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【EP.6】石橋を叩いて渡る


『――ご報告。ベクトール様へ。

 私と聖女様(と勇者様)が教会を発ち、早数日が経ちました。

 ジーデリア王都にて、第三王子であるクラレンス殿下により王城へお招きに預かりました。

 安全な寝所を提供していただきましたが、そこで王室医師の馬車が王都郊外で襲撃される事件が起きました。同伴していた医師の娘であるフェリシエ嬢が失踪し、我々もクラレンス殿下に同行し、事件の解決へ助力しました。

 幸い、フェリシエ嬢は無事に保護され、原因となったグノー家の次女・グロリア嬢も、近日ご家族が引き取りに来られるそうです。

 途中、勇者様ともお会いしましたが、旅を共にすることは〈少々(訂正線)〉かなり困難だと思われます。ただ、現在の勇者の進路が我々の目指す地点と一致していることもあり、彼の足取りを追いつつ、私たちも北へ向けて進行します。

 次の目的地は、ジーデリア王国ヨーロッド領の予定です。

 シアナに到着後、再びお手紙を差し出します。

 ――アシュレイ』


 手紙を書き終え、防水の細筒に入れると、鳥に似た召喚獣の足にそれをくくりつける。

「お手紙よろしくね」

 客室の窓を開け放ち、飛び立つ姿を見送る。

 朝日が差し込み、遠くの空が霞んでいた。

 獣のいななきに視線を下げる。そこには、豪奢な馬車が一台、城門前に停止していた。

 王城に帰還し、二日目の朝のことだった。


  ◆  ◆  ◆


「――こンの、馬鹿娘がぁぁぁ!!」

 王城内に怒号が響く。

 部屋のドア越しに聞こえた声に、出立の準備をしていた私とマリナは、互いの顔を見合わせた。

「今のって……」

「おそらくですが、グノー家の侯爵様がお見えになられたのかと」

 朝方見かけた馬車と、それに繋がれていた魔獣のことをマリナに伝える。脚力はあるが安定性皆無の魔獣。快適さを犠牲に速度を得たのが容易に想像できた。

「それじゃ、あの地雷娘のお父さん、朝一で駆けつけてきたのね」

 感心半分、憐憫半分の面持ちで呟く。

 出るタイミングを失していると、扉がノックされた。

「はい」

「聖女殿、召喚士。朝早くから騒々しくてすまないね」

 顔を覗かせたクラレンス殿下。昨日よりいくらか顔色がよくなっている。

「おはようございます殿下。さっきのはやはり……」

「グノー侯爵だよ。伝書鳩の知らせを聞いて、矢のようにやってきたんだ」

 前科のある自身の身内が、再び王家へ無体をはたらいたのだ。もう気が気じゃないだろう。

「あの暴走お嬢さん、どうなっちゃうの?」

 マリナが問いかけると、殿下は眉を寄せ考え込んだ。

「……僕が処断することではないから、正確なことは言えないけど。さすがに今回のことは重く受け止められるだろうね。あ、命を奪うほどのことはしないと思うよ。僕もそれは望まないし」

 不安そうなこちらを察してか、殿下は言葉を補った。

「あら、ずいぶんと気を遣える男になりましたね。最初の頃はあんなに――」

「せ、聖女殿っ」

 初対面のときを思い出したのか、殿下が赤面して言葉を遮る。

 思い返せば、マリナが圧倒されていたのが懐かしい。

「あのときは、その、気を張りすぎていたというか……忘れてくれ」

「ふふっ、すっかりかわいくなっちゃって。頑張ってくださいね」

 元気づけるように肩を叩く。

 マリナの笑顔は、いたずら好きの少女のようであり、子を見守る聖母のようでもあった。

「ありがとう。それで、聖女殿たちはもう出立するのかい?」

「そのつもりですよ。人様の説教を見る趣味はないもの」

「わかった。見送りくらいはさせてほしいな」

 その言葉とともに、私たちは城の出口までやってきた。

 殿下は聖女へ旅の安全を祈ると、最後に私に向き直る。

「召喚士も、元気で」

「――アシュレイです、クラレンス殿下。覚えていただけると嬉しいです」

 予想外だったのか、彼は目を見開く。

「ああ、わかった。元気で、アシュレイ」

「はい!」

 頭を下げる。

 私とマリナはそのまま城門をくぐり、城をあとにした。


  ◆  ◆  ◆


 ガタガタと車輪が回る。

 王都を北に向かうとヨーロッド領に入る。

 その中のシアナ港は、近隣の領の中間地点に位置し、貿易の街として賑わっている。

「ヨーロッパみたいな名前ね」

 次の目的地を聞いたマリナの第一声がそれだった。彼女の世界にも似たような言葉があるらしい。

「人も多いですし、物資の補充も十分可能ですので、旅の中継地点にはもってこいですよ」

 地図を指差しながら説明する。

 今私たちがいるのは、都市間を繋ぐ送迎馬車の中。

 王都にて馬を借りる策もあったが、結局は身軽さを優先して国の輸送機関を頼ることにした。そのことを国王陛下に協力を願い出たら、快く通行印を出してくださった。

「ふぅん、港町なのね。美味しい刺身とかあるといいわね」

「さし、み……?」

「生魚よ」

「魚を、生で!?」

 話していると、馬車が停まった。

「え? もう着いたの?」

「ここは……シアナ港までの中間くらいですね」

 手元の地図と、車窓から見える看板を見比べる。

 私たちのほかに数人いた乗客は、その停車場でみんな降りていった。

 縦長の車体の、長辺部分にしつらえられた椅子に腰かけ、再び動き出すのを待つ。御者が馬たちに水を飲ませているのをぼんやり眺めていた。

 ギシ、と車体が揺れ、一人の男が乗り込むと、正面に腰を下ろす。落ち着いた色の、丈夫そうな服に身を包んでいた。となりには大きな鞄。

 他にいくらでも座席は空いているのに、わざわざこちらに来た相手を少しばかり怪訝に思った。

「…………」

 薄茶の前髪から覗く双眸が、こちらをじっと見つめていた。

 冷たく、探るような、例えるなら実験の経過観察を見るような視線。

「……ええと、このまま街道を進むと、夕方くらいには港ですね」

 居心地の悪さに、地図を顔の前に持ち上げつつマリナへ話しかける。

 彼女も不穏な同乗者を一瞥すると、そのまま平静を保つ。

「海なら、観光地みたいになってるのかしら?」

「――あ、シアナ港は確かに大きな港ですが、海じゃないんです。大きな湖があるんです」

 地図を指差しつつ、マリナに簡易的な地理の説明をする。

 ヨーロッド領は広大なシアナ湖の南側に位置し、湖の北の対岸は別の領となり、シアナ港からは船で向かうこととなる。その湖を海に見まごう旅人も少なくない。

「湖を迂回したりしないの?」

「この湖、本当に広いので、迂回するより船で直線距離を進んだ方が早いそうです」

 実際に来たことはないが、地図の地形と伝聞情報を総合して判断した。

「本来なら空を飛べる魔獣で向かう予定だったのですが、そちらも爬虫類に似た見た目なので……」

「ご、ごめんなさいね。気を遣わせちゃって」

 ホークドラゴン、という飛竜に頼るつもりだったが、チバシリリュウがダメならそちらも許容外だろう。

 マリナが再び地図を覗き込む。

「それにしても、ずいぶん丸い湖ね。ほぼ円じゃない」

「ああ、これは――」

 さらに補足を継ぎ足そうとして――唐突に遮られた。

「八百年前だ」

 言葉を発したのは、正面に座る男だった。

 私たちが顔を上げる。男は続けた。

「八百年前、魔神の使徒がそこに顕現した。それを討ったのがその時代の勇者と聖女だ」

「……え、ええ、確かにそうです。聖女の《虚鉄鎚》と、勇者の《零打の小手》によって、地上に大穴ができました。それが現在の湖です」

 情報を補うと、マリナがぽかんと口を開けた。

「人の手で、これが……?」

「それほど、当時の争いが激しかったということだ」

 男がそっけなく言い放つ。

「なるほどね。進言ありがとう。で、あなたはどこのどなたかしら?」

 脚を組み替えつつ、マリナが男を静かに見据えた。

 広くもない馬車の客席に緊張が走る。

「――俺は……ただの旅行者だ。名乗るほどの者じゃない」

「あらそう。じゃあ目的地はあたしたちと同じシアナ港?」

「そんなところだ」

 旅行者は落ち着いて、しかし一切の隙を見せずに淡々と語る。

 不思議な威厳を感じる相手に、気付けば肩が強張っていた。マリナは会話が止まったと判断したのか、窓の外に視線を向ける。

 車輪の回転。馬の蹄。木の軋み。

 誰も口を開かなくなってから、自分たちを取り巻く音が一層大きく耳に入る。

 そんな中、御者の老人が前を向いたまま話し出した。

「あんだら、シアナ港に行ぐんだべ? だっだら運がいいだ」

 訛りの強いしゃがれた声。車内の視線が前方に向けられる。

「今あそごの港でぁ、どっかの貴族さんが金出して、でっげぇ船ばこさえたって話よ。なんでも、湖の南北を繋ぐんだど。もともと渡し船はあったんだけんど、ちっせぇ船ばっかだったべな。便利になんだなぁ」

「そうだったんですか」

 気前よく語り出す御者に相槌を打つ。

「んだんだ。近いうちに出港式ば開かれるつって。そう聞いてんべ」

 御者は話し相手ができて嬉しそうだ。

「聞きましたか聖女様。もしかしたら、私たちもその大きい船に乗れるかもしれませんね」

「でも、運賃高いんじゃないの?」

「それなら――」

 慌てて自分の言葉を止め、声を潜めてマリナに耳打ちする。

「――お金の面なら大丈夫です。使徒討伐のための軍資金として、教会から百年分の貯金を持たされていますので」

「……えっ」

 マリナが大きく目を見開く。

 王都までの道中やキュクロプスの村では金銭の必要性に迫られることがなく、すっかり伝え忘れていた。

「大丈夫です。聖女様にご不便はおかけしませんから」

「あ、ありがとう……って言っていいのかしら?」

 戸惑いながらも、マリナは納得したようだった。

 その後、時折挟まる御者の世間話を聞きながら、私たちを乗せた馬車はガラガラと進み続けた。


  ◆  ◆  ◆


「あー……」

 マリナが腰をさすりながら馬車を降りる。

 沈みゆく日差しが白い建物群を橙色に染めていた。

「クッションあればよかったですね」

「それ」

 御者に通行印を見せると、マリナを追って車外に出た。久しく感じる屋外に、腕を伸ばして背伸びする。

「とりあえず、お疲れでしょうから宿を探しましょう」

「ええ、本当に」

 力強い返答。

 宿屋の看板でもないかと辺りを見回す。白色の建物が美しい港町――シアナ。街の入口にも白いゲートが建ち、大荷物を載せた馬車や、物資を運ぶ人が行き交っていた。確か、街の中央には大きな市場があると聞いている。

 お酒を提供する店はすでに賑わい始めていた。

「あ、聖女様。あっちの通りに宿場があるみたいで……ん?」

 遠くに看板を見つけて振り返ると、大通りの目立つ場所に建つ掲示板――そこに張り付けられたいくつかの告知が目に入る。

「どうかしたの、アシュレイ?」

「聖女様、さっき聞いた出港式って明後日みたいですね」

 マリナも、私の指差す方に目を移す。しかし眉をひそめて首を傾げた。

「……知らない文字なのに読めるのって変な感じ」

「言語面の認識は問題ないみたいですね」

 改めて広告に目を向ける。

 豪奢な船が中央に描かれた張り紙。周りには日付などの情報が表記されていた。

 掲示板の一番目立つところにそれがあり、他にも魔物の注意喚起、近隣の店の宣伝、不審者情報その他も貼り付けられている。

「文字通り、渡りに船ね。乗船できるかだけでも確かめられるかしら」

「わかりました。明日、船着場に行って確認しましょう」

 方針は決まった。

 視界の端で、例の男が馬車から降りてきた。こちらに一度目を向け、鞄を片手に去って行った。

「……?」

 不審に思いつつも、私たちは宿屋を探すために歩を進めた。


  ◆  ◆  ◆


 翌朝。

 大きな街は早い時間から活気あふれていた。

「淡水魚だものね、刺身はないわよね」

 マリナは少し残念そうにしていたが、新鮮な魚の鉄板料理は気に入ったようだ。

 朝食を済ませ、人の多い市場を通り抜けると、湖に面した船着場に向かった。

「わあ……大きな船」

 見上げるほどの巨大なそれに、感嘆の声が出る。

 白い帆は畳まれたままだが、そびえたついくつもの帆柱だけでも圧巻だ。真新しい板張り、船縁にはリボンや花で飾りつけられていた。

 桟橋周りには人が行き交い、それぞれの仕事をしている。

「すごいわね」

「湖どころか海でも渡れそうですね」

 シアナ湖の湖面を見つめる。

 対岸は見えず、水平線が空の彼方に横たわっている。この広大な湖と比べると、大型帆船も小さく見えるから不思議だ。

「そういえば、乗船許可なんてどこで取りに行けばいいのかしら」

「確かに……港の管理者さん辺りに尋ねてみましょうか?」

 近場の人に尋ねて、責任者を探そうかと思い周りを見渡す。すると、甲板員に指示をする身なりの良い人物に気付いた。

「――ちょっと訊いてきますね」

 人が途切れたタイミングを見計らって声を掛ける。

「すみません。少しよろしいでしょうか?」

「はい、なにかな?」

 相手は振り返り、笑顔を浮かべた。

 優しそうな、三十代ほどの男性。中肉中背で、眼鏡を掛けている。上質な衣服を身に付けていなければ、雑踏に紛れてしまうように思えた。

「あそこの船は、明日出港式を迎える船で間違いありませんか?」

「ええ、そうだよ。明日ここを離れて、対岸の街に行くんだ。船好きなのかい?」

 まるで子供をあやすようだった。そこに悪意はなく、純粋に好意で対応しているのはわかった。そんな子供っぽく見えるのかな……

「いえ、そういうのではなく……もし、明日乗船したい場合、どなたに尋ねればよいでしょうか?」

「君も乗りたいの? うーん、定員数に問題はないけれど、初めの出航は造船に関わった関係者や、出資者である貴族とその知人が乗ることになっているんだ。一般の人が今から乗るのは難しいかもね」

 宥めるように、丁寧な説明をしてくれた。

 ダメモトではあったが、小型の船による渡航便もある。

「そうですか……教えていただき、ありがとうございました」

「力になれなくてすまないね。それじゃ」

 眉をハの字にしながら手を振る男性。彼は再び船員との確認作業に戻った。

 数歩離れて待っていたマリナがこちらに歩み寄る。

「どうだった?」

「難しいそうです。別の便にいたしましょう、聖女様」

 そう告げると、彼女も大きな期待はしていないみたいで、あっさり諦めて踵を返し――

「――お待ちください、今【聖女】様と仰いましたか?」

 焦りを含んだ声が私たちを引き留めた。

 振り返れば、さっきの眼鏡の男性が血相変えてこちらを見ている。

「えっと……」

 肯定していいのか逡巡していると、彼は言葉を続けた。

「黒髪に黒服、聞いていた特徴と一致する。それじゃ君は召喚士か?」

「そ、そうですが――」

「すみません、少々こちらへ」

 冷や汗を浮かべた男性は、私たちを連れて港の日陰に移動した。

 そしてこちらに向き直ると――

「大変失礼いたしましたぁ!」

 眼鏡がすっ飛びそうな勢いで頭を下げられる。

 マリナも私も固まった。

「まさか聖女様お付きの召喚士とは思わず、無礼をはたらいてしまい申し訳ありません」

「あ、いえ、気にしていませんが……あなたはいったい」

 そう尋ねると、一度眼鏡と呼吸を整え、彼は口を開いた。

「……自分は、さる高貴なお方の元にお仕えしている者です。その方は仰いました。【聖女】が現れたら、クインヘンリー号に乗船させるように、と」

 大型船を見上げながら事の次第を説明する。

「クインヘンリー号って、あの船のこと?」

「はい、間違いありません」

 その言葉に、真新しい大きな船に乗ることができる期待感でわくわくした。

「よかったですね聖女様!」

 けれどマリナは戸惑ったまま。

「なんか……怪しくない? 『高貴なお方』ってだけじゃねぇ」

 腕を組んで難しい顔をしている。

 言われてみれば確かに、と聖女様と男性を交互に見ていると、男性はあることを思い出したのか、懐を探り始めた。

「――その、これで信用いただけないでしょうか?」

 と、手のひらに乗せた小さな勲章を差し出した。

 マリナはまじまじと見ていただけだが、そこに刻まれた紋章には見覚えがある。

「これって、王家の……?」

「あまり大きな声では言えませんが、そう考えていただいて大丈夫です」

 声を抑えながら答える。

「アシュレイ、今のって?」

「ジーデリア王国の関係者が持つ勲章です」

 それでもマリナは警戒したままだ。

「じゃあ、お仕えしてる人って結局誰なの?」

「それは……たとえ聖女様とはいえ、口止めされておりますので」

 心から申し訳なさそうに男性は答える。

 しばらく考えたマリナは、小さく息をついて結論付けた。

「――まあなんでもいいわ。船に乗れることには変わりないのよね」

「はい、それはもちろんっ」

「それなら、それで手配お願いしましょうか。アシュレイもそれでいいわね?」

 急に話を振られ、こくこくと頷く。

「では、明日の朝にいらしてください。自分は、同じ場所におりますので」

 男性は丁寧に頭を下げると、私たちの元から立ち去った。


  ◆  ◆  ◆


「本当によろしかったのでしょうか?」

 宿へ戻る道すがら、心配になり問いかける。

「別に、なにかあってもなんとかなるでしょ?」

「それはそうですけど……」

 敵対意志を持つ相手がいたとしても、マリナの権能なら別段問題はないだろう。ただ、船の上では、多少制限は掛かるかもしれない。

 それに――

「言いにくいのですが……勇者様の行方も掴めておりませ――」

 賑やかな通りの、昼から開いている酒場の前。その中から、こちらの声を遮るように、大きな笑い声が聞こえてきた。

 女性数人の話し声と、ひときわ大きな上機嫌の男の声。

 昼間からずいぶんと賑やかなんだな……と思ってとなりを見ると鬼が立っていた。

 ――ああ、これは幸運なのか不運なのか、そんなことをぼんやり考えてしまった。

 傍らから怒気が漏れるのを感じる。

「あの、聖女様、まさか今の声……」

「愚物よ」

 断言だった。

 酒場に歩を進める向かうマリナ。慌ててその腕を掴んで止めた。

「お、お待ちください聖女様。どうか落ち着いてッ」

 こんな人通りの多い場所で大暴れされたらたまったものじゃない。

「――あたし、猛獣かなにかみたいに思われてる……?」

 不満げなマリナ。しかし今までとは違って落ち着いた面持ちに戻った。

「大丈夫よ。様子を伺うだけだから」

 足音を殺して酒場の横の路地に入る。足元の雑品を避け、小さな窓から中を覗き見た。

 大きなテーブルの一つを陣取り、四、五人の女性の中央に、酒杯片手に意気揚々と語る黒髪の男――勇者トシヤがいた。

「オレこそが選ばれた勇者だ、って言ったら信じてくれる~?」

「えー、ホントぉ?」

「ホントホント! 今日も来るとき討伐した魔獣の懸賞金もらったし、みんなの酒代もぜーんぶ奢っちゃう!」

「マジィ? すっごぉーい! ちょー嬉しい!」

 テーブルに所狭しと並べられた料理や酒。資金源はトシヤ自身らしい。

 聖女周りの空気がひりつくが、そのまま様子を伺う。

「かわいい子たちとお酒飲めて、今度は造られたばっかりの豪華客船にも乗れて、オレは幸せ者だなぁ」

「やーん、嬉しいこと言ってくれるのね勇者様~!」

「さすが勇者様ぁ」

 薄着の女性たちがトシヤを口々に褒め称える。

 彼の言葉が引っかかった。

「『造られたばかりの豪華客船』って……」

「あいつもあの船に乗るつもり?」

 マリナも怪訝な顔で呟く。

 店内の観察をする。見える範囲では、カウンターに客が一人。角度的に見えないが、マスターも立っているのだろう。

 どうしても大騒ぎしている中央テーブルに注意が向く。

「よーし、今日はこのまま他のお店にも遊びに行っちゃおうかな。着いてくる子~!」

「はーい!」

「行く行くー!」

 すっかり飲み食いし終わった一行は、カウンターに代金以上はありそうな金袋を叩きつけると、連れ立って退店していった。

 路地から入口側を覗き見ると、その集団は賑やかな人通りの中に消えていく。

 マリナはその背中を静かに見つめていた。

「聖女様、よろしかったので?」

「少なくとも、あのバカの目的地が掴めただけ収穫よ。あいつは中途半端に追い詰めると逃げるから、すべての逃げ場を奪った上で仕留めるしかないわ」

「狩りかなにかの話してます……?」

 それでも、マリナは予想に反して冷静に思考していた。

「離婚時の話し合いに失踪騒動を起こした男よ。慎重に簀巻きにしないと」

「わ、わかりました」

 どうやらトシヤは私たちと同じ船に乗るようだ。どういう経緯かはわからないが、マリナからすれば飛んで火にいるなんとやら、なのだろう。

「あたしたちも同船するとわかったら、あいつはどうせまた逃げ出すわ。今は身を隠していましょう」

「それでしたら、聖女様のお姿は少々特徴的ですので、帽子や別の服があるといいかもしれません」

「いいわね。今日中に準備を整えましょう」

 早急に計画を立てると、近場の商業区へ向かうことにした。

 去り際、酒場の中をちらりと見る。

 カウンターに座っている姿――あれは、馬車にいた男のような……

「どうしたの、アシュレイ? 行きましょう」

「あ、はい」

 背中だけしか見てないのだ。見間違いかもしれない。

 胸の中に引っかかるものを抱きながらも、先を進むマリナを追いかけた。


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