カトリーナの未来(カトリーナ視点)
カトリーナはゆっくりと意識が浮上した。
見慣れた天井がぼんやりと映し出され、自分が神殿の自室にいることがわかった。
「目が覚めましたか?」
カトリーナの片方の手をぎゅっと両手で握り締めたリオンが覗き込んできた。腫れぼったい目と赤い鼻に、自然と頬が緩む。
「泣きすぎですわ」
「泣かずにはいられません。あなたが助かって、本当によかった……」
リオンはまた涙を溢し始めた。
ガスペルに脅されたあの日、カトリーナは父の思い通りにはさせないと決意した。リオンに協力を仰ぎ、神官長もしくはアルカインに内密に相談を持ちかけようとする。
だが一足遅かった。
ガスペルに反抗したせいで監視の目が強化され、部屋から一歩出れば強烈な視線と威圧を感じて動けなくなる。リオンの神力で対抗しようとも考えたが、失敗したときのリスクを思うとできなかった。
それならディーンを抱き込めないかと説得を試みるも失敗に終わる。
為す術もなく、計画を聞き出すためにガスペルに従順になったふりをして偽りの洗礼を行うことに決めた。だが下手をすればカトリーナもリオンも力をすべて失ってしまう。一か八かの賭けでもあり、なかなか踏み出すことができずにいた。
そんなとき。
「アリーヤ様達が?」
「はい。お三方お揃いで、一緒に修行をやりませんかと」
「……誰にも会いたくないと断ってちょうだい」
震える声で伝えればリオンは悲しげな表情で、でもしっかりと頷き廊下に出て行く。それを追い掛けるように扉の前まで走り寄って聞き耳を立てた。くぐもった声で二言三言の声が聞こえ、やがて足音が遠ざかっていく。
少ししてから扉を開けたリオンは目を見開き、急にカトリーナを抱き締めた。
「カトリーナ様!お一人で泣かないでください!」
言われて初めて、自分の頬が濡れていることに気付いた。すると涙が次から次へと零れ落ちていく。
本当はアリーヤ達を追い掛けたい。来てくれてありがとうと、一緒に頑張りたいと言いたい。でもそれをしてしまえばきっとカトリーナは只では済まない。もちろんリオンも。
悲しくて辛くて悔しくて、すべてを投げ出したかった。なぜ自分だけがと涙が止まらない。
だが同時に、嬉しかった。閉じこもっているカトリーナを気にかけてくれる三人に感謝を。これでようやく決心がついた。
「リオン。明日、洗礼を」
了承するかのように、リオンはカトリーナを強く抱き締めた。
翌日、カトリーナは緊張しながら湖にゆっくり足を浸ける。リオンの暗示のおかげで、あれだけ冷たかった水が今は心地よく感じた。
本来ならここで誓いの言葉を唱える。だがカトリーナにそれはできない。だから必死で祈る。
ーー女神セイレーン様、園遊会まででよいのです。アリーヤ様を守るためにわたくし達をどうかお助けください。偽りの洗礼をするなんて、愚かな行為だとわかっております。ですがどうか、どうか……
リオンが青い光を周辺に舞い散らせた。そのタイミングで人を呼び、洗礼を終えたことを見せつける。
偽りの光だ。もちろんわかっている。だがこの青い光が本物であったなら、そう思わずにはいられなかった。
泣きそうになるのをぐっと堪えて逆に微笑む。大丈夫、昨日たくさん泣いた。父の不始末は娘の自分が、決してアリーヤに手出しさせないと固く誓った。
空に昇っていく青い光が、まるでカトリーナの願いをセイレーンに届けてくれるような気がした。
偽りの洗礼後、二人の力は激減するも失われることはなかった。きっとセイレーンが願いを聞き入れてくれたのだろう。
それならあとは、園遊会の途中でリオンは証拠を集める、カトリーナはアリーヤを守る。それぞれの役目を果たすだけ。
「すぐに、すぐに証拠を見つけてきます。カトリーナ様が身代わりにならなくてもよいように」
「ええ。待っていますわ。あなたも気をつけて」
だがカトリーナにはわかっていた。リオンは間に合わない。これが今生の別れになるだろう。
ここまでずっと寄り添い、支え助けてくれたリオンに何の感情も湧かないはずがない。だが自分の中に芽生えた想いを伝えたところで、残されるリオンには負担になるだけ。そう思い、ただ黙ってリオンの背中を見送った。
ディーンがアルカインを糾弾している中、カトリーナは周囲に気づかれないようにゆっくりアリーヤに近づく。
ディーンにも申し訳ないことをした。カトリーナへの愛ゆえに、ガスペルの操り人形になってしまった。それをカトリーナはずっと、使い勝手のよい駒だと思っていたのだ。できるならディーンが罪に問われないように、そんなことを思いながら神経を張り巡らせた。
そしてそのときが来た。
アリーヤを力任せに押し退け、自分の体が的になるよう体で受け止める。
怖くなかったといえば嘘になる。だがこれでやっと、自分に誇りが持てる。今までのちっぽけなプライドなんかではなく、本物の誇りを。
「カトリーナ様っ!」
アリーヤの叫び声が聞こえてゆっくり振り返った。守れたことに安堵を覚え、笑みが溢れる。すぐに柔らかい白い光に包まれた。
アリーヤとシシリーとアロマの力に包まれて、助けられなくてもどうか自分達を責めないでと願いながら目を閉じた。
カトリーナの手を握りしめながら泣き続けるリオンに質問する。
「リオン、神力は?」
「微弱ですが」
「それなら」
リオンは静かに首を横に振った。言わんとしていることがわかり、カトリーナは目を伏せる。
そのときノックが聞こえ、神官長とアリーヤ、アルカインが入室してきた。
アリーヤの額には石が光り輝いている。会場で一度目が覚めたとき意識は朦朧としていたが、あれほどまでに神々しい力を感じ取れないはずがない。そんな力を平然と使いこなしそうなアリーヤは、まさに聖女に相応しい。
カトリーナがベッドから出ようとすると皆が慌てて制止する。
「どうぞ、そのままでお聞きください。カトリーナ様、そしてリオン、この度は我々の不手際によりこのような事態となってしまったこと、誠に申し訳ございませんでした。あなた方の苦労を我々はまったく理解せず、それどころか偽りの洗礼をされたことを残念に思っておりました。本当に申し訳ありません。神殿の長としてお詫び申し上げます」
「王族の一員としてもお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした」
「私は同じ四聖として、カトリーナ様の苦しみに気付いてあげられず本当にごめんなさい。そして助けてくださってありがとうございました」
三人が揃って頭を下げるので、リオンは慌てカトリーナはふふっと笑った。
「顔を上げてください。わたくしが勝手にやったこと。何よりアリーヤ様が無事でよかったですわ」
「カトリーナ様」
アリーヤが涙ぐむのでカトリーナは笑顔で返した。
神官長が手短にと言って話し出す。
「今後ですが、微弱ながらお二人とも力が残っています。神殿としては、カトリーナ様に改めて治癒の巫女となるべく修行をお願いしたいと思っています。リオン、あなたも」
するとリオンはぎゅっと唇を噛んだ後、決意したように顔を上げた。
「そのことですが、私は神官にあるまじき罪を犯しました。力が減ったのがその証拠。その戒めのために還俗を願いたく思っています」
やはりリオンは神殿を去るつもりだ。神官長が驚いたように目を見開いたが、すぐに元の優しい笑みに変わる。
「その理論でいくとカトリーナ様も同じになってしまいますよ?」
「いいえ!カトリーナ様は尊い四聖となられる方!一介の神官とは比べるべくもありません!」
「あなたの行為はカトリーナ様とアリーヤ様を守るためのもの。神殿としては不問にします。これからもカトリーナ様を支えてあげてはいかがですか?」
「私には資格がありません。カトリーナ様をどうぞよろしくお願いします」
「……意思は堅いようですね」
真面目なリオンがこの決断をすることをカトリーナはわかっていた。それならカトリーナだってリオンについて行きたい。だがそれは公爵家の罪から逃げ出すようで、あまりに身勝手なように思えた。
諦めるように瞼を閉じようとしたとき、突然アリーヤが叫んだ。
「リオンのバカ!」
「え?アリーヤ様?」
「自分のことを戒めたいって気持ちもわかるわ!でもカトリーナ様と愛し合っているんでしょう?!なのにカトリーナ様を置いてどこかに行ってしまうなんて酷いわ!」
ぎょっとしたリオンが慌てふためく。
「ア、アリーヤ様!誤解です!私はあくまでカトリーナ様のお側付きです!」
「…え?うそ!違うの?!」
「ち、違うと言いますか。そ、その、それは私の一方的なものでして!決してそのような関係では!」
「あわわわ!ご、ごめんなさいっ!」
アリーヤがしまったとでもいうように目を泳がせている。
カトリーナとアリーヤは命を助け合った仲だというのに今までまともに話したことがない。それがなぜ口にしたことのないリオンへの想いを知っているのか、カトリーナは疑問に思った。
「アリーヤ様、なぜそう思われたのですか?」
「そ、それは!お二人がお互いを見つめる眼差しが!カインが私を見るときと同じだったからです!」
生温かい視線を送りたくなるような台詞を口にしているが、本人は気付いていない。「勘違いしてごめんなさい!」とあたふたしているのをアルカインが「大丈夫ですよ」とアリーヤの腰を引き寄せる。
そんな二人の姿が微笑ましくて、勇気をもらっている気がした。
「アリーヤ様の言う通りですわ。リオン、わたくしはあなたをお慕いしています」
「カ、カトリーナ様!」
「ですからわたくしのそばにいて欲しいのです。……この先も、ずっと」
消え入りそうな声で懇願する。我儘だとわかっているが、できることならこの先も共に歩みたい。アリーヤとアルカインのように。
アリーヤがカトリーナに寄り添おうとしたのをアルカインが引き止めた。
「リオン、あなたがカトリーナ様のためにすべてを投げ打つ覚悟だったこと、称賛に値します。私も愛するアリーヤのためなら同じ決断をしたでしょう。ですがひとつ、大きく違うところがあります」
「アルカイン様?」
「私はどのような状況に陥ったとしても、この先アリーヤと離れることはありません。もし神殿を去らなければならないなら、アリーヤを連れて行くまでです」
誰もが目を丸くする発言を笑顔で言うアルカインに一同静まり返った。実はこんな性格だったのかと内心驚いていると、神官長が「聖女様を連れ去るのはちょっと…」と呟いた。
それを無視してアルカインはリオンをじっと見る。
「リオン、愛しい女性からの愛の告白を、無下にするつもりですか?」
息を飲んだリオンがゆっくりとカトリーナを見る。
「カトリーナ様、ほ、本当に……?」
「一度は死を決意したわたくしがこの先望むのはリオン、あなたとの未来ですわ」
「カ、カトリーナ、様」
リオンの腫れぼったい目が真っ赤になり、また涙を溢し始めた。
「あなたが生きていてくれただけで、よかったのに……」
「ええ」
「我儘を、言います。私を、この先もお側に……」
「……嬉しい」
カトリーナも嬉しくて涙ぐむ。するとアリーヤがポロポロと涙を溢しながら駆け寄ってきた。
「よかった!よかったです!カトリーナ様!」
「アリーヤ様」
「私にもお手伝いさせてください!これからは一緒に修行頑張りましょう!」
温かい両手でカトリーナの手が包まれた。
「ずっと!カトリーナ様と仲良くしたいと思っていました!」
屈託のない笑顔でそんなことを言われ、同じ思いでいてくれたことに、人前では泣くまいと我慢していたカトリーナの涙腺が決壊した。