0-1 姿のないエドワードと、ルイーズのきっかけ
常用漢字外はひらがな表記やルビを振っています。読めるのにどうしてルビ⁉ という漢字があるかもしれませんが、ご了承ください。
16歳になったばかりの伯爵令嬢ルイーズ。
彼女は今。パステルグリーンのドレスを着て王宮の敷地内を、ひょこひょこと慣れない足取りで歩いている。
ドレスは胸元がブカブカで余裕たっぷり。全く彼女に合っていない。
それは単に、姉が「汚したから要らない」と言った、お下がりだからだ。
お茶で出来た大きな模様は、ルイーズが手作りした、かわいらしい花のコサージュで隠している。
今からルイーズは、王家主催の舞踏会に出席する。それは、彼女の2回目の社交界だ。
……とは言っても、前回も陰にひっそりと身を隠していたため、社交界のことを何も分かっていない。
プラチナブロンドの髪が美しく、人目を惹き付ける彼女のかわいらしい雰囲気は、母親ゆずり。
「あっ、珍しい。黒いアゲハ蝶だぁ。こっちまで来ないかな」
愛くるしい菫色の大きな瞳で空を見上げ、楽し気な声を上げている。
この時期にどうしてだろうと、ルイーズは首を傾げる。
吉兆を知らせる黒いアゲハ蝶。それが、ひらひらと優雅に空を舞っているのだ。
秋が深まっているのに、何故か当然のように蝶が飛んでいる。
ルイーズは足を止め、美しい蝶につい見入ってしまう。
そんな彼女は、目尻を下げ、大きく口を開けており、何ともうれしそうだ。
伯爵令嬢として十分な教育を受けていないルイーズ。
彼女の言葉遣いも、ぎこちない礼儀作法も、淑女とはほど遠く、ちょっと残念なのが否めない。
そうなるのも、彼女の見本となる姉や継母は、そもそもルイーズに暴言しか吐かないから当然の結果。
勝手に立ち止まるルイーズに、同伴する異母姉のミラベルが気付いてしまった。
楽しげに笑うルイーズを見た途端。出来るだけ条件の良い男を物色する予定でいる上機嫌の姉は、あっという間に険しい表情に激変した。
「ちょっと。我が家の汚点が、何をもたもたしているのよ。舞踏会に遅れるでしょう、早くしなさい」
「あっ、はい。申し訳ありません……」
言い返したいのは山々だが、ルイーズに出来るわけもない。表情を固くし、自分の気持ちはグッと飲み込んだ。
姉のミラベルは、この舞踏会にルイーズを連れてくるのも嫌だった。
それが、ありありと顔に出ている。
ルイーズはフォスター伯爵の愛人の子。彼女の母は屋敷のメイドだ。
そのせいで、令嬢としての教育を一切受けていない。
ルイーズの母に、フォスター伯爵が長年入れ揚げた結果、ルイーズが誕生した。
だが彼女の母は、伯爵へ当て付けるように、赤ん坊だったルイーズを屋敷に置いて出ていった。
……その結果。1人残されたルイーズは、伯爵家で立場のない生活を送っている。
不貞がバレて立場のない父は、伯爵夫人とルイーズの養育について誓約書を交わしていた。
「この家にルイーズを置くのは18歳の誕生日まで。当主は継母の養育方針に一切口出しをしない」
そのせいで当主は、ルイーズを少しも守ってくれない。
そして、伯爵夫人は、その約束を逆手に取り、18になればルイーズを娼館に売るつもりだ。
愛人の子であるルイーズを嫌悪している継母と異母姉。
ルイーズはその2人から、汚点だの、厄介者だと罵られるのは日常茶飯事である。
彼女は伯爵家の次女として暮らしているが、毎日、継母からの嫌味と抑圧に耐えながら、様子をうかがうように過ごすしかないのだ。
「自分は空を舞う蝶を愛でることさえ許されない」と気落ちしたルイーズは、しゅんと項垂れた。
すると、足元に紺色のハンカチが落ちていることに気付いたのだ。
黒いアゲハ蝶に目を奪われ、ルイーズは空ばかり見ていたため、今の今まで、その存在に気が付かなかった。
見るからに高級そうなハンカチが、王宮の入り口手前に落ちている。
おそらく、この舞踏会に出席している貴公子の物だろうと拾い上げれば、思わずハッとした。
光沢がある生地は、持った瞬間に分かるほど、肌触りの良いなめらかな代物。
ものをあまり知らないルイーズでさえ、このハンカチ1枚で、自分の服が買えるくらい値が張る物だと感じ、手を震わせ動揺を見せる。
そのハンカチは、少し前にここを通った侯爵家の嫡男が落とした物だ。
彼は国王陛下の側近から「お力を貸してください」と懇願され、渋々脱いだ手袋をポケットへ仕舞う際に、ぽろりと落としてしまった。
少し前に、ハンカチを落としたことに気付いた彼。
その瞬間「頼むから令嬢が拾ってくれるな」と願っていたが、それは叶わなかった。
そんなことを思う彼は、寄ってくる令嬢たちに心底うんざりしている。
毎年、この舞踏会は義務的に姿を見せるだけ。
それにもかかわらず、陛下から仕事を頼まれたのだ。
むしゃくしゃした彼は、露骨に陛下の側近に仏頂面を見せて立ち去っていた。
見目麗しい黒髪黒い瞳の彼は、婚約者もいなければ、いつだってパートナーを伴わない。
一見すると、物腰の柔らかい侯爵家の嫡男。それを全力で装う。
舞踏会に参加していれば、どの家の令嬢も当たり前に彼を知っている。それは、もはや常識と言える。
何も知らないルイーズは、そのハンカチを広げ、さて誰のだろうと手掛かりを探す。
ハンカチには、羽を広げて美しく舞う金色のアゲハ蝶の紋様がある。
そして、その持ち主の名前が金色の糸で刺繍されていた。
それに加え、ハンカチ全面に生地と同じ紺色の糸で描かれた繊細な刺繍は、びっくりするほど見事なものだ。
全く目立たない刺繍を、あえて施す手間が掛けられていた。
同じ色で刺繍をしても、おそらく、使う本人しか分からないだろう。
わざわざそのために、こんなに素晴らしい刺繍を……要らないでしょうと、ルイーズは目を丸くする。
ハンカチに呆気に取られ、うっかりしていたルイーズは、隣に異母姉のミラベルがいることを忘れ、その名前を口に出して読み上げてしまったのだ。
「エドワード・フォン・スペンサー」
その瞬間、隣にいるミラベルの目がギラリと光り、ルイーズに向けられていた視線は、さらに鋭さを増す。
エドワード自身が持っている爵位はない。
それなのに、王宮の最重要警備エリアにエドワード専用の部屋がある。
それは、陛下直々に仕える公爵や侯爵しか使用を許されない一画のことだ。
次期当主に過ぎないエドワードが、何故か重要人物たちと同じ区画に部屋が与えられている。
それを知った大半の人物は「どうしてだろう?」と疑問に思うが、彼の父は宰相だ。
深く追求されないまま、「エドワードが次期宰相だからだ」と噂が広がっている。
そうなれば……。
そんなエドワードを令嬢たちが放っておくわけもない。彼は社交界で絶大な人気を誇る。
まさに今、ルイーズの横にいるミラベルも例外ではない。
むしろエドワードを知らない方が珍しい。
……だが、その極少数派にルイーズは入っていた。
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