【EP.2】袖触れ合うも多生の縁
青い空。緑の遠景。土の道。
数頭の馬と鎧の騎士が私たちを取り囲む。その中で、上質な装いの男性――少しだけ幼さを残した青年は、聖女の手を取り跪いていた。
晴れやかな相手とは対照的に、マリナは困り果てて顔だけこちらに向けた。
「アシュレイ、この人ってまさか……」
「はい、王都の殿下ですね。一瞬で見初められるとは、さすが聖女様」
王族をも魅了してしまう聖女に、なんだか自分まで誇らしくなった。
クラレンス殿下はこちらをちらりと見て、すぐに真正面のマリナに視線を移す。
「それで、麗しきあなたのお名前は?」
問われたマリナはそっと手を離しながら小さく答えた。
「マリナ……」
「聖女マリナ! 名前まで美しいなんて!」
立ち上がり、大仰に手を広げた。
マリナはドン引きしていた。
「せ、聖女様、大丈夫でしょうか?」
チバシリリュウを見たときと似た顔をしていたマリナに、心配して小声で問いかける。
「エグいイケメンだけどテンションがムリ」
「いけ……?」
同じく小声の早口だった。言葉の意味のすべては理解できなかったが、マイナス方面の印象を抱いているのはわかった。
「あの、クラレンス殿下。聖女様になにかご用でしょうか?」
おそるおそる割って入ると、冷静になった殿下は咳払いを一つして話を切り替えた。
「君が今回の召喚士か? 僕たちは教会からの報告を聞いて、いてもたってもいられず駆けつけたんだ」
「報告ですか?」
「そうだよ――召喚は失敗だってね」
こちらを見下ろし鼻で笑った。
「え……」
驚いて目を見開いた。マリナも不思議そうな顔をしていた。
「どういう、ことでしょうか?」
「召喚時の不測の事態で聖堂は半壊。【勇者】は行方知れず。【聖女】は単独行動を強いられている。これのどこが失敗じゃないというんだい?」
「…………」
淡々と事実を並べ立てられ、押し黙ってしまった。
殿下は再び聖女に向き直ると、爽やかな笑みを浮かべて提案した。
「ともかく、一度移動しましょう。馬も用意しているよ」
騎士の一人が、誰も騎乗していない馬を引いてきた。
「でも、あたし馬に乗ったことなくて……」
「ご心配せずとも、国一番の賢い馬を連れてきたんだ。不慣れな聖女殿でも問題ない」
と、マリナの手を引いて馬に乗せた。
「ああ、そうそう」
わざとらしく殿下は顔を手で覆う。こちらを見て深くため息を吐いた。
一頭しかいない馬。馬上の騎士たち。自分の馬に再び腰を据える殿下。
「君の馬はないんだ。どうしても王都に来るなら、あとから足で追いついてくるといい」
あからさまな態度に、マリナがなにか言おうとするが――
「あ、ご心配なさらずとも、チバシリリュウで追いかけます。聖女様も、離れていれば大丈夫ですか?」
念のためマリナに確認を取ると、一瞬戸惑いながらも頷いた。
不服そうに鼻を鳴らすと、殿下は騎士たちを連れだって来た道を引き返した。
聖女を乗せた馬は、周りの騎馬とともに併走している。
その数頭の集団より少し離れながら、チバシリリュウの背に揺られていた。二足歩行のため馬よりも揺れるが、速度もスタミナも申し分ない。
五馬身ほど離れた聖女は、並び進むクラレンス殿下になにごとか話しかけられているようだ。
なにを話してるんだろう……声は蹄の音にかき消される。
ほとんどは殿下が口を開いていたが、聖女も二言三言返しているようだ。
「でも、聖女様が歩き疲れることなくてよかったね」
鱗の生えた首を撫でると、『グギュ?』と不思議そうに喉を鳴らされるだけだった。
◆ ◆ ◆
聖女の顔には疲労の色がにじんでいた。
「あの、聖女様……?」
「コネ入社してきたアホ新人を相手にしたときより疲れた」
休憩を挟みつつ馬とチバシリリュウを走らせ、日が傾き始めたころには王都の門をくぐっていた。中央街道を進み、王都の中心部にある王城に辿り着く。
石造りの城門を通り抜け、絨毯が敷き詰められた広い部屋に案内される。
見たこともない装飾やシャンデリア、絵画、陶芸品……高い天井を見上げているときは口が開いていたと思う。
脱力しているマリナと、キョロキョロする私。
少しして――
使用人に謁見の間へ案内された。
「使徒討伐の多忙な旅路の中、王城を訪ねていただき感謝する」
壮年の男性が、王座に深々と腰を下ろして語りかけてきた。堂々とした佇まい。思わずこちらの背筋が伸びる。男性のまとう威厳すべてが――この国の王たる風格だった。
傍らには鎧の兵士たちが控え、王の一番近くにクラレンス殿下も立っていた。
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
聖女が姿勢を正して礼をする。それを真似て頭を下げた。
それまで顔に張り付いていた疲労を一瞬で消し、マリナは冷静な立ち居振る舞いで対応していた。のちに感嘆の言葉を伝えたら、シャカイジンの業だと言われた。
場面を戻すと、王は厳かに話を続けた。
「しかし、此度の召喚の儀、いささか不慮の災難に見舞われたと聞く。聖女といえど、片翼である勇者が行方知れずとなり、さぞ心細いことだろう」
瞬間的に聖女のまとう空気がピリッとした。
すかさず私が、司教様から預かった手紙を取り出し、近くの兵士へ手渡す。兵士は中身を確認すると、静かに陛下へ差し出した。
「――ほほう。あのベクトール殿が文をしたためるとは」
目を細め、口元の髭を揺らす。
「込み入った話をしよう――人払いを」
片手をあげて陛下が指示を下すと、兵士たちが一礼して部屋を去った。
「父上、僕は――」
「お前も部屋に戻りなさい。聖女の案内、大儀であった。休息を取るがいい」
「……わかりました」
気遣われたクラレンス殿下は、まだなにか言いたげな顔をしていたが、一言添えてその場をあとにした。
足音が遠のき、遠くの扉が閉まる音がする。
沈黙を破ったのは、国王の深い吐息だった。
「……愚息が迷惑を掛けた。すまなかった」
そう言って頭を下げる姿に、私と聖女は顔を合わせて目を丸くする。
戸惑いながら、マリナが声を掛けた。
「ご事情があると御見受けします。仔細を伺っても?」
静かに促すと、玉座の背もたれに身を埋めながら語り出した。
「先ほどの若者はクラレンス――彼を含め、私には三人の息子がいる」
長男のダレン、次男のエッセル、そして三男のクラレンス。
名目上、王位継承の序列は存在するが、順当にいけばダレンが次期国王である。
しかし、ダレンが国内の主要都市へ移動中、魔獣に襲われ重傷を負ってしまった。幸い命に別条はないものの、身体を動かすのに支障が出ている。
次男のエッセルは周辺都市を巡回し、本人の性格もあり王都に戻ることは滅多にない。
長男、次男がともに国の中枢を離れ――三男が活気づいた。
「はっちゃけちゃったのね……」
沈痛な面持ちでマリナが呟く。
「行動力があるのはクラレンスの美点だが、少々突飛なことをやらかすこともあってな……悪い子ではないのだが」
王曰く、クラレンスはもともと大人しく書庫にこもっていることが多かったらしい。さまざまな分野の知識を身に付け、ときに柔軟な発想で適切な助言をすることもあったとか。
「そちらの召喚士よ」
「は、はいっ」
「もしや、クラレンスから不躾な扱いを受けなかっただろうか」
思い返せば、どうにもこちらに刺々しいことが多かったような……
「アシュレイ、あなた怒ってもいいくらいのこと言われてたのよ」
「そうだったんですか……」
マリナの言葉に、陛下が眉根を抑えてうつむいた。
「非礼を詫びよう。しかし、あやつが気に入らないのは召喚士個人ではなく、教会に対するものなのだ。気落ちせぬように」
「そう、ですか」
気遣われているのはわかったけど、どう答えるのがいいのかわからなかった。
「百年前の事変にて、どうにも教会に悪印象を抱いているようなのだ」
「あー、アレですか……」
書を好むクラレンス殿下のことだから、どこかで百年前の件を知ったのだろう。それなら、彼の立場を考えると、今回の態度に繋がったのも理解できる。
「――ねぇ、ちょっと」
袖口が引っ張られた。マリナだ。
「なんなの、百年前の事変って」
「あ、聖女様はまだ知らないんですよね。あとでお時間いただければご説明いたしますよ」
声を抑えて伝えたけど、陛下にも聞こえていたようで――
「うむ。長旅の客人の足を疲れさせたままにはできん。今晩は城の客室を使うがよい。食事も用意させよう」
手を叩いて使用人を呼ぶと、私たちは城内の廊下を案内された。
◆ ◆ ◆
夕食をご馳走になり、一人部屋の個室をそれぞれ用意してもらった。
今まで見たこともない豪奢な部屋とふかふかなベッド……! 初めて見るものばっかりだ。調度品は怖くて触れなかった。
一人でうっかりはしゃいでいると、廊下で話し声が聞こえる。男性と女性の声。
「……聖女様?」
女性の声は明らかにマリナのもの。心配になって扉の隙間からそっと覗いた。
魔力の灯が廊下に点々と灯っている中、となりの開かれた扉の前に立つ青年――クラレンス殿下がいた。
「――で、聖女殿と親睦を深められればと」
「すみません、今日はもう遅いので……」
室内のマリナと押し問答。
彼女の顔は見えないけど、声色から察するに困っているようだ。
「聖女様!」
たまらず部屋から飛び出す。
こちらを一瞥したクラレンス殿下は明らかに嫌悪をあらわにした。が、マリナはほっとしたような顔で私の腕を掴んだ。
「ごめんなさいね、女同士で積もる話もあるの。ご遠慮なさってください」
それだけ告げると、私を部屋に引き込んでドアを閉じた。
「聖女様」
「いいタイミングだったわ。どうにもあのタイプは扱いに困って――」
「聖女様、あの」
「なによアシュレイ?」
マリナの勘違いを正さないといけない。
「ええと、私、女ではありません」
「…………え?」
笑顔が固まった。
しばらく私の顔をまじまじと見つめ――
「男……ってこと?」
「あ、いえ、そうでもなく」
どう伝えればいいのか……
迷った末、百聞は一見にしかず。服の留め具に手を掛けた。
マリナは目を見開いていた。
「あのー、おわかりいただけましたか?」
再び着込んだ服を整えながら、聖女の顔色をうかがう。
「つまりあなたには、その……性別がないってこと?」
「はい。ご理解が早くて助かります」
女性的でも男性的でもない、ただなにもない平坦な身体。自分のことだから忘れていたけれど、聖女の世界ではあまり一般的な存在ではないのだろう。マリナはひどく動揺しているようだ。
「錬金術による人工生命体の――」
「ま、待って。ちょっと待って。待ちなさい」
まだ説明が必要かと思い、さらに言葉を続けようとしたら、マリナから制止が下った。
頭を抱えた彼女は一言。
「情報量」
とだけ発した。
「すみません。前提知識の付与にも限度があって、言語や生物の概念などで精一杯なんです」
「……頭痛くなってきた」
ふらふらとベッドに腰掛ける。卓上ランプの淡い光が、ぼんやりと室内を照らしていた。
不安になって問いかける。
「聖女様は、私が女である方が望ましいでしょうか……?」
「そういうワケじゃないけど……ちょっと驚いてしまって」
嫌われているのではないとわかって安心した。
王に謁見したときの話題を思い出す。
「百年前のお話、また後日にいたしますか?」
彼女は一呼吸分考え、口を開く。
「いえ、気になって眠れないから、話して」
「わかりました!」
サイドテーブルの椅子をベッドに寄せて座った。
百年前――前回の【使徒】に抗うため、【勇者】と【聖女】が召喚されたとき。
その年の召喚の儀は特殊だった。
歴代の勇者と聖女の召喚はすべて教会が担うのが通例となっている。教会は召喚士をはじめ、さまざまな分野の術師が属していた。彼らの技術により、召喚の儀の安定は保たれていると言っても過言ではない。
しかし前回に限り、勇者と聖女の召喚を、教会と王家が分割して行ったのだ。
「なんでそんなことを?」
「過去の文献を確認したのですが、どうにも理由がバラバラで……『王家の権力誇示』とか『教会の不備および想定外事案』とか」
召喚の儀を行えるのは天賦の才を持った召喚士のみ。
けれど、そんな不安定な存在を天に祈り続けることはできなかった。
「いつからかは忘れましたが、召喚の安定化を図るために、生まれながらの召喚士が造られるようになりました。錬金術の賜物だそうですよ」
そっと手を差し出すと、マリナがおそるおそる両手で包んだ。
「あたしたちと変わらないじゃない……」
マリナの手は暖かい。
「アシュレイはそれでいいの?」
「……といいますと?」
「生まれながらに人生決まってるようなもんでしょ。窮屈じゃないの?」
憂いを帯びた、なんともいえない表情だった。
「考えたこともありませんでした。でも――」
短いながら、思考の末の結論を述べる。
「自分の成すべき使命があり、それに邁進することは、私にとって幸福なのです」
「…………」
「あ、話を戻しますね」
バラバラに召喚された勇者と聖女は、結局のところ使命を全うした。
しかし、互いの勢力の足並みがそろわなかったのか、足を引っ張り合ったのか、当時の各方面への被害は甚大なものとなったらしい。
それで今回の召喚は、相互の信頼関係を重視した方針で行われた――はずだった。
「こればかりは本当に想定外で……」
「まぁ、うん、そうよね」
あとはクラレンス殿下について。
「推測なのですが、殿下は教会側の不備についての記述を見たのではないでしょうか。もしくは教会が、損害の責任を王家に押し付けたと考えたのかもしれません」
「あー、そういうことね」
王家の人間である彼からすれば、自分たちに泥を塗ってきた相手。いい顔はしないだろう。
「クラレンス殿下は、王家の威信を示すために聖女様のお手伝いを願い出るかも」
「勘弁して……」
あくまで推測の話なのに、マリナの顔は一瞬で曇った。
「まあまあ。明日のことは明日、ですよ」
「ああ、そうだったわね」
マリナは小さく笑うと、ベッドにもぐりこんだ。
「もう休むわ。アシュレイもゆっくりね」
「はい。おやすみなさいませ、聖女様」
そう言い残すと、静かに部屋をあとにした。
◆ ◆ ◆
朝。
身支度を整えると、食卓のある部屋に案内され、朝食を振る舞われた。
陛下の時間が空くのが昼前になるらしく、しばらくマリナの自室で今後のことを相談していた。
「そうだ。陛下に馬を借りられないか尋ねてみましょう。もしくは訓練された馬が買える場所があればいいのですが」
「ちなみに馬だとどのくらいになる計算?」
問われて、寸刻考える。
「うーん、多く見積もって二か月くらいでしょうか」
「それでもけっこうかかるのね。まぁ車とか電車と比べられないか」
小さく呟きながらマリナは納得した。
道中のことも確認しようとしたとき――
城内がにわかに慌ただしくなる。
「どうかしたのでしょうか?」
困惑していると、部屋のドアにノック。兵士らしき相手が扉越しに告げた。
「聖女様、謁見室にて陛下がお待ちです。召喚士様も」
どこか強張った声音に、私もマリナも眉をひそめた。
室内には見慣れた顔ぶれがそろっていた。
昨日より深いしわを眉間に作る陛下。神妙なクラレンス殿下に兵士たち。
その中に、一人だけ知らない人物がいた。
「娘が……娘が……ッ!」
身なりの良い初老の男性。低い背をさらに丸めてさめざめと涙を流している。彼は陛下の足元に跪き、何度も何度も頭を下げていた。
マリナに気付いたクラレンス殿下が近付いてきて状況を説明した。
「彼は王室付きの医者で、代々王家に仕えてくれている。今回、彼の娘が災難に見舞われたようなんだ」
医者がこちらを振り返る。茶色の髪やひげも、普段なら整えられているのだろうが、今はどちらもくしゃくしゃになっていた。
陛下もこちらに視線を向ける。
「彼の娘であるフェリシエ嬢が、道中魔獣の襲撃に遭い行方知れずだという。この者の家系には数えきれぬ恩がある。聖女殿も、もし旅のさなかで縁があれば、どうか助けてやっては――」
「聖女ですと!?」
医者は丸みのある身体を跳ね上げ、マリナの前まで転がるように移動した。
「おお、今代の聖女様にもお会いできるとは……! これを奇跡と言わずなんと言うのだ!」
涙はそのまま、感激に顔を輝かせるおじさん。
「聖女様に『も』……?」
マリナからわずかに殺気が漏れる。医者はそれに気付かず続ける。
「馬車が魔獣に襲われ、這う這うの体で逃げていたとき、なんと魔獣の一体が私に襲い掛かったのです。我が命もここまでかと思ったとき――彼が現れたのです」
医者が語る。目を閉じて襲い来る衝撃を覚悟したが、いっこうにそれは訪れない。薄目を開けあたりを確認すると、目の前には一人の青年の後ろ姿。倒れ伏す魔獣たち。
「彼は言いました。自分は勇者である、と」
「へぇ……」
温度のない返答をするマリナ。
「せ、聖女様、もしかしたら通りすがりの自称・勇者かもしれませんから」
ただならぬ空気に、よくわからないフォローを入れてしまった。
陛下はなにかを察して身構えていたが、初老の医者はさらに過去を振り返る。
「藁にもすがる思いで、その青年に経緯を伝えました。すると――」
――『娘さん何歳? 十八歳! 助けられたらディナーに誘ってもいい? 人生で一番素敵な思い出を作ってあげるからさ』
「聖女様! 平静を! どうか落ち着いて!」
話を聞くにつれ鼻息が荒くなる彼女を抑える。
「ダイジョウブ。冷静よ、ええ」
固く握りしめられたマリナの手を両手で包んだ。すると少しだけ落ち着いたようで、拳の力が緩む。
「勇者はその場を風のように駆け、魔獣が去った方へと向かって行きました。ですが、勇者とはいえたった一人。ことは一刻を争うので、こちらに駆けこんだ次第です」
そこで娘のことを思い出したのか、再び号泣する。
「ああ、どうか、どうか無事であってくれ……フェリシエ……」
三者三様な面持ちのまま、医者の嗚咽のみが室内に響く。
「……いかがいたしましょう?」
話を促すためにも、聖女の意志を尋ねる。
「行きましょう」
「本当ですかっ! ありがとうございます! ありがとうございますっ!」
即決したマリナに、医者が喜びの声を上げる。
「お嬢さんの身が心配です。野放しの獣に追い立てられるなんて……!」
「なぜでしょう。二重の意味に聞こえます」
そこで、成り行きを見守っていた国王が咳払いを一つ。
「我が国の騎士も向かわせよう。すぐに手配を」
王の号令に、兵士の数人が鎧を軋ませつつ場を離れた。
「父上、僕も行きます」
クラレンス殿下が宣言した。
「お前は大人しくしていなさい」
「いいえ、聖女殿も向かうなら僕も助力します」
「だが――」
なおも言い募ろうとするが、殿下は真正面から国王を見つめる。彼の決意に陛下も諦めた。
「聖女殿、すまないが愚息も同行させてもらってもよいだろうか?」
「構いません。場合によっては捨て置くのでそのつもりで」
昨日の慇懃な態度とは異なり、冷徹な仕事人の顔だった。殿下は『えっ』という顔をした。
マリナが屈みこんだままの医者に目線を合わせ、口元だけの笑みを浮かべる。
「それで、その勇者とかほざく男を見かけた場所を教えて、ね?」
◆ ◆ ◆
男は走っていた。
少しでも早く進まねば、と願ったら銀細工の具足が足を覆った。瞬間、飛翔するように森を駆け抜ける。
かつての勇者のいずれかが得た権能だろう。脳の奥から沸いてくる知識がそう伝えている。
協会から飛び出し、外の世界をあてもなく進んでいると、目の前に現れたのは二足歩行の魔獣の群れ。それに囲まれる一乗の馬車。
しかしたどり着いたときには馬車は半壊しており、近場の一団を片付けていると、すでに別同部隊の魔獣たちは布に包まれたなにかを抱えて去っていった。
「うう……」
崩れた馬車の木材をかき分けながら、小太りの男が這い出てきた。
「大丈夫かおっさん?」
手を貸して起こすが、それでも男は焦燥して辺りを見回す。
「む、娘が……娘がいるのです! 見ませんでしたか!?」
「まさか、さっきの」
魔獣の一体が抱えて来た布の塊。あれはドレスを身にまとった女子だったのだろう。
男は娘の詳細を尋ね、ついでに余計なことも言いつつ、聖銀を脚部にまとって風になった。
「待ってろフェリシエちゃん! 今助けに行くからな!」
勇者トシヤの声が、朝日の差し込む清涼な木々の間を通り抜けた。