4ー1 ルイーズとエドワードの婚約①
ここ数日、救護室へ通される治療希望者の数は、明らかに異常だと感じているエドワード。
彼が1週間不在にしただけで、倍に跳ね上がっているのだ。
「ったく、どう考えても、宰相とビリング侯爵が何かしているんだろう」
ぶつぶつと文句を言うエドワードは、外套を脱ぎながら救護室から戻ってきた。
自分の他にもヒーラーは2人いる。……にもかかわらず、自分ばかり働かせて……と、納得がいかないようだ。
「あぁー、戻ってきたのね。でも、何か怒っているの?」
はしゃいだ声でそう言うと、エドワードに飛びつきそうな勢いのルイーズが走ってきた。
両手を広げて彼女を受け止めるエドワードの顔が緩む。
自分を見て喜ぶルイーズをハグするエドワードは、少し前まで抱えていた不満はすっかり忘れ去った。
「待たせたな。怒ってない、むしろ気分が良いくらいだ」
天上を見上げるエドワードは、自分の理性と葛藤を始める。
今日は帰す約束だが、もう少しルイーズと一緒にいたい。
……1人の部屋が寂しく思えるエドワードは、自分の屋敷へルイーズを連れて帰りたくて仕方がないのだ。
どうしようかと思い悩むエドワードを、ルイーズはこてんと首をかしげて見ている。
「何かあったの?」
「……いや、何でもない」
名残惜しいが、今日のところは早々に帰るべきだと思いとどまった。
「じゃあ帰ろう」
にこにこと笑っているルイーズが、エドワードを見つめながら手を握ってきた。
直接触れる手と手。自分のことを知ってもなお、ルイーズは躊躇わずに触れてくるのだ。
エドワードの特性を知れば嫌悪されると、常々思っていたが、そんな悩みがウソのように、身も心も軽くなったのを感じた。
ルイーズを送り届ける道中、ルイーズが珍しく鋭い質問をしてくる。
「ねぇ。エドワードはどうして、わたしがあのベンチにいるって分かったの?」
「……うっ」
と、息が止まるエドワード。唐突な質問に、顎に手を当て、どう答えるべきか言葉を選ぶ。
甘いものなど食べない自分が、あのベンチの向かいのケーキ屋にいた。
そんな場所へ行くはずもないと、ルイーズならハッキリと分かるだろう。
そうなれば、「誰といたか?」という話だ。
「パトリシア侯爵令嬢といた」、……それを伝えるのは、なんとなく気がとがめる。
だが、事実は事実であり、聞かれれば正直に答えようと重い口を開く。
「……昨日も偶然、あの場所でルイーズを見掛けたから。……気になって声を掛けるか迷っているうちに、急に姿が見えなくなったんだ」
それを聞いたルイーズは、目をそらすと肩をすくめていた。
大変だ。まさかエドワードに、とんでもなく情けないところを目撃された。
よりによって、自分から娼館の場所を大男に尋ね、あらぬ空気になったタイミングで見られている。
いつも口うるさいエドワードの指導を受けていたルイーズは、自分の腕がつかまれる動きを見抜き、駆けだしたのだ。
途中で諦めた大男は、それ以上追ってこなかったのだが。
大男としては、エドワードが贈った高級な服を着る、見るからに「良い所のお嬢さん」が、まさか歩き方も気にせず、全速力で走るとは思わず、油断したのだろう。
激しく動揺するルイーズは、一気に心拍数が上昇し、目が泳ぐ。
この話は、これ以上続けてはいけないと必死に火消しに走った。
「あー、そうだったのね。知らなかった。はは……」
よし、うまくいった。これで話題を変えようとしたルイーズは、心の中で大きなガッツポーズを決めた。
「……ったく、本当にあほだな。何を隠している? どうせ、馬鹿なことをやっていたんだろう……。やっぱり、昨日すぐに声を掛けるべきだった。俺がルイーズに要らない見えを張ったせいで悪かったな、大丈夫だったか?」
申し訳ない。それを顔に出すエドワードは、一際強くルイーズを抱き寄せる。
エドワードの胸に顔をうずめるルイーズは、頭の中に疑問符が浮かんでいる。
「ちゃんと逃げたから大丈夫だけど、どうして分かったの?」
「さあな、ルイーズが単純だからだ」
「はぁぁーっ、聞き捨てならないわ」
「どの口が言う? くくっ」
楽しそうに騒ぎ立てるふたりの時間は、想像以上にあっという間に過ぎていた。
これまでなら「また、明日」の言葉があった。けれど……、今はない。
寂し気な2人が、フォスター伯爵家の屋敷へ入ろうと思ったとき。
ガッシャーン――と、ガラスの割れる音が耳に刺さる。
ルイーズがいなくなり、荒れている。
そう察した2人が同時に見上げた先は、伯爵夫人の部屋。
エドワードの握る手から、ルイーズの跳ね上がった心臓の拍動が伝わり、心配するエドワードは、ルイーズの頭をなでる。
「いいか、ルイーズは何も喋るなよ。俺のことで何を言われても気にするな」
静かにうなずくルイーズは、エドワードにしがみつくように腕を組んでいる。
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「あの娘、逃げたのね! 許せないわっ」
最近様子のおかしかったルイーズが、朝から姿を消したのだ。
怒り心頭の伯爵夫人は、ルイーズの部屋をあさったが、荷物を持ち出した形跡もなければ、書き置きの一つもない。
書き置きがないのは、もちろん、姉を心配するアランのお陰である。
今朝の食卓は、怖いほどに静まり返り、いつも以上にピリついた空気が漂った。
その異様さからルイーズを心配するアラン。すぐさま姉の部屋へ向かったところ、いち早く、姉がいないことを知ったのだから。
母に知られてはまずいと直感し、ルイーズの部屋から辞退届とノートを持ち去っていた。
「あの娘、……ルイーズは、どこに消えたのよっ! 親子そろって、逃げ足が速くて忌々しい」
伯爵夫人が、グラスを壁に投げつけ、当たり散らしている。
夫と長年愛し合っていた女が産んだ子、ルイーズを無情に娼館に売り飛ばし、夫にもルイーズにも仕返しする計画だった。
それなのに、ルイーズが屋敷の中から忽然と姿をくらました。
これでは、金にも、仕返しにもならず、伯爵夫人の感情が収まりのつかない事態に陥っていたのだ。
2つ目のグラスを投げつけ、ガッシャーンと大きな音が屋敷に響いた時。
逃げたと思っていたルイーズが、エドワードと腕を組んで帰ってきたと知らせを受けた。
「伯爵夫妻に詫びを入れたい」
そんなエドワードの申し出を受け、エントランスへ来てみたところ。
一体何が起きたのか混乱する伯爵夫人は、不思議そうな顔で2人を出迎えている。
それに向き合うエドワードは、伯爵夫人の視線に違和感を覚えた。
ルイーズの指で輝く大きなダイヤの指輪を見るのであれば、左手のはず。
……それなのに、伯爵夫人はルイーズの右手を、繰り返し何度も見ては首をかしげている。
(この夫人、ルイーズの手が動かないのは、気付いていたんじゃないのか?)
エドワードの目線は、ルイーズの父へ向けている。
しかし、エドワードは体の向きを少々斜めにして、視界の端に伯爵夫人をとらえていた。
「朝から1日中ルイーズを連れ回し申し訳なかった。今日は、ずっと2人きりで買い物をしていたんだが、帰り際にルイーズから、家の者に何も伝えずに出てきたと聞いた。謝罪するために送り届けにきた次第だ」
そう告げられたルイーズの父は、アゲハ蝶の刺繍に釘付けだ。
それを見れば、スペンサー侯爵家の人間だと疑う由はない。
上等な仕立てのジャケットを優美に着こなすエドワードが、真正面から伯爵家の当主へ言い切った。
「わざわざ気になさらなくても結構でしたのに……。ですが……、ルイーズからは、エドワード殿に粗相をしたと報告を受けていたので、少々驚いておりまして」
「ルイーズに何かされた記憶はないが、彼女との婚約を正式に結びたい。今日は既に遅いから、後日改めてこちらを訪問する」
「さっ左様ですか! 承知いたしました」
思ってもいなかった婚約話。スペンサー侯爵家の嫡男からの申し出を、当主は満面の笑みを浮かべて了解した。
伯爵夫人は今ごろになり、ルイーズの左手に光る指輪の豪華さに気付き、口に手を当て、感極まっている。
(……やっぱり、伯爵夫人は……。だが、俺に尋ねる気はないのか)




