第1話 敵討ちの動機について
最初に断っておきます。
私はこの曾我兄弟の敵討ちの件自体に、余り良い印象がありません。
何を言っている、被害者が加害者に復讐感情を抱いて、復讐するのは当然で、被害者に対して同情しないとはお前は日本人ではない、非国民だとまで叩かれたことがありますが。
この件については、工藤祐経のことを単純に一方的な加害者で、曾我兄弟がそれに対する復讐を被害者として果たしたとは言い難い、と私は考えるからです。
少なからず話を違えますが。
それこそ忠臣蔵で有名な赤穂浪士の吉良邸への討ち入りと似た感じを、私は覚えるからです。
そもそも論になりますが、何故に浅野内匠頭は吉良上野介に切りかかり、切腹したのでしょうか。
歌舞伎や映画等では、吉良上野介の理不尽な虐めが浅野内匠頭に何度も行われ、どうにも耐えかねた浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかったというのが定番です。
(更に言えば、吉良上野介が散々に浅野内匠頭を罵倒して、最早我慢できぬ、と浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかるまでが、ほぼお約束です)
ですが、一次資料を参照する限り、それは全くの誤りです。
被害者とされる浅野内匠頭は、かねての遺恨があり、乱心ではない、と言っていますが、その遺恨については口をつぐんで切腹しています。
また、大石内蔵助らにしても、亡君の無念を晴らすため、としか言えず、それでは何故にという問いに対して、だから亡君の無念、吉良上野介を切り殺せなかった浅野内匠頭の無念を晴らすためだ、としか言えなかったという事実があります。
更に言えば、浅野内匠頭が吉良上野介が切りかかった状況ですが、吉良上野介が梶川与惣兵衛と話し合っていた際、いきなり浅野内匠頭が吉良上野介の背後から切りかかってきた、と梶川与惣兵衛が証言しているとのことです。
つまり、歌舞伎や映画等で、吉良上野介が浅野内匠頭を罵倒して云々というのは完全な誤りです。
更に言えば、浅野内匠頭は満33歳に対し、吉良上野介は満59歳です。
60歳近い男性に、30歳代前半の男性に理由も言わずにいきなり切りかかってくる。
完全に通り魔的犯行で、吉良上野介は単なる被害者ではないでしょうか。
(更に浅野内匠頭に追い打ちを変えるようなことを言えば、この時に吉良上野介に小刀で切りかかるという、武士ならばアリエナイと言われても仕方のないやり方をしています。
小刀で人を殺そうとする場合、刺すのが当たり前の行動です。
浅野内匠頭は本当は武芸の心得が全く無かったのではないか、という疑問さえも私は覚えます)
それを喧嘩両成敗が道理だ、それなのに浅野内匠頭は切腹で、吉良上野介が無罪等、浅野内匠頭は無念極まりなかった、吉良上野介も切腹すべきだった、その主君の無念を晴らすために、自分達は討ち入りを行ったのだ、と大石内蔵助自らが討ち入りの理由として言っているのですから。
喧嘩両成敗も何も、一方的に攻撃された被害者、吉良上野介も切腹すべきだった?
現代人の感覚に、私が毒され過ぎているのかもしれませんが。
そんな論理が当たり前なの?おかしくないか、としか私には考えられません。
そして、だから、その裏には浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかった道理があったのだ、と言われるのですが、これまで数多くの歴史家、作家が浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかった理由を調べていますが、誰一人、まともな理由を見つけ出せなかったという現実があるのも付言しておきます。
例えば、吉良上野介が賄賂を要求したのに、清廉な浅野内匠頭が拒絶したから、と言われる方がおられますが、高家の吉良上野介が要求したのは指導料であり、これは幕府も認めていたことです。
それに高家はその大名への指導料で生活していたのですから、それこそ教師が指導料を生徒に求めるようなもので、それを賄賂だというのは曲解もいいところで、本当に浅野内匠頭が支払っていなかったのなら、それこそ浅野内匠頭の方が非常識極まりない行動をしており、逆恨みもいいところです。
他にも塩の争いが、と言われたこともありますが、そもそも当時の吉良領に塩田は無かったので、争いが起きようもないという。
最近、最も有力な説は、物価高なのに浅野内匠頭が従前の金額に拘って金をケチったからとのようで、それは吉良上野介に浅野内匠頭が叱られて当然の話ではないでしょうか。
以前は接待費が1億で済んだから、今回も1億でやると言い張り、今はインフレで2億掛かるのを1億で済まそうと浅野内匠頭がしては、吉良上野介に叱られて当然と私は考えます。
つい、余談をしてしまいましたが、曾我の敵討ちも同様に、私の目からすれば逆恨みにしか、どうにも見えてなりません。
そもそも工藤祐経が曾我兄弟の敵になった因縁ですが、曾我兄弟の実父の河津祐泰を工藤祐経が殺したことが発端です。
ですが、河津祐泰を工藤祐経が殺すに至った理由には、それなり以上の道理があります。
「曾我物語」によれば、それは河津祐泰の父、伊東祐親が娘婿にしていた工藤祐経の所領を横領して自分の物にし、更に娘を無理やり離婚させて、土肥遠平と再婚させるという非道を働いたことにあります。
これを深く恨んだ工藤祐経が、伊東祐親を襲撃し、その際に河津祐泰が殺されたのです。
どう考えても、伊東・河津の方が非道ではないでしょうか。
そして、曾我兄弟の母は、河津祐泰の子を連れて、曾我祐信と再婚します。
一時は前夫である実父の仇を討て、と曾我兄弟に母は言いきかせますが、その後、そんなことをしては今の夫に迷惑が掛かるし、こちらに非があったとして、仇討ちをしないように母は曾我兄弟に言い聞かせますが、曾我兄弟は工藤祐経に対する仇討ちを実行します。
更には祖父の伊東祐親の仇であるとして、曾我兄弟は源頼朝の命まで奪おうとし、結局、兄の十郎は斬り死にして、弟の五郎は捕縛されて、頼朝の命で処刑の運命をたどりますが。
そもそも源頼朝は周囲のとりなしから伊東祐親を助命しようとしていたのに、伊東祐親が自分の判断で自害したという事実があります。
ここまでくると、曾我兄弟のこの敵討ちの一連の行動には道理も何もない気がして、とても弁護する気が私はなりません。
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