3-1 さようなら、あなたが好きでした
もう少しで午前も終わる。そんな時刻に起きたルイーズのアクシデント。
その日の訓練は、ルイーズが運ばれた時点で終了となり、訓練生がぞろぞろと休憩室へ戻っていく。
そんな中、呆然自失のエドワードは、体をぴくりとも動かせず、そのまま訓練場に立ち尽くしていた。
……その彼の頭の中は、これから向かおうとしている救護室で、「ルイーズは既に事切れているのでは」と、悪い想像を払拭できずにいる。
しばらくして、拳を握りしめたエドワードは、確かめる決意を固めたものの、救護室へ向かう足取りは酷く重い。
そうして彼が救護室へ着いたときには、治療希望者は誰もいないように見えた。
状況を確かめたいエドワードは、視界に捉えた、目深にフードをかぶる人物へ問い掛ける。
だが、むしろ、そちらの人物の方が、久々に見るエドワードの顔色の悪さにギョッとして、何かを言いたげにしていた。
「……ル、ルイーズは?」
「ん? ああ、先ほどの騎士の候補生か」
「そうだ」
「彼女なら、深い傷だったがヒールで綺麗に塞がり、少し前に元気に帰っていった。あの調子なら、明日も訓練に参加できるだろう」
「そ、そうか……。申し訳なかった。俺がそばにいたのに煩わせてしまったな」
「はぁぁ~っ」と、安堵のため息を漏らしたエドワードは、一気に解けた緊張から、その場でしゃがみ込むと、しばらく動けなかった。
彼は、ルイーズが無事と聞いても、表情はまだ冴えず、彼女を危険に晒した原因は自分であったと、自責の念やら、後悔やらで、気持ちの整理が追い付かない。
(ルイーズが、「救護室まで持たなかった」のではないかと思い、生きた心地がしなかった。本当に、彼女が無事で良かった……)
「会えるのは……明日か」
このときのエドワードは、顔を隠さず、自身の部屋から救護室にいたのだ。彼の顔を知らない救護室の受付係が入って来ようものなら、大騒動になることも忘れ、ルイーズのことをひたすら考えていた。
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その一方、屋敷へ帰ったルイーズは不思議な感覚に襲われていた。
屋敷に着くまでは、いくら傷が塞がったとはいえ、怖くて動かせずにいた彼女の右手。
それが、何だか違和感があり、自分の部屋に着いてから、ゆっくり確認してから動かそうと思っていたのだ。
手や腕に付いていた血は洗い流されていたが、騎士服に付いたものはそのままであり、手首の辺りが冷たく濡れている。
「そのせいだろうか?」と、気にし過ぎないようにしながら戻ってきたが、ルイーズの右手の指先は冷え切っており、感覚がおかしい。そう、治療後からずっと変なのだ。
取りあえずルイーズは、着ている服を脱ぐために、騎士服のボタンを外そうとした。
だが、右肘は動かせても、右手の指先は、だらりと床に下がったままで力が入らない。
右手を動かしたくても上手く動かせず、正確には、けがをした手首から指先の感覚を失っている気がする。
「ナニコレ、ボタンが外せない」
利き手である右手が使えない。何が起きたのかと、青くなったルイーズは困惑を隠せない。
それでも、ようやっと、使いにくい左手で汚れた騎士服を脱ぎ終わった。
(救護室のヒーラー様から『できることは全部した』と、言われたんだもの、わたしの右手は、このまま動かないのか。それは、自分の不注意だから仕方ないけど。
剣を持てないなら、明日から、訓練にはもう行けないわね。せめて、エドワードに声を掛けてから……。
いや、駄目だ。そうなれば、右手のことをエドワードへ話さなきゃならないもの。こんなことを知ったら、一緒にいたエドワードは嫌な気持ちになるだけだわ。自分で招いた事なんだもの、彼には絶対に知られないようにしないと。
伯爵家の居候の私が、自分の身もわきまえず、彼のそばにいようとして、本当に馬鹿なんだから。住む世界の違うエドワードのことは、一刻も早く忘れなきゃ)
恋心以前に厳しい現実も待っていた。
ルイーズが持っている服は、紐の多い服が数着あるだけだ。さて、どうやって着るかと悩みながら、ゆっくりクローゼットを開いた。
するとルイーズの知らない新しい服が、クローゼットの中いっぱいに入っているのが目に飛び込んできた。
思い当たるふたりでの買い物。だが、ルイーズは、どの店でも別室で待っていただけで、エドワードがルイーズのために買っていた服のことを、彼と共にいたのに知らなかったのだ。
それに、入れ替わり中、毎日一緒に過ごしていたエドワードは、騎士服のまま、いつも自分の前にいた。
そして今、ルイーズは初めて買い物の意味を知らされた。
こらえきれない感情で、かすかに唇が震える。
あふれんばかりのクローゼットを見たときから、ルイーズの視界は、にじみ始めていた。
それが、しみじみと服を見ているうちに、涙はこぼれ落ちる限界だ。
(……エドワードってば、随分とたくさん買っていたのね。
わたしのクローゼットの中に、こんなに洋服があるのは初めてだわ。
エドワードは、体に戻れないことを落ち込んでいたんだもの、あのときは、彼がここで生活するつもりは少しもなかったのに。
……これ、どう見たって、全部わたしのためでしょう。
『惚れられるのは迷惑だ』って、あんなに言っていたのに……。本当、馬鹿なんだから……。
こんなに優しくされたら誰だって好きになっちゃうでしょう。
もう、とっくに好きだったのに。
それなのに……もっと、好きになったじゃない。
……こんなことをされて、どうやってエドワードを忘れたらいいのよ……。
わたし、あなたに合わせる顔もないのに……。ちゃんとエドワードにお礼も言えないまま、お別れになっちゃった)
「離れたくないくらい大好きだったのに。あなたが困るっていうから……、何も言えなかった」
エドワードと入れ替わり中、彼と過ごす時間があまりに自然に流れ、一緒にいると楽しくてたまらなかった。
でも、自分の体に戻れば、彼との関係は終わり。それはルイーズは痛い程分かっていた。
今はまだ、エドワードを忘れられそうにないルイーズは、長い時間が経てば、いつか月日が忘れさせてくれる。
そう信じるしかなかった。
これまで、自分の右手が動かないと分かっても、ルイーズの涙はこぼれることはなかったが、エドワードを想うルイーズは、開けっ放しのクローゼットの前で、顔を抑えて泣き続けている……。
「……さようなら。あなたが好きでした」




