スッパイ大作戦
中垣くんのアメリカ異動が決まったとき、あたしは職場内でハブられた。理由は簡単で、中垣くんのことをアメリカからのスパイだと言い触らしたからだ。
「転勤なんて都合のいい名目で、本当の目的はあたしたち日本人のことを、アメリカ政府に報告することなんですよ。別の言い方だと報国です。そうなったらあたしたち日本人は、未曾有の危機に陥っちゃいますよ」
あたしは部長をはじめ、職場のみんなに密告して回った。次の日からあたしのポジションは窓際族。日本の危機を救うはずが、職場の危機を招く者だとして除け者にされた。
その日淋しくランチを食べていると、中垣くんが現れた。
「何であんなこと言ったの? たったひとりの同期なんだから僕の夢を応援してよ」
「夢って何? 日本の平和を乱すことでしょ」
あたしはつっけんどうな態度をした。
「入社したときに言ったよね。いつか映画監督になりたいから、アメリカで映像の勉強がしたいって。今ようやくその夢が叶おうとしてるんだ」
どこかでそんな言葉を聞いたのを思い出した。
「出発のときは見送りに来てね。夢が叶う瞬間を、岸川さんに見届けてほしいんだ」
「分かった。見送ってやるよ」
あたしをハブった首謀者にそう返事をした。日本の未来を救うために、あたしは中垣くんのことを最後まで追い掛け回した。
「来てくれたのは岸川さんだけか」
あたしをハブっといたくせに、みんなったら随分冷たいもんだ。同僚の旅立ちだっていうのに、日にちでも間違ってるんじゃないの。
でもいいのさ。これもあたしが仕込んだスパイ作戦なんだ。ふたりっきりになれないと、あたしの任務が果たせなくなる。
あたしは中垣くんに別れの言葉を言った。
「それじゃあね。あたしたちのことを殺さないでよ」
「またそんなこと言う。僕はスパイでも何でもないよ。ただ夢を叶えたいだけ。日本で僕のことを応援しててね」
「分かった分かった。行ってらっしゃい。飛行機飛んじゃうよ」
「うん、それじゃあ」
あたしはギリギリまで、中垣くんの背中を見つめていた。そして搭乗ゲートに入る直前に声をかけた。
「待って!」
最後の作戦の実行だ。あたしは中垣くんにキスをした。
「ちょっ……。ええーっ?」
あたしは何も言わず中垣くんに背中を向けた。中垣くんの困った顔が目に浮かぶ。あたしは晴紀に電話をした。
「あっ、晴紀? この間の返事だけど、付き合ってもいいよ」
スパイ作戦完了。あたしは泣きながら、晴紀のありがとうという返事を聞いた。
それはそれは甘酸っぱい夏の一日だった。