ミシェルはいつベネディクトに落ちたのか?
婚約者、いや、「元」婚約者のミシェルが卒業パーティーの会場を辞す時、その場の全員が臣下の礼をとって彼女を見送った。
婚約破棄した側の僕もその一人だし、僕の新たな婚約者として紹介された「聖女」も、彼女の世界のそれとおぼしき所作で見送った。
それは異様な光景で、それでいてしっくりくる光景だった。
彼女の見事な去り際は、僕の理想の王の姿の1つとなった。
いつこんなに差がついたのか?
僕にとってミシェルはずっとライバルだったし、バディだった。
僕たちは5才の頃に出会った。
同じ魔術の先生について、競い合った。
月に1度の試合の日は、僕は大好きな魔法剣を使った。
ミシェルは、魔族の純血統で腕力がなかったので、長らく僕が負けることはなかった。
ミシェルは僕に勝つためにいろんな武器を試したが、最終的にはトリックのような罠を使うようになった。
まだ僕に勝てないけれど、負けにくくなってきた頃、僕たちは婚約した。
10才の頃だ。
僕は王子で、ミシェルは公爵令嬢。
僕たちの間に障害はなかった。
僕たちはその後も月に1度の手合わせを続けた。
ミシェルは実にいろんな戦法を試した。
僕が最初に彼女に完敗したのは、ミシェルが編み出した「人をダメにするナワ」だった。
その魔法縄に縛られた途端、ちょっと眠いような、ちょっと痺れるような、ちょっとうっとりするような、ちょっとけだるい気分になって戦う気力が失せてしまった。
睡眠とマヒと魅了のミックスにほんのちょっとの幻惑と石化と混乱が入っていたんじゃないかと想像している。
僕自身は精神魔法は使えないけど、王族教育の一環で全て経験はしているから、なんとなく分かるんだ。
「ミシェルにキスしたくなったから、『魅了』は減らした方がよい」
そんな風に助言したと記憶している。
ミシェルの技は卑怯だと思う人もいるかもしれないけど、僕の妃になる人だ。
卑怯だろうが何だろうが、自分の身を守るために相手を確実に無力化させる技を習得する彼女を好ましいと思った。
ダメになった人が別の意味でミシェルに襲い掛かったらよくないから、そのように助言したまでだった。
ミシェルはその後も「人をダメにするシリーズ」をいろいろと開発し、最終的には、網目状の拘束魔法に睡眠とマヒと石化をベースにわずかに沈静と回復を付与していたと思う。
回復には術者への敵意を大幅に減少させる効果があって、掛け過ぎなければこちら側に有利に働きそうだとか、単独の睡眠よりも睡眠と石化で体を重くしたほうが安眠効果が高いとか、僕を実験台にいろいろ試しては、ダメになっている僕を見て笑っていた。
彼女は冷たく近寄り難い印象を持たれる傾向にあるが、魔術の鍛錬をしているときはいつも機嫌よく楽しそうにしていた記憶がある。
彼女はいつベネディクトに落ちたのか?
ベネディクトはいつ彼女に落ちたのか?
僕がミシェルとの婚約を破棄した理由は彼女の「不貞」だった。
相手のベネディクトは僕たちが婚約した年に次期公爵の候補として公爵家の養子に入った。
彼は既に別の魔術師に師事していたため、僕とミシェルの魔術訓練に参加したことはない。
彼もミシェルもそれぞれ忙しくしていたから、同じ屋敷に住んでいても二人が接触する機会はほとんどなく、学園の登校時ぐらいではないかと思う。
親しくはないが、敵対しているわけでもないから、同じ馬車で登校しているが、それだけだった。
ミシェルは学園の帰りに王宮に寄る。
妃教育や魔術研究の後、僕と王宮で食べてから帰ることが多かったから、学園に入るまで、いや、最終学年に入るころまで、ミシェルとベネディクトは殆ど交流がなかったと思う。
ミシェルは学園に入って、仲のいい友人ができた。
王族権限を使って調べたところ、幽玄という神聖国の高位魔術師だ。
生まれはアバディーンの王女の娘で、かの有名な金剛と深淵の孫だ。
金剛とは、僕の憧れの魔法国の最北端アバディーンの先王エリオット様の二つ名だ。
アバディーン国にはあまり人族がおらず、純血統の魔族が人口の9割も残っていると言われる実に魔族っぽいおっとりとした風土の国だと聞いている。
金剛はおっとりとした国の王らしく、どっしりと構え、ゆったりとした治世を敷いた素晴らしい王だ。
「ほっとこう」が口癖で、細事に干渉しないようでいて、問題解決する術は与えてくれるカッコイイ王だったそうで、王に惚れた民の手記が多数残されている。
ミシェルが、その金剛の孫娘と仲良くなったことが嬉しかった。
だから、ミシェルと幽玄が王子妃宮で魔術の研究を始めることも、快諾した。
僕がミシェルの研究室を訪ねることはなかったけど、殆どの私的な時間を王子妃宮で過ごしていたと思う。
カーディフ、神聖国、ダジマットの3国から研究資金の援助があるから、いろんなことが試せて楽しいと、僕との魔術の訓練もやめて、もっぱらそっちに注力するようになっていた。
すべてがゆったりと、そして穏やかで順調に流れていた。