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【EP.1】覆水盆に返らず


「司教様、召喚成功です!」

 二つの光が聖堂の天井までをも照らす。

 召喚士である私でも目を細めながら見ていると、だんだんと二つのシルエットが浮かんできた。

 一人は男性。短い黒髪の、身軽そうな格好をした若者。

 もう一人は女性。長い黒髪を一つに束ね、黒服を身にまとった貴人。

「ほう、【勇者】と【聖女】の同時召喚、大義であったぞ。召喚士・アシュレイよ」

「はい! お褒めに預かり光栄です、ベクトール司教さ――」

 ま、を言う直前。

 聖堂内に、鈍い打音が響く。

 聖女の剛拳が、勇者の顔面にクリーンヒットした。


「アシュレイよ、確認なのだが……」

 長い白ひげを落ち着きなく撫でながら、司教が私を見下ろした。

「なんでしょう司教様?」

「此度は百年前の反省を踏まえ、同じ異世界より信頼の契約を結んだ者同士を呼んだと聞いたのだが」

「ええっと――」

 召喚要綱を書き記した巻物を確認する。

「……はい、間違いありません。共生契約――異世界曰く『婚姻』を結んだ、適性のある男女が選択されたはずです」

「いやだがしかし」

 深い皺をいっそう深くして、司教は目の前の光景を眺める。

 そこには――

「やっとこのバカとあのバカ女に慰謝料請求できるところだったのに、なんで……なんでこうなるの!」

「理解したぞ! これが異世界召喚ってやつだな!」

 うずくまり、石タイルに拳を握りしめる聖女と、片頬を腫らしたままあっけらかんと状況を飲み込む勇者。

 数回前から恒例である前提知識の付与も、二人の召喚時に行っている。不要な混乱を避けるための措置だけど、ここまで反応に差があるのは前例がない。

「しかもこの愚かさの擬人化みたいな男が勇者? 終わりね、この世界は」

「せ、聖女様が不吉な予言を……!?」

 吐き捨てるような聖女の言葉に、思わず動揺の声を上げる。

「慰謝料も離婚もチャラだ! 異世界最高! ひーたんがいないのが残念だけど、オレは自由だ!」

 その言葉に――

 キッ、と目を吊り上げた聖女の鋭い視線が向けられる。

「逃がすとでも?」

「悪いな、マリナ。オレはいつでも真の愛に向かい、神もそれを祝福しているようだ」

 髪を掻き上げ、謎のきらめきをまといながら、勇者が遠くを見つめる。

「トシヤ、この……バカ男が……ッ」

 よろりと立ち上がり、聖女の腕が宙に向く。

 その手中に、人の背と同じほどの錫杖が現れた。白銀色の、精巧な装飾が施された荘厳な一品。

「あれは……!」

 傍らの司教様が声を上げる。

「ど、どうなさいました司教様?」

「あの錫杖は、五百年前の聖女も手にしていたとされる《天理の杖》! 当時顕現した魔神の使徒を次元の狭間へと消し去ったという……目にする日が来ようとはッ」

 滅多に感情を表さない司教様が抑えきれない感動を噛み締めていた。

 けれどその矛先は紛れもなく勇者に向いていて――

「消えろォォォ!」

 ドスの利いた聖女マリナの怒号とともに、空間に亀裂が走った。割れた透明ガラスの向こう側の景色を見ているよう。

 目に見えない破砕の波紋が勇者に届く――と思えたとき。

「悪いが、まだオレの愛を止めるわけにはいかない!」

 勇者も右手を掲げると、盾のようなものを生み出し、空間破壊の衝撃を弾き飛ばした。

「あ、あれは!」

「再びどうなさいました司教様!?」

 視線を移した司教様が、再び驚きに目を見開く。

「あの盾は、七百年前の勇者が手にしていたとされる《破世の盾》! 当時の使徒が卑劣にも集団で魔弾を放ったもののそれを見事にすべて防ぎ、傷一つなく生還した勇者が一転攻勢に出たという」

 第一波を消し飛ばした勇者が、空いた片手で前髪を正す。

 それを憎々しげに見つめ、奥歯を噛み締める聖女。錫杖を振り上げ、第二第三の攻撃を繰り返す。

「死ね! 死ねっ! 死ねェ!」

「ふはははは! 軽い軽い!」

 聖女が衝撃波を放ち、勇者がそれを弾く。弾かれた破壊力は聖堂の柱を崩し、壁をえぐり、ステンドグラスを粉砕し、そして――

「し、司教様危ない!」

 そのうちの一つがこちらへ向かってきた。

 私は反射的に司教様へ飛びかかり、わずかに残っていた柱の陰にまとめて倒れ込んだ。

 もうもうと立ちこめる砂煙の中、それでもなんとか状況を把握しようと彼らの姿を探した。

「あ……」

 聖女と目が合った。彼女は我に返って、こちらに申し訳ないような視線を向けていた。

「ご、ごめんなさ――」

 聖女マリナから乾いた声が漏れた。

 それを遮るように――

「じゃあなマリナ! 一度頭冷やしておけよ」

 遠くから聞こえた勇者の捨て台詞。それきりなにも聞こえなくなり、視界が開けてきたときにはすでに私たち三人しか残っていなかった。

 度し難い静寂が場を支配した。

「な、なんということだ。聖堂が……げほっ、げほっ」

 身を起こそうとした司教様が咳き込む。

「ご無事ですか司教様。一度お部屋で休みましょう」

 日頃から毅然としているけど、司教様もだいぶお年を召された方だ。万一のことがあってはいけない。

 私一人の力では運べないので、腕力のある使い魔を召喚しようとしたとき。

 ――となりに人の気配。

「手伝います」

 聖女マリナだった。

「あ、聖女様。お怪我はありませんか?」

「あたしは大丈夫。あなたたちは?」

 先ほどまでの荒れ様と打って変わって、塩を振られた青菜のように大人しかった。

「私は大丈夫ですが、司教様が……」

 座り込んだまま腰をさする白髭の老爺を見下ろす。

「さっき部屋って言ってたわね。支えます」

「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで大丈夫ですよ」

 マント裏の鞄から巻物を一つ取り出し、呪文を読み上げる。人型の使い魔。屈強な上半身と揺らぐ煙の下半身をもつ魔力生物。それは軽々と司教様を抱え上げると、そのままふわふわ移動した。

 聖女様はその光景をぼんやりと見送っている。

「いろいろとお聞きしたいこともあると思うので、腰を落ち着けてお話いたしましょうか」

 そう提案して、教会内の一室に案内した。


  ◆  ◆  ◆


「なんだか変な感じね。初めて見るものばかりなのに、それがなにか理解できるっていうのは」

 石壁に囲まれた小部屋。

 最低限の家具しかない私の部屋で、聖女マリナはテーブル横の椅子に座り溜息をついた。

「召喚時に前提知識を付与しています。ご気分はいかがでしょう?」

「良いか悪いかって言えば、正直最悪よ」

 再び深々と息をつくと、額を抱えてうつむいた。

 二人分のお茶を淹れ、カップを卓上に差し出すと、彼女の向かい側に腰を下ろす。

「ごめんなさい。でも、こちらもこれしか手段がなかったのです」

「なんだったっけ。魔神の……」

「使徒です」

 頭の中で順序を整理して、私は口を開いた。


 この世界に存在するおぞましい存在――それが魔神。

 しかし今、魔神はこの世界にいない。何千年も昔に、世界の裏側に封じられた。

 封印されただけで消失したわけではない。魔神は自身の封印を破るために百年に一度、表の世界に使徒を放つようになった。

 いかなる屈強な戦士も、聡明な賢人も、魔神の加護を得た使徒には手も足も出なかった。

 苦肉の策で、当時の召喚士が異界から勇者と聖女を召喚する。

 その両者が尽力し、見事使徒を討ち滅ぼしたのだ。

 以来、定期的に訪れる破滅の足音を、異界からの使者を召すことによって防いでいる。


「こちらの事情は以上です。従来では聖女と賢者は適性のある他人同士だったのですが、事前から信頼関係が築かれている方が良いと考えて、今回は共生……婚姻関係にあるお二人をお呼びしたのです」

「エグいのね」

 遠い目をしながら聖女が吐き捨てる。言葉の意味が捉えきれず、首を傾げた。

「どういうことでしょう?」

「要するに、お互いがお互いの人質になるんでしょ。元の場所に戻れる保証もない中、絶対断られないように――」

「そ、そんなつもりじゃ……! ご使命を果たしていただいたあとは、もちろん元の世界にお帰りいただいています」

 多大な誤解を与えているとわかり、慌てて弁明する。

 それでも聖女マリナの態度はそっけないものだった。

「そう。だとしても、今回ばかりは致命的な人選ミスね」

 彼女の言葉に、先ほどの半壊した聖堂が脳裏に浮かぶ。

「なにか事情があるとお見受けしましたが……」

「それはもういろいろとあったのよ……いろいろ……」

 苦虫を百回噛み潰したような表情の聖女。整った尊顔が怒りで歪む。

 何度目かわからない溜息をつくと、マリナは静かに語り出した。


 長ケ部(おさかべ)万里奈(まりな)秋口(あきぐち)寿也(としや)と出会ったのは仕事がきっかけだった。

 お互い別のカイシャに勤めていたが、トシヤの方から積極的に近付いたこともあり、プライベートで食事に行くまでの間柄になるのに時間はかからなかった。

「あたしもそれまでは仕事一本で生きてたから、あのバカの耳障りのいい言葉に気を良くしてしまったのが間違いだった」

 目に暗い色を宿しながらマリナは続ける。

 交流を深めるうちに、自分を幸せにしてくれるのはこの男しかいない。そんな幻想を見せられてしまった。

「お互いに大事に想っていると思ってた。なのに……なのにッ」

 拳をテーブルに打ち付けた。

 ダンッ、という重い音が奥まった小部屋に響く。

 一年ほどの付き合いを経て、マリナはトシヤのプロポーズを受けた。小箱に収められた指輪を見たときは、自分のことを世界で一番幸せな女だと思った。

 小さな、けれど幸福な結婚式を挙げ、夫婦となった二人の生活は二年を過ぎ――

「人に初めて殺意を向けたわ」

 おおよそそれまでの語りからはかけ離れた単語が発せられる。

 仕事帰りの薄暗い細道。普段通らない道を気まぐれに歩くと、見慣れた後ろ姿を見つけて足を進め――すぐに止まった。

 傍らには腕を組んで、仲睦まじく談笑している知らない女性。

 唖然と見つめながら、頭に言葉が響く。

 きっとなにかの偶然だ。仕事の関係者だ。たまたま顔が近付いてしまっただけだ。

 そう言い聞かせているさなか、二人はどちらともなく顔を近寄せ、唇を合わせた。

「殺す。そう決めたの」

 上位の凍結魔術よりも冷たく感じた。

 けれどあのバカどものために自身が罪を背負う義理もない。彼女は正当な手段で社会的に殺す方法を選んだ。

 男曰く、残業で帰りが遅くなるという台詞を笑顔で受け入れ、裏で調査を依頼し着々と証拠を集めていった。出るわ出るわ裏切りの数々……

 ついに必要な情報もまとまり、ベンゴシを立てて離婚と慰謝料を請求。負ける可能性は毛ほどもなかったが、ここで予想外のことが起こった。

 ――トシヤは離婚を拒否したのだ。

 当人とベンゴシとの話し合いだけで済ませるつもりだったが、トシヤはどこまでも強硬だった。

 離婚はしない。慰謝料も払わない。愛人とも別れない。話し合うことはない。

 ないないないないないないないない。

 しまいにトドメの一言。

『オレの愛に間違いはない』

「法治国家じゃなかったら危なかった」

 マリナは遠い目をして呟いた。

 歯の浮くことばかり口にするトシヤに辟易して、お互いの親族を呼び出し、大人数での話し合いの場が持たれた。トシヤの両親や兄弟がなんと言おうと、あの男は頭のネジが百本抜けた言動を繰り返した。

「オレはマリナを愛している。そしてひーたんも愛している。オレは罪な男だ。どちらかを選ぶなんて……オレにはできないッ」

 義父のアッパーカットがあのバカを宙に浮かび上がらせる光景を、額縁の向こうの風景画のように感じていた。

 結局、離婚調停に持ち込み、それでだめなら裁判で完膚なきまで叩きのめす道を選んだ。

 ――のだが。


「二日後に家庭裁判所に出向くはずだったのよ」

「かてーさいばんしょ……」

 マリナの示す名称がなんらかの場所だというのはギリギリ理解できた。

「ところで、本気で訊きたいんだけど、なんでアレが勇者なの?」

 心底理解できない、といった顔で彼女が問いかける。

「ええと、勇者の素養は個人差もありますが、このたびの勇者様は『不屈の心』『己の愛を貫く意志』『困難に立ち向かう勇気』でしょうか」

「好意的解釈すぎるでしょ」

 沈痛な面持ちで面を伏せる。

 眉間を抑えてしばし考え――

「――決めた」

 彼女が立ち上がる。

「せ、聖女さま……?」

「その使徒とやらをシバけば、あたしたちは元の場所に帰れるんでしょ? ならさっさと済ませましょ」

 まとめた髪をほどきながら、鋭利な視線を彼方へ向ける。

「そして……あのバカ男とバカ女に地獄を見せてやる」

 明瞭な殺意が声音に表れていた。

 その迫力に口をつぐんでしまう。

 固まった私に気付いたのか、少しだけ態度を和らげた聖女は――

「お茶、ありがとう。ところでお風呂とかある? さっきので埃っぽくて」

「あっ、湯浴みでしたらこちらへどうぞ」

 腰を浮かせると、丁重に案内した。


  ◆  ◆  ◆


 夜は更ける中、翌日以降の準備に取り掛かった。

 次の【使徒】が顕現する座標の特定、移動手段と経路の検討、目的地までに必要な物資の計算その他いろいろ――

 小型の召喚獣が身の回りを忙しく走り回る。テーブルに広げた地図とにらめっこする私の手元に、筆記具やコンパスを運んでくれた。

 勇者はともかく、聖女であるマリナは協力的だ。なら私にできるのは、できる限り尽力することだけ。

 そうだ、明日はチバシリリュウを召喚して騎乗できるよう仕立てて、荷物は……時空術師に頼んで《次元袋》を用意してもらおう。あとなにが必要になるのか、百年前の勇者と聖女の歩んだ道はどんなものだったか……あとでまた調べないと。

 地図の道を指でなぞる。

 最後に司教様に許可をいただけば、下準備は一段落だ。

 あとは、あとは――

 コンコン。

 控えめに木戸が叩かれる。

「はい、どうぞ」

「失礼、明かりが見えて……まだ起きてたの?」

 聖女マリナだった。

「聖女様? いかがなさいましたか?」

 就寝用の薄手の衣類をまとった彼女を、部屋の椅子に案内する。

「その……まだ名前すら聞いてないのを思い出して」

「え! そうでしたっけ。失礼いたしました。遅ればせながらアシュレイと申します。召喚士をしています。聖女様はマリナ様、でしたね」

 確認すると、マリナは小さく頷いた。

「それと、ごめんなさいね」

「ど、どうしました……?」

 流麗な眉尻を下げながら、彼女はこちらを真摯に見つめる。

 動揺しつつも、相手の言葉を待った。

「お風呂で一人になって気付いたのよ。危うく怪我をさせてしまうところだったって。あたしも周りが見えてなかった。だから、ごめんなさい」

 烈火のごとき怒りをあらわにしていたときと打って変わって、マリナはしおらしかった。

「――ああ、そのことでしたか。お気になさらず。召喚時の混乱は人だけでなく、魔獣や妖鬼にもありますから」

「魔獣……」

 マリナが部屋をうろつく羽の生えた毛玉を目で追う。お手伝い用の召喚獣だ。

「……はっ! 決して聖女様と魔獣を同列に扱ったわけではなく、ええと――」

「わかってるわ。ふふ」

 慌てて弁明していると、マリナは肩の力が抜けたように薄く笑った。

「あ! 聖女様の笑顔初めて見ました」

「え?」

 ずっと険しい顔をしていたから、それを見てどこか安心した。

「これは私見なのですが、聖女様は笑っていらした方が素敵だと思います」

「……勝手に呼んでおいて、勝手なこと言うのね」

「えっ、あ、その――」

 スッと笑顔が消えたマリナ。慌てて取り繕おうとするものの、彼女はすぐに口元に手を添え、くすくすと笑った。

「いいのよ。理不尽なことに憤りは感じるけど、起きてしまったことは仕方ないし」

「すみません……」

「それよりも。あなたも休みなさいね。明日にはここを発つって、あのお爺さんに言われたわ」

 司教様のことだろう。

「ええ、その予定です。ですから、進路や物資の計算を――」

「それはアシュレイが全部決めることなの?」

「そういうわけではないのですが、私にできることはこのくらいですので」

 勇者や聖女を呼び出した以上、できる限りの手助けはしたい。

 それでもマリナは少し眉根を寄せる。

「とにかく、今日はもう遅いし、明日できることは明日しなさい。いいね?」

「わ、わかりました。それが聖女様の御命令でしたら」

「そん…………ああもう、じゃあそれでいいから」

 パタパタと手を振りながら、マリナは席を立つと扉に向かった。乾きかけの髪が背中に揺れる。

「じゃ、おやすみ」

「はい。聖女様も、ごゆっくりお休みください」

 聖女の背を見送ると、言いつけどおり寝支度を済ませ、床に就いた。

 ――明日できることは明日しなさい。

 聖女の言葉を心で反芻しながら、私は目を閉じた。


  ◆  ◆  ◆


「では、健闘を祈る」

 早朝。教会の正面入り口。

 時空術師にしつらえてもらった《次元袋》に荷物を詰め、司教様に見送られながら、私と聖女は出立した。

 ――徒歩で。

「聖女様、爬虫類ダメなんですね……」

「こればっかりはね、ちょっと。馬とかなら……いや乗ったことないけど」

 本来は騎乗用のチバシリリュウを用意していたけど、姿を見た途端飛び上がったマリナを見て、これはよろしくないと却下した。

 チバシリリュウは二足歩行のトカゲのような姿の魔物で、比較的おとなしい部類なので専用の鞍さえあればすばやく移動できる優れた生き物。ただ見た目の爬虫類感は否めない。

「司教様からの紹介状もお預かりしているので、王都に行けば王室からの支援を受けられます。馬とかも借りられるかもしれません」

「アシュレイ、馬は召喚できないの?」

「あれは魔力もなにもない動物ですので、難しいですね」

「そういうもんなのね」

 歩を進めながら地図を開く。

「目的の地は決まっています。推測した【使徒】顕現の地は――極北山」

「山? 遠いの?」

 歩きながらマリナが地図を覗き込む。

 私は地図の中央を差し、そこから指先を地図の上辺ギリギリに向けた。

「直線距離で計算すると徒歩の場合……およそ六か月ですね」

「借りましょう、馬」

 彼女は力強く決意した。

「あ、でも王都は歩きで二日くらいです。教会とそれほど離れてはいないんです」

「それを聞いて安心したわ」

 しばらくは他愛もない会話が続く。

 マリナが用意されていた聖女用の衣装ではなく、初めに見たシンプルな黒服を着ていることを尋ねたり、歴代の聖女の権能を引き継いでいることを伝えたり。

 草木の生い茂る道だが、踏み固められた土の道は歩きやすかった。

「それにしても、勇者様はどこに行ってしまわれたのでしょう……」

 私が呟くと、マリナの表情が一瞬冷気を帯びた。

「さあ。あのバカのことだから、くたばってはいないでしょ」

「え、ええ、そうですね。勇者様も権能をお持ちだと思いますので」

「そういうことじゃ……まあいいわ」

 小さく頭を振って、すぐに意識を切り替えた。

「王都ってなにか美味しいものあるの?」

「美味しい……? すみません、そういうことはあまり詳しくなくて。あ、空腹でしたら携帯食が――」

 腰に下げた《次元袋》に手を掛けようとしたときだった。

 ――遠くから微かな地響き。

「砂煙?」

 マリナが目を細めて遠くを見る。それに倣うと、確かに砂を巻き上げて近付いてくるいくつかの影。

「あ、王都から教会への援助部隊かもしれません」

「援助部隊?」

「明け方ごろに早馬を出したのです。教会の聖堂が崩れてしまったので、その補修をお願いしたのです」

「あ……」

 マリナが気まずそうに目を背けた。

 そのまま進み続け、向かってくる影も大きくなってきたころ――

「あれ?」

 私はあることに気付いた。

「どうしたの?」

「いえあの……こちらにいらっしゃってる方たち、鎧に王室護衛騎士の紋章があります」

「よく見えるわね」

 場違いな相手の素性に、思わず首を傾げた。

 こちらの困惑をよそに、その五、六人の一団は私たちの前まで来て、馬の足を止めた。先頭の騎士が馬を降りると、聖女の前で胸元に手を当てた。敬礼だ。

「失礼、聖女マリナ様でお間違いないでしょうか?」

「え、ええ……」

 一歩引きながらマリナが答えると、騎士たちの後部にいた白馬が歩み寄る。

 馬上の人物は――

「おお、噂に違わぬ美しき人」

 感嘆の言葉を述べつつ華麗に下馬すると、聖女の手を取りながら跪いた。

「お目に掛かれて光栄です、聖女殿。わたくしはクラレンス・ジーデリア。ここジーデリア王国の第三王位継承権を持つ者です」

 着飾った男性は爽やかに微笑みながら、白い歯を輝かせたのだった。

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