【EP.4】人間万事塞翁が馬
「なんだよ、まだ怒っているのか?」
「トシヤ……」
マリナの額には青筋が立っていた。勇者の続ける言葉が、さらにマリナを逆撫でする。
「せっかく別の世界に来たんだから、以前のことは水に流して、新婚時代みたいにまた楽しくやらないか?」
「流す? 戯言なら便所にでも流しなさい」
杖をトシヤにかざす。
一触即発。
固唾を飲んで見守っていると、肘をなにかにつつかれた。殿下だ。
「おい、まさかあの男……」
「はい。今代の【勇者】です」
クラレンス殿下は両者を見比べてさらに困惑した。
「やはり、あの小手は八百年前の勇者が顕現した、数万馬力すら凌駕する腕力を授けると言われる《零打の小手》……しかし、今回の二人は以前から面識があると聞いていたが」
「詳細は省きますが絶望的に不仲なのです」
「なるほど」
目の当たりにしているのもあり、殿下はすんなり受け入れた。
トシヤが再び口を開く。
「あ、そうだ。それより、人さらいの巨人どもから深窓の御令嬢を救わないとならないんだよ。そいつら倒すから、ちょっと待っててくんない?」
キュクロプスたちに視線が向けられる。
「ま、待ってください! それは違います!」
慌ててトシヤの前に立ちはだかる。
「ん? 君どっかで会ったことあるっけ?」
「勇者様、私は召喚士のアシュレイです。あなたたちを呼んだのが私です」
首を傾げるトシヤに、慌てて素性を説明した。
「ああ、そうなんだ。それより――」
興味ないようで、小手を構えた。
「危ないからどいてなよ。悪いヤツを倒さないといけないんだ。【勇者】だからな」
トシヤが私を跳び越えて背後にいるキュクロプスに跳びかかる。
が――
「黙りなさい!」
マリナが錫杖を振るう。空間に亀裂が入り、寸前でトシヤが身をひるがえした。
説得のため、さらに言い募る。
「勇者様、聞いてください!」
「無駄よアシュレイ。あいつはあたしどころか義両親にさえ相談もせず二世帯住宅を建てようとしたバカよ」
マリナの言うことはよくわからなかったが、相手が話を聞かないというのはわかった。
「なんだよ、まだ怒ってるのか? お前もしつこい女だなぁ」
「あ゛?」
怒気の含まれた低い声。となりのクラレンス殿下がびくりと肩を震わせた。
再びにらみ合いが始まると思われたとき、一つの人影が飛び込んできた。
「皆様! お怪我はありませんか!?」
救急箱片手の少女――フェリシエ嬢が割って入る。
「フェリシエ嬢、ここは危ないので下がってください」
「で、ですが、またオオカミがやってきたのではなくって?」
困り顔の彼女に、目ざとく勇者が気付く。
「もしかして、君がフェリシエちゃんか?」
問いかけと同時に、トシヤはこちらの間を縫うように素早く移動し、気付けばフェリシエ嬢の手を取っていた。
「なんて可愛らしいお嬢さんだ。無事でよかった。もっとお互いを知るために、オレと一度ディナーでも――」
その途端。
今まさにトシヤの立っていた場所に、金属の塊が埋没する。衝撃波が地面を伝わって、足元をビリビリと揺らした。
「あれは! 八百年前の聖女が顕現した、打ち据えたものをすべて地に還すと言われる《虚鉄槌》!」
「やっぱり詳しいですね殿下」
「ちなみに《零打の小手》と同時代の産物で、勇者たちは小手と鎚を同時に用いて当時の使徒を撃破したとされている」
「殿下、もしかして勇者と聖女のこと相当お好きなのでは……?」
私の疑念をよそに、勇者の姿は消え失せ、しかし声だけが辺りに響く。
「ヒステリー起こすなよ、美人が台無しだぜ。かわいい子を見つけたら声を掛けない方が失礼だろうが」
「出てきなさい! 今度こそ腐った脳みそごと叩き潰してやる!」
マリナの手には黒光りする、柄の長いハンマーが握られていた。先端の鉄塊が煙を上げている。地に打ち下ろすときのみ巨大化するようだ。
「あーあー、あんまり大きな声で騒ぐなよ、耳が痛くなる。ま、フェリシエちゃんは無事みたいだし、オレが出るまでもなかったみたいだな。じゃーな!」
その言葉を最後に――
辺りには静けさが戻った。
風が吹き抜け、葉擦れの音が耳に入る。残されたのは、魔物のオオカミの死体のみ。
「くっ……!」
悔しげに地団駄を踏むマリナ。
「聖女様……」
「逃がさない。すぐに見つけてやるわ」
マリナが手を広げ、現れる幾度目かの羅針盤。目標は間違いなく勇者――のはずだが。
盤の針はくるくると回り始めた。
「な、なんで!?」
想定外のことに、驚きをあらわにする。
疑問への答えを持っていたのは殿下だった。
「もしかしたら、三百年前の勇者が顕現したとされる、万物に認識されないよう己の存在を隠蔽する《隠者の羽衣》を使ったのかもしれない」
「まったく、次から次へと便利アイテムが出てくるもんね」
忌々しげに吐き捨てる。
「聖女様もそれなりに使いこなしていますよ。それより――」
少し離れた場所で固まっているフェリシエに目を向ける。
「……けほっ」
目の前で地面が破裂したせいで、彼女自身もドレスも土まみれだった。
気付いたマリナの眉が跳ねあがる。
「ご、ごめんなさい。ああ、あたしまた……!」
駆け寄ってフェリシエの服の土汚れを払う。
「大丈夫ですわ、マリナお姉様。ちょっと驚きましたが、服は洗えば問題ありませんわ」
「本当にごめんなさい、あとで洗うわね。重曹があればなおいいんだけど」
花のように微笑むフェリシエと、血相を変えて謝り倒すマリナ。さっきまで刺すような殺気を放っていたとは思えない。
肘をつつかれた。やっぱりクラレンス殿下だ。
「おい、まさか聖堂の半壊は……?」
「お察しの通りで間違いないかと」
「ああ……」
彼の中の聖女像が心配になるが、その周りではキュクロプスたちが黙々と片付け準備に入っていた。
◆ ◆ ◆
――あの女。絶対許さない。気安くあの人に近付いて、当たり前みたいにとなりに立って、へらへらと笑って……あんな女、あの人にふさわしくない。なのに、なんで、なんであいつが、なんで。許さない。絶対に許さない。消してやる。消えてしまえばいい。二度とあの人のとなりで笑えないようにしてやる。憎い。妬ましい。憎い――
◆ ◆ ◆
村の中心。井戸の傍ら。
たらいの水を捨て、マリナは立ち上がって背伸びした。
近くの木の枝に、濡れたままの華奢なドレスが掛けられている。
「はー、綺麗になってよかったわ」
フェリシエが駆け寄り、声を掛ける。
「ありがとうございます、お手数をおかけしまして」
「いいのよ。あたしの責任だし。代わりの服は問題ない?」
今のフェリシエがまとうのは、《次元袋》に収納されていたマリナの替えの服の一つだ。マリナが一度拒否した、いかにも聖女然とした優美な召し物。
ゆったりした衣服なのもあり、マリナより少しだけ背の高い彼女にもぴったりと似合っていた。
フェリシエがその場でくるりと回る。
「とっても素敵です! わたくしが着てよろしいのですか?」
「あたしが着るより似合ってるわよ」
マリナは謙遜するが、少女はまっすぐだった。
「そんなことありませんわ。マリナお姉様がお召しになられたら、きっと伝説の聖女様のようだと思いますの。素晴らしい魔術の腕もお持ちのようですし」
「聖女様ですよ」
感激する少女に、昼食を運んできた私が答える。
「え、聖女、様……?」
「むしろ気付いてなかったんですか」
指摘されたフェリシエは顔を強張らせ、大きく目を見開いた。
「まあ、まあ! 今代の聖女様にお会いできるなんて、至極光栄ですわ!」
父親とそっくりのリアクションで歓喜する。
困り顔で言葉を探しているマリナに、手に持ったお椀を差し出した。豆や根菜の具だくさんスープだ。
「聖女様もお疲れ様です。どうぞ」
「ありがとう」
近くの柵に腰掛け、大きめのスプーンですくう。
「――あ、そうですわ。わたくし、このあと小麦を挽きにいきますの。失礼いたしますわ」
長いスカートをわずかにたくし上げて一礼すると、フェリシエは走っていった。
その背中を見送り――
「このあとのことなのですが」
「一刻も早くあのバカを捕まえないといけないわね」
固い決意を示す。
「それが聖女様のお望みでしたら、私もご協力いたします。ですが、羅針盤すら使えないとなると、追跡も容易ではないかと……」
「そのことなら……たぶん大丈夫よ」
複雑な色の表情を見せながらも、確信めいたものがあるようだ。
「聖女様のお考えを伺っても?」
「あいつは生粋のトラブルメーカーよ」
そう断言した。意図が掴めず、首を傾げる。
「えっと……?」
「あいつのことだから、間違いなく行く先々でトラブルを起こすわ。それに、通りがかる相手に【勇者】だって名乗ってるみたいだし」
「確かに」
痕跡を残しやすい方だというのは理解した。
「使徒とやらをどうにかするのも、あいつがいないとダメなんでしょ?」
「そうですね。使徒討伐となると、お二人一緒にいていただく必要がありますし」
「紐付けてでも引きずっていくわ。それで、とっととやること終わらせて、あのお花畑どもにせいぜい償ってもらうのよ」
言いながら、手元のスープを平らげる。
「それはそれとして、あのお嬢さんは一度帰してあげないとね」
「ですね。刻限も今日まで、と約束していましたし」
「あとあの王子様もね。彼はお城の中で仕事してる方が性に合ってると思うわ」
勇ましさは買うけどね、と付け足した。
おおむね同意だ。
「少々ゴネそうですけど、そこはなんとか説得しましょう」
「少々ならいいんだけど」
そんな言葉を漏らしながら、私たちは長老の家に戻った。
◆ ◆ ◆
なんで聖女が同伴してるんだ、面倒くさい。一度引き離さないと。
今すぐあの女を私の元に連れてきなさい。二人の女のうち、聖女じゃない方を連れてくるんだよ。わかったらさっさと行きなさい、どんくさい。あの女、二度とあの人に近付かないように散々痛めつけてやるんだから。彼にまとわりついてる羽虫は、それ相応の報いを受けないと。
◆ ◆ ◆
「あっ、マリナお姉様」
「やあ聖女殿。すまないね、フェリシエのことで手間取らせてしまって」
優雅に詫びる殿下に、となりの少女が頬を膨らませる。
村一番の大きな家の前に、私たちが一時集合した。
このあとの道筋を決めるために軽く話し合いでも――と思っていたときだった。
影は突然現れた。
振り返ると、倒れる聖女の姿が目に入った。
声が――出なかった。
手を伸ばすが、彼女のそばにいる影がそれを阻む。
日の下にあるにも関わらず、影は確かに実態を持ってそこに立っていた。辛うじて人型だとわかる影は、倒れたマリナを抱え、瞬く間に彼女ごと消える。
沈黙。
痛いほどの静寂がその場に満ちた。
「せ、聖女様……!」
かすれた声が出る。
「な、なんだ今のは!?」
「マリナお姉様!」
遅れて二人も声を上げた。
混乱しつつも頭の中から知識を引っ張り出す。
「あれは……あれは、シャドー。名前通り、影そのものの魔物です。しかし日中に表れることは滅多にないはず……それになぜ聖女様を……?」
「しょ、召喚士! 聖女殿はどこに――」
どこに。
わからない。
消えてしまった。
聖女様は――どこに?
「おい、しっかりしろ召喚士!」
肩を揺らされ、ハッと我に返る。
「殿下……?」
「召喚士、落ち着くんだ。僕たちにできることはないか? それとも打つ手なしなのか?」
その言葉に、《次元袋》から巻物を数巻取り出す。描かれていた紋に触れ、天に振るう。
三羽の黒い鳥が飛び立った。
「近辺にいるシャドーを探してください」
指示を下すと、一斉に声を上げて別々の方向へ舞い上がる。
「今のは……?」
「タビツバサというカラスに似た魔物です。知能が高く、ある程度言葉も理解しますし、顔も見分けることもできます」
クラレンス殿下の問いかけに答える。
ただ、タビツバサたちにはマリナの顔をまだ見せていない。代わりに、希少な魔物で過去に視認したことのあるシャドーを探索対象にした。
「シャドーは別の場所に転移することができますが、その距離には限度があります。出現した位置と方角さえわかれば、向かった場所がわかるはずです」
「わかった。そちらは君に任せる」
近場にいた騎士が鎧を軋ませながら駆けてくる。彼らは事情を確認し、状況を把握した。
「――わ、わたくしも、わたくしもなにか手伝わせてください!」
真剣な面持ちでフェリシエが名乗り出た。
が――
「申し訳ありません、フェリシエ嬢。どうか留まっていてください」
「なぜですのっ?」
「聖女様を直接狙うような相手です。危険が伴います」
私の言葉に、殿下が顔を強張らせる。
「まさか……【使徒】なのか?」
「使徒の顕現までには時間があります。おそらく、それに類する敵対勢力だと思われます」
魔神の信奉者か、使徒を担ぎ上げる勢力か、はたまた知性を持った魔物の連合か――どれにしても危険極まりない者たちだ。
「今は下手に動くより、タビツバサたちの情報を待った方がいいかと」
「ああ。なにかわかったらすぐに知らせてくれ。騎士たちにも哨戒を頼もう」
殿下は素早く指示を出す。
慌ただしく動き回る周りの音を遠くに置く。そしてただ祈っていた。
聖女様、どうかご無事で――
◆ ◆ ◆
フェリシエが乾いた私服を手に戻ってきた。浮かない表情のまま。
決して長くはない時間が、今はひどく遅く感じる。
長老は家の中で待つように言ってくれたが、どうしても腰を下ろしていることができず、門の前で落ち着きなく立ち尽くしていた。
明るい空に、影が差す。
「あ!」
片手を上げると、羽音とともに一羽の黒鳥が止まる。
『キタ、ニシ、イワ、タニ』
「北西方向ですね。ありがとう、お疲れ様」
労いの言葉を掛けると一声鳴いてふわりと消えた。
残りの二羽も間を置かずに戻ってきたので、それぞれの情報をまとめる。飛んできたタビツバサたちに気付いたのか、クラレンス殿下が駆け足で近付いてきた。
「召喚士、なにかわかったか?」
「北西の谷。おそらく岩場の隙間。洞穴かなにかを見つけたようです。一度長老に確認してきます」
この近辺に詳しいであろうキュクロプスの長老に意見を仰ぐことにした。
そこからの動きは早かった。
長老に尋ねると、その方角には確かに岩場があり、地下へ続いている洞穴があるという。見つけづらい場所にあるようで、地の利のある村人が付き添ってくれることになった。
向かったメンバーは私と殿下、護衛の騎士二人。もう一人には念のため村に留まってもらうことになった。フェリシエ嬢は少し葛藤していたが――
「……わかりましたわ。マリナお姉様のご無事をお祈りしています」
自身にできること、できないことを冷静に判断していた。
心配そうなフェリシエに見送られ、私たち一行は村を発つ。
同行していたキュクロプスの男性を先頭に、山道を歩いて、歩いて、だんだんと緑が少なくなっていることに気付いた。
ごつごつとした岩肌が露出し、小高い崖の下には亀裂が走っている。日中とは思えないほどの闇が奥に伸びていた。
「ここに……」
洞穴から流れてくるひやりとした空気に、思わず生唾を飲み込んだ。
殿下も顔を強張らせている。きっと私も同じような顔をしているだろう。
マリナは――もともと戦いに身を置いていない人物だ。圧倒的な聖女の技能を目にしていて忘れていたが、元来戦士ではない。
不意を打たれる危険性は十分あったのに、そのことが頭から抜けていた。
私も、気を引き締めていかなければ。
「案内ありがとうございました。ここで待っていてください」
『ん』
道案内をしてくれた一つ目巨人を入口に待たせ、冷たい暗闇へと足を踏み入れた。
◆ ◆ ◆
『めぇ~』
発光する魔獣が横長の瞳孔で周りを見渡す。羊に似た姿のそれは、蹄を鳴らしながら先頭を進み、あたりの石壁をほのかに照らしていた。
「エレキテルシープと言います。見ての通り非常に明るく……あ、殿下。触らない方がいいですよ。しびれてしまいます」
「え……ッ」
もふもふの毛並に触れようとしていたクラレンス殿下が瞬時に手を引いた。
触りたくなる気持ちはわかるが、電気を蓄える性質上、むやみに手を出してはいけない。
岩の隙間は、細いながらも行き止まりになることなく、どこまでも続いていた。緩やかな傾斜が、地下へ向かっていることを示している。
小柄な私や、比較的軽装な殿下はまだしも、甲冑姿の騎士たちは窮屈そうにしていた。
「本当にここに聖女殿が……?」
不安そうに殿下が尋ねる。誰かに向けた疑問というより、独り言のようだった。
「タビツバサの情報を信じま――」
そのときだ。
洞穴の奥深くから爆発音。パラパラと砂が落ちてくる。
「召喚士、今のはまさか」
「行きましょう!」
発光する羊とともに駆け出す。光源を追いかけるように、足早に先を急いだ。
進んでいくと、足元に夜光石のかけらが散っていた。どうやらこの微かな道しるべを頼りに、ここを行き来する者がいるようだ。
「――あっ、明かりです」
大きな空洞に出くわした。
低い天井に魔力で動作するカンテラが吊るされ、ここを中心にいくつもの道が伸びている。簡素な机や椅子、研究に使うような器具や魔術の道具が乱雑に捨て置かれていた。
間違いなく、人がいる形跡だ。
足音を殺しつつ様子を伺う。
すると――
「なにすんのこの年増女! 偉そうにしないで! アタシを誰だと思ってんの!?」
「うるっさいわよ小娘が! あんたねぇ、悪いことしちゃいけないってパパやママに教わらなかったの!? 親の顔を拝んでみたいわまったく!」
甲高いヒステリックな声と、迫力ある母のような説教が聞こえてきた。
後者には完全に聞き覚えあり。
殿下が困り顔でこちらを見る。そんな顔されても……
「あの、聖女様、これはいったい……?」
おそるおそる歩み出る。
「えっ、アシュレイ! わざわざ来てくれたの?」
こちらに気付き、表情を明るくする。
改めて見ても、その状況は謎の一言だった。
銀の錫杖を構えて仁王立ちするマリナと、地面に座り込んで涙目のまま睨み上げる少女。歳はフェリシエより少し下だろうか。上質な身なりに長い金色の髪も手入れされているのがわかる。一見可愛らしいが、目元は怒りでつり上がっていた。
「そもそもなんで聖女がここにいるの! 意味わかんない!」
「あんたが連れてきたんでしょうが! 意味わかんないのはこっちの台詞よ!」
もっともな怒りをぶつけるマリナ。
彼女が勇者の相手以外でここまで声を荒らげるのは珍しい……というより初めてだ。
「それで聖女様、あの、こちらの方は?」
埒が明かず尋ねると、意外な方向から答えが返ってきた。
「――げっ、グノー家の妹……」
嫌悪感をあらわにした苦々しい声が、背後から聞こえて振り返る。
眉間にしわを寄せ、死んだネズミでも見つけたような表情のクラレンス殿下。今までの王子然とした立ち居振る舞いの彼からは想像もつかないほど顔を歪ませていた。
「殿下、お知り合いで――」
「あらぁ~、クラレンス殿下も来てたのねぇ~! こんなところまでアタシを探しにきてくれたのぉ?」
私の言葉を遮り、百八十度変化した声色で少女は歓喜した。
あまりの変化に戸惑っていると、少女は立ち上がって殿下に近付く。
「な、なぜグノー家の妹がここに?」
「そんな他人行儀な呼び方しないでぇ、アタシのことはグロリアって呼・ん・で。キャッ、恥ずかしい!」
赤らんだ頬に手を添え、身体をくねくねと揺らす。
殿下の顔は死んでた。
キャッキャとはしゃぐ少女の首根っこを、後ろからむんずと掴む人物が。
「まだ話は終わってないわよ。こっちに来なさい!」
「だから手違いだって言ったでしょ! おばさんって耳も遠いの!?」
「黙りなさい! 二十八は微妙なところなのよ!」
そのままずるずると少女を引きずり、マリナは岩の道の一つに消えていった。
取り残された私たちは、しばらくそのまま固まっていた。
「……殿下、ご説明いただいてもよろしいでしょうか?」
顔を引きつらせたままのクラレンス殿下は、額を片手で覆う。
「…………わかった」
そう力なく呟いた。
洞窟の奥からから反響する声。
少女――グロリアの怒声を聞きながら、聖女が満足するまでこの場で待つことにした。