがった。
この頃には、聖女も生徒会室から出たがらないベネディクトと宰相の嫡男ゼインを誘うのを諦めていた。
残りのメンバーで市井に出たが、魔術師団のエースのナイルは大反対していた。
護衛などの手配でいたずらに周囲に迷惑をかけることを嫌っていた。
彼がついてきた理由は周囲の負担を軽減させるため以外にはないだろう。
聖女は、ずっと神殿暮らしで、一度も市井に出たことがないという。
僕は、それが少し気の毒に思えて、ちょっとくらいはこの国を見せてあげたくなって、了承した。
そんな頃、ミシェルと僕の婚約が解消されたと父上から伝えられた。
晴天の霹靂だった。
急いで王子妃宮に駆け付けたところ、仕掛中の研究資材が残っており、急な展開で婚約の解消が決まったことが伺えた。
公爵家と連絡を取ろうとしていると、再び父王に呼ばれて聖女との婚約の王命が下った。
翌日、ワケが分からないままに、生徒会室へ向かった僕に、聖女が大泣きしながら謝り倒してきた。
とにかくひたすらに詫びながら、何があったか話始めた。
聖女はミシェルのいる公爵邸へ突撃して、愛のない結婚など僕が可哀そうだと僕の解放を主張した。
ふと、僕は最終学年に入ってからの9か月間ほとんどミシェルと話をしていないことに気が付いた。
子供の頃から僕とミシェルはそれぞれ別のことをしていた。
ミシェルが王宮で夕食を取っている時などに話をしていたから、別行動でもよく連携がとれていたと思う。
聖女が来てから僕とミシェルの夕食の時間が合わなくなったこと、ミシェルが王宮にくる時間が減ったことなどで疎遠になった。
聖女は本気で私たちが愛のない冷たい関係だと思い込んでいたようだった。
僕にとって彼女は5才の時からのバディだ。
冷え切っているなんて思っていなかったし、僕が頼みごとをした時の態度はずっと変わらぬミシェルのそれだった。
足元がグラグラと揺れているような気がした。
ミシェルは、聖女と僕の間に愛があるのか確認しようとしたらしい。
そこへ、ベネディクトが入ってきて、聖女が王子の代弁者のように振舞い、ミシェルを気に入らないというなら、気に入る令嬢が見つかるまでの間、婚約者の座は聖女が埋めとけと押し切られた、と。
そして、ベネディクトはミシェルにその場で結婚を申し込んで、ミシェルも承諾した、と。
僕からは一つだけ聖女に質問した。
「ミシェルは幸せそうだったか?」、と。
聖女は、苦痛をこらえるような表情で、「すごく幸せそうだった」と答えた。
そうか。
そうなのか……
僕は、目の前の課題に集中することにした。
聖女は、公爵邸で子供向けの聖女伝承の童話を読み、自分が住んでいるのが魔族の国だということ、ここでは「聖女」は忌み嫌われているということを知った。
魔王の娘で悪役令嬢のミシェルが学園内で聖女のサポートをしたことで、魔族が持つ聖女に対する害意から守られてきたことを理解したと言った。
ミシェルが、魔王の娘で、悪役令嬢?
魔族が聖女に害意?
僕は、全く意味が分からなくて、ぐらついていた足元が瓦解して、どこか深い淵へ落ちていくような錯覚を覚えた。
ミシェルに牙を剥いた聖女は、公爵家から見放された。
代わりに、王家の庇護に入れるように、王が王子の婚約者にしてくれた。
聖女はただひたすらに詫びて、ただひたすらに怯えていた。
この時、読書エリアの長ソファーに寝転がっていたナイルがおもむろに口を開いた。
「見放されたと言っても、ネッドは君に『生徒会室』に籠るように勧めたのだから、ダジマットの姫が既に準備したものは利用してよいと言ってくれたのだから、まだマシだよね?」
ここに座ってみてよ、と促されて、初めて奥の読書エリアに足を踏み入れた。
腰かけると、それはミシェルの特製の「人をダメにするソファー」だった。
「魔術師団の仕事と学位を取るための学園の掛け持ちでヘトヘトだった僕は、この体力回復が付与されたソファーにどれだけ癒されたことか……」
そういわれてみれば、彼はよくこの長ソファーで寝ていた。
「ちなみに読書エリアの椅子は全部違う効果が付与されているよ」
座り比べてみると、全て「浄化」を軸に、鎮静が強いもの、体力回復が入っているもの、覚醒が付与されているもの、様々だった。
他のメンバーの座り比べのために定位置を譲らされた宰相子息ゼインが口を開いた。
「私は魔術は得意ではないから間違えているかもしれないが、ここに置いてある本は目を通している間、旧校舎ダンジョンと似たような浄化作用が発動しているように感じる」
私にとっては、旧校舎で汗をかくよりもこちらの方が浄化効果が高いんだ、と付け加えた。
ナイルは、壁一面を書棚に仕立ててある壁際まで駆け寄って、本に目を通して、これはスゴイ!と興奮気味だった。
「そして、ここにある書籍は、全て聖女伝承に関連する内容だ」
ゼインは、小さなため息をついて続ける。
「ネッドは早々に本に気付いて読み始めたし、私もここにある本を読むようになった。ネッドも何も知らされていなかったのは同じだったんだろう。熱心に読んでいたよ」
ここまでしてもらったら、そりゃ惚れるよ。といいながら、人をダメにするソファーにもたれて眼鏡のレンズを拭いている。
「姫さんは、始めから全部知ってたんだろ? なんで教えてくれなかったんだよ!」
憤る騎士団長の次男リアムに、ゼインが冷たく答え、ナイルが補足する。
「恐らく、王命だよ。ここの本を準備したり、学園のあちこちに浄化魔法を埋め込んだりしたのは、王に指示には含まれていなかったんだろう。だから言えなかったんじゃないか?」
「あ~。僕は職業柄、聖女伝承に関しては君たちより知っていることが多いんだけど、君たちへの緘口令が敷かれてた」
「おそらく王命は、その聖女が魔族や人族に害をなす存在かどうかの試験だな。『あなた試されてますよ?』と教えてしまったら、君はクビになるな?」
ナイルは、肯定も否定もせず、苦笑いしていた。
「ミシェル姫とダジマットの王太子妃の幽玄様はお優しいから、カーディフ王の命が執行されている間、聖女が傷つけられないように保護しようと『生徒会室』を準備して、一緒にヒントを置いといたって感じかな?」
「それでベネディクトも姫さんに連れてこられたら大人しく従って、聖女を守ってたってこと?」
リアムは、少し話がつかめてきたようだった。
「ネッドは仲間とワチャワチャするタイプじゃないよね。まぁ、お姫様を溺愛するってタイプにも見えなかったけど…… ケットシーの子供に懐かれたり、意外性に満ちた人物だね」
「あぁ、姫が立ち眩みを起こした時に、子供抱きで連れ帰ったのも驚いた。僭越ながら『お姫様だっこ』の存在を図解で説明しておいた」
ケットシーと姫の扱いが同じで「よしよし」とかいいながら、背中をトントンしてたらしいぞ、と言って呆れているが、その言葉には確かな親しみが滲んでいた。
「姫が、ここまでしてくれたのに、あろうことか君は魅了に侵され始めて、旧校舎に君専用の瘴気抜きダンジョンまで作ってもらったんだから、感謝したほうがいいよ」
あれは、最高の魔術師の御業だったよ、とナイルがリアムに向けて助言した。
「私もあれは流石に浄化魔法の維持が大変だろうと姫の御身が心配になったので、ネッドをけしかけたよ。しばらくここに来なかったから、姫に彼が助力することを許されたのだろうな」
ゼインは拭き終わった眼鏡を掛けなおしながら、静かに語った。
つまり、この2人もミシェルに関しては、ベネディクトを頼みにしていたということだ。
「ま、そういうわけだから、僕としては、ネッドに関しては、報われて良かったと思うよ。王命の方は、あと3か月の聖女の頑張り次第かな? とりあえず垂れ流している魅了と混乱を制御できるようにならないと、神殿に逆戻りだろうね?」
「聖女が知っておいた方がいいことは、この書棚の一番左の棚に揃ってる。聖女が魔族を傷つけず、魔族も聖女を傷つけずに共存できるようになる方法を希望する」
二人がそういって部屋を出た後、珍しく気を利かせたリアムがそれに続いた。
残された聖女と僕は、これからどうしたいか相談した。