カトリーナの挫折(カトリーナ視点)
カトリーナは父に会った日からずっと、上の空の日々が続いていた。
特にローズマリーが神殿に現れてからは顕著だ。プライドが高く、根拠のない自信が漲っている。派手なドレスで優雅に微笑んでいるが、周りが一歩引いていることに気付いていない。
まるで自分を客観的に見ているよう。同族嫌悪というやつなのか、視界に入れるのが不快なくせに気になってしまう存在。アリーヤを襲ったと聞いたときは唖然としたが、自分だってディーンを使って排除しようとしたくせにと複雑になった。
そのローズマリーが去ってから数日後、神官長から話があると言われて部屋に通す。開口一番告げられたのは。
「園遊会までに洗礼を終えていただきたいのです。もしできなければ、四聖の再選考をします」
カトリーナにとっては衝撃な内容だった。焦燥に駆られ普段では出さない大きな声で叫ぶ。
「どういうことですの?!四聖はすでに決まったはずですわ!」
「洗礼を終えていないあなたは、未だ大陸に祈りを届けることができません。それでは四聖とは言えないのです。今はカトリーナ様とアロマ様の不在分を、アリーヤ様とシシリー様が埋めていらっしゃいます。ですがこれ以上は放置できません」
カトリーナはぐっと唇を噛み締めた。借りを作っていると言われるのは、カトリーナのプライドが許さない。
「たとえ今は洗礼ができていなくても!わたくしが儀式で二位だったのは事実ですわ!」
「おっしゃるとおりです。ですがあれからずいぶん経ちますが、あなたは一向に洗礼を終える気配がありません。まして、カトリーナ様。あなたはあの当時よりも力が落ちているでしょう?」
神官長の言葉にギクリとする。
「そん、な、はずは」
「ではもう一度、力の証明を行ってみますか?」
「………」
「はっきり言います。名ばかりの四聖は必要ないのです」
「名、ばか、り」
「そうです。ですので聖なる力を上げて洗礼を終えてください。さすればあなたは真の四聖です」
神官長が出ていった部屋で、カトリーナは呆然と佇んでいた。
“名ばかりの四聖”
自分がそんな扱いを受けるとは思ってもみなかった。少し前に父から使えないと言われたばかり。つい最近までは誰もが羨むような立場にいたというのに、なぜ立て続けにこうも貶められるのか。
「あの、カトリーナ様」
リオンがおずおずと話し掛けてきた。それが余計に苛立たせる。
「出て行って!」
「カトリーナ様!」
「出て行けと言いましたわ!」
一人残ったカトリーナはベッドに俯せになった。悔しくて腹立たしくて仕方がない。力のない腕でベッドを叩きつける。
それなら修行をすればよい、頭の中に聞こえた声に耳を塞いだ。
それからカトリーナは自棄になり、部屋に引きこもった。
食事はリオンが届けてくれる。味気ないそれを、少しだけ口にする。
「カトリーナ様、もう少し召し上がってください」
「それならもっとましな食事を用意しなさい!」
「休息日でないのに、神殿で出されたもの以外を口にするのは」
「そんなこと!言われなくてもわかっていますわ!何年ここにいると思っていますの!!」
“使えない” “名ばかりの四聖”
そんな言葉がカトリーナを追い詰め、自分の惨めさに悲嘆し、リオンに当たる日々が続いた。
それから何日が経っただろうか。
変わらず部屋から出ないカトリーナの元に神官長がやってきた。
「ご報告です。アロマ様が洗礼を終えられました」
その瞬間、カトリーナは立っているのがやっとだった。馬鹿な、嘘でしょう、そんなはずはない。そんな言葉が出かかるが、うまく口を動かせない。
「アロマ様は、アリーヤ様シシリー様と共に修行に励みました。三人で仲良く楽しくをモットーに頑張ったそうです。アロマ様の真面目な性格もあったのでしょう。力が伸びるのはあっという間でした」
一人だけ取り残されてしまったような感覚に陥り、ショックを隠しきれないカトリーナは泣きそうになった。そんなカトリーナに神官長は優しく話しかける。
「あなたは今まで公爵令嬢というお立場から、今のような挫折を味わったことがないのでしょう」
「ざ、せつ?」
「そうです。何事も思ったとおりうまくいかず、心が折れてしまいましたね。ですがそれは誰にでも起こり得ることです。自分が一番優れていると思っていた、しかしもっと優れている人物が現れた。そこに妬みや嫉妬が生まれるのは仕方のないことです。ですがそれに囚われてはいけません。そうすると自分を見失ってしまいます。今のあなたのように」
「今の、わたくし……」
「どうですか?あなたも皆様とご一緒に、仲良く楽しく修行をされてみては。アリーヤ様もシシリー様も、細かいことに拘る方ではありません。あなたから歩み寄れば、きっとすぐに打ち解けられるでしょう。なぜならあなたにも、セイレーン様の愛の証である聖なる力が宿っているのですから」
優しくされると、縋りつきそうになる。
そんなカトリーナに神官長は微笑んだ。
「あなたはどういった光をお持ちでしょうね」
言葉の意味がわからず、カトリーナは神官長を見つめる。
「巫女によって光の色は決まっていますが、人となりも影響を受けるようです。アリーヤ様は精神的な強さをお持ちですから、目も眩むような輝く金の光をお持ちです。今でも剣の訓練を怠らないシシリー様の銀の光は、厳かで静かな輝きですね。アロマ様は穏やかで優しい気質ですから、柔らかな木漏れ日を思わせる淡い緑の光をお持ちです」
「………」
「このお話を巫女のお三方としていたとき、皆様カトリーナ様のお色に興味津々でしたよ。あなたがなられるとすれば治癒の巫女、それは青味を帯びた光になるわけですが、気品あるお美しいあなたはどんな青色を放つだろうと。皆様楽しそうにあれこれ意見を述べていらっしゃいました。いや、今のは私の独り言です」
はははと神官長は笑った。
「カトリーナ様、まだやり直せます。どうぞ、お心を開いてください。皆様とお待ちしておりますよ」
優しい微笑みを向けて、神官長は出ていった。
その場に立ち尽くし、神官長が出ていった扉をじっと見つめていたカトリーナの耳に、やがてコトンと音が聞こえた。
「カトリーナ様、お茶をご用意しました。どうぞお飲みください」
リオンに促されるまま椅子に座り、温かいお茶を一口飲む。室内は静寂に包まれ、ここ最近乱れに乱れていた感情が凪いでいくのを感じた。神官長の柔らかい音色がまだ耳に残っている。
“心を開いて”
そんなことが自分にできるだろうか。散々見下しておいて、今さら。
でも……
ふと窓を見れば、カーテンの隙間から柔らかな日差しが差し込んできている。引きこもるようになってから、リオンがカーテンを開けようとするのを頑なに拒んできた。
立ち上がり、カーテンを開けてみると眩しいぐらいの光がカトリーナに降りかかった。
それが心地よく、なんとなく窓も開けてみると、遠くから女性達の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。自分以外の、あの三人の声だ。はしゃいでいるようで、悲鳴混じりの笑い声がカトリーナの心に染み渡った。
声をかけてみたら、ああして一緒に笑い合えるようになるだろうか。今までとりまきはたくさんいたが、友人と呼べるのは一人もいない。
そんな自分でも、仲間になれるだろうか。
「ねえ、リオン。わたくしにもできるかしら」
「え?」
「心を開いて、皆様のお仲間に、なんて」
「もちろんです、カトリーナ様」
はっきり言い切られ、カトリーナはリオンに視線を移した。リオンは優しい口調でゆっくり話す。
「カトリーナ様は少々アリーヤ様にきつい態度を取っていらっしゃいました。ですからまずは謝罪をされるのがよいでしょう」
カトリーナは誰かに謝罪などしたことがない。それが許される立場だった。だがそんなことは関係なく、仲間になりたいのならそれが必要だとリオンは言う。
「大丈夫です。神官長もおっしゃっていたでしょう?アリーヤ様は細かいことに拘る方ではないと。先日お会いしたときも、カトリーナ様を心配しておいででした」
そう言われて思い出す。
“カトリーナ様、大丈夫ですか?”
なんの裏表もなく、ただ心配して声をかけてきたとわかる表情。なぜあなたが、そう思いすぐ視線を逸らした。
「カトリーナ様が謝罪なされば、きっとアリーヤ様は許してくださります。そうしたら、自分も仲間に入れてほしいと言えばよいのです」
カトリーナにはなかなかハードルが高いように感じた。
でも今は、それが必要なのもわかる。人を見下し駒扱いしてきた。だが結局、自分も父の駒だった。怒って嘆いて引きこもって、そうしてやっと今、自分が間違っていたことを認めることができたのだから。
「リオン、それならまずはあなたに謝罪しますわ。その、当たってしまって、ごめんなさい」
初めての謝罪をリオンにした。
するとリオンは泣き笑いのような顔になり、首を横に振った。
「いいえ、いいえ、カトリーナ様。あなた様のお心の葛藤を、私は知っています。大丈夫ですよ。今のように素直な気持ちでアリーヤ様にもお伝えなさるとよいと思います」
そう言われて決心がついた。自分から歩み寄ってみよう、そう思えた。
勝手に敵意をぶつけていたというのに声をかけてくれたアリーヤ。あれは彼女の方から歩み寄ってくれたのかもしれない。それを無下にしてしまったが、今度は自分から、もう一度。
「そうですわね。それで、その。あ、あなたも一緒に、付いてきてくれるかしら?」
リオンはふわりと笑った。
「もちろんです。こういうものは思い立ったときに行くのがよいでしょう」
「そう。それなら、い、今から、行きましょうか」
自分を奮い立たせ、部屋を出ようと扉に向かった。
ーー大丈夫ですわ。リオンもついてきてくれますし、謝罪して仲間に入れてほしいと言えますわ
だがそのとき、通信機が光った。
無視することもできたし、もしそうしていれば何かが変わったかもしれない。しかしこのときのカトリーナは深く考えず通信機を手に取った。