虚像の中で(ローズマリー視点)
ローズマリーがアルカインの存在を知ったのはお披露目会のとき。
ーーなんて美しい方かしら。彼ならそう、わたくしの隣に最も似合う男性といえますわ。しかも第二王子だなんて、運命の出会いとはまさにこのことですわ
魔術が盛んなルガッタの中でも、ローズマリーは国で三指に入るほどの魔力保持者で実力も折り紙つきだ。美しさと実績を兼ね備えたローズマリーには求婚者が後を絶たず、たとえ彼らに婚約者がいようと跪いて寵愛を求めてくる。それがローズマリーの常であり、アルカインも同様に自分を欲するはずと信じて疑わなかった。
だというのに四聖に邪魔され、挙げ句魔封じの首輪までつけられてルガッタに強制送還。ローズマリーは憤りを隠せず、国王である父に抗議してもらうつもりだった。
だが待っていたのは怒りに体を震わせる家族の姿。
「お前はなんてことをしてくれたんだ!」
「お父様!あの四聖がわたくしの邪魔をしたのですわ!」
「だとしても暴力を振るうなど言語道断だ!」
王太子である兄にも怒鳴られる。
「お前が神殿を敵に回したせいでルガッタにいた神官がすべて引き挙げてしまったのだ!魔術がいくら優れていても治癒はできないのだぞ!」
「他国との取引も打ち切りだらけだ!四聖に牙を向けるルガッタとは相容れないと言われてな!」
怒りに燃える父と兄にきっぱりと言い返す。
「ルガッタの魔術は大陸に誇りますわ!すぐに状況は変わります!それよりこの首輪を外してください!そうすれば好き勝手言う他国の者などわたくしが押さえ付けてみせますわ!」
「何を馬鹿なことを言っている!戦争でもするつもりか!」
そこへ王弟であるカーネルとその息子ミハイルが現れた。
ローズマリーは久しぶりに従兄ミハイルの顔を見た。幼い頃は一緒に遊んでいたが、今となっては目が合うことすらない。
「兄上、議会で決定された。今を以て兄上は国王から退いてもらい、私が継ぐ。王太子もミハイルに変更だ」
「やはりそうなったか……」
「治癒の力を与えてくださったセイレーン様を慮ってどの国にも死刑はないが、相応の罪だ。幽閉で済むだけありがたいと思ってくれ」
「わかっている。お前達には迷惑をかける」
その話の内容にローズマリーは驚愕した。
「な!なぜそんなことに!」
するとカーネルがローズマリーをギロリと睨み付ける。
「お前のせいだろう!神殿で好き放題振る舞い、あげく四聖に傷を負わせて殺しかけた!お前の愚かな行為のせいで国民からも他国からも非難を浴びている!お前の両親も兄も、その責任を負わされたのだ!」
「わたくしは愚かな行為などしておりませんわ!」
ローズマリーが叫ぶと父も兄も項垂れ、カーネルは大きな溜め息を吐いた。
「見た目だけ綺麗に着飾っても中身は馬鹿な小娘のままだな。こんな者をリグラータに行かせたのは兄上の責任だぞ」
「……そのとおりだ。言葉がない」
「昔から言っていただろう。ローズマリーの言うことを鵜呑みにするなと。この女はどこか歪んでいるから野放しにするなと。聞き流したのは兄上だ」
「………本当にすまない」
力なく返す父の言葉にカーネルは今さらだとでも言うように首を左右に振った。
「北の棟で大人しくしていてくれ。情勢が変われば出してやれるかもしれない」
「いや、私達のことはよい。お前は国を建て直すことだけ考えてくれ」
仲の良い兄弟だった二人はお互い肩を寄せ合った。
そうして父は振り返ってローズマリーを見る。その顔は涙に濡れていた。
「ローズよ、達者で暮らせ」
「お父様っ!」
背中を見せた父はその後一度も振り返らず、項垂れたままの兄も、黙って泣いていた母もその場から去っていく。ローズマリーはようやく不安を覚えて叫んだ。
「わ、わたくしはどうなるのですか!」
「お前は一般牢に決まっているだろう!」
カーネルの言葉にローズマリーは悲鳴を上げた。
「なぜわたくしが!」
「そんなこともわからん馬鹿だからだ!貞操は守れるようにしてやる!だがそれ以外は他の囚人と同じ扱いだ!」
ショックを受けたローズマリーはミハイルに助けを求めた。
「あなたから叔父様に言ってちょうだい!こんな横暴は許されないわ!」
「ローズマリー、お前は全然変わっていないな。私の婚約者に嫉妬して炎をぶつけたときからまったくな。お前を見ていると反吐が出る」
「ミハイル!」
「私の名を呼ぶな!この女をさっさと牢に押し込んでくれ!」
ミハイルに吐き捨てるように言われ呆然としたローズマリーは、兵士に腕を取られたことすら気付かなかった。
その後、ローズマリーは一般牢に放り込まれた。
石の牢と呼ばれるそこは扉がひとつあるだけで窓も鉄格子もなく、壁面がすべて石で囲まれている。粗末なベッドと簡易の洗面所があるのみで、扉は厳重に封鎖され、その扉の足元にある小窓から一日一回パンと水が渡される。
カーネルは宣言どおりローズマリーの貞操を守るためにこの牢に収監したのだが、王女として育ったローズマリーに耐えられるはずもない。泣いて喚いて怒り狂って、だが誰も助けに来ない。首輪さえ外せれば魔力の高いローズマリーはどうとでもなるのに、それもままならない。
次第に光り輝いていた髪はパサつき、滑らかな肌はひび割れ、豊満な体は痩せ衰えていく。なぜこんなことにと毎日嘆いた。
あるとき扉の前が騒がしくなる。ようやく助けがきたのかと扉の前まで駆け寄った。しかし扉はガチャガチャと音を立てるだけで開きそうにない。そのうち声が聞こえてきた。
「やはり強固な魔術で厳重に固定してあるな」
「くそっ!せっかくここまで忍び込んできたのに!」
「王女が逃げないようにか。もしくは僕達のような者を警戒してか」
「両方だろうな。私は王女を許せない。私の婚約者の心を壊したあの女を」
「俺もだ。俺の婚約者を執拗に追い詰めたあの女をどうにかしなければ気が済まない」
不穏な会話が聞こえてローズマリーの眉間に皺が寄る。自分に跪いていた令息達が助けに来たと思っていたのにその様子はない。むしろローズマリーに対して怒りを持っているようだ。
「あの女の魔力の高さにずっと泣き寝入りしてきたが、今なら魔封じの首輪をつけられている」
「そうだ。せっかくのチャンスなんだ。俺は力任せにぶん殴ってやりたい」
「囚人達の牢に放り込むのもいい。泣き喚く姿を見たら溜飲が下がるかもしれん」
「そうだね。必死になって謝る姿が見たい。僕の婚約者は地面に頭を擦りつけられた」
ローズマリーは一気に血の気が引いた。助けられるどころかこれ以上さらに酷いことをされるかもしれない。足ががくがく震えて立っていられずその場にへたり込む。
「おい!ここで何をしている!」
「まずい!逃げるぞ!」
バタバタと走り去る音が聞こえて扉の前は再び静まり返った。
ローズマリーにはなぜ彼らがあんなことを言い出したのか理解できず、震える体を自分で抱き締める。
ふと、従兄のミハイルを思い出す。
幼い頃からミハイルとローズマリーは愛し合っていた。口ではかわいい妹と言うものの、その本心はローズマリーへの愛に溢れていたことを分かっていた。
それなのに婚約者ができたからとその女を優先する。ミハイルにへらへら媚びへつらうその勘違い女が腹立たしく、大してかわいくもない顔に炎をぶつけてやった。痛みと恐怖に泣き喚くその女を見て当然の報いだと思ったし、魔力が暴発したと伝えれば両親は許してくれた。
結局女の顔は神官が治してしまったが、女はローズマリーに怯えるようになり、ミハイルからは憎しみを持たれるようになった。
なぜローズマリーが憎まれなくてはいけないのか。二人の愛を邪魔したあの女に忠告してやっただけなのに。
令息達の婚約者も同じだ。彼らが本当に欲しいのはローズマリーの愛なのだから勘違いするなと言い聞かせたし、魔力の高さを見せつけてやったこともある。
だがそれがなんだというのだ。ローズマリーがわざわざ行動してあげたことで理解が深まり、でしゃばる令嬢達がいなくなったのだからよかったではないか。
あの四聖だって、アルカインとの仲を邪魔するからわからせてやろうと思っただけだ。
家族はずっと言っていたのだ。「美しいローズマリーは誰からも愛される」と。父も母も兄も、使用人達も口を揃えて。そのとおりになっただけだ。
それなのにミハイルにもアルカインにも拒絶され、なぜ今こんなところに一人でいるのか。
わからない。わからないが、今度こそ本当にローズマリーを愛してやまない誰かが、こんな場所から救い出してくれるはず。そのときはその愛に応えてやってもよい。まだ見ぬその相手はきっと泣いて喜ぶだろう。
「もうすぐですわ。きっと、もうすぐ」
ローズマリーは粗末なベッドに腰掛けて、扉をじっと見つめた。
だかその扉が開くことは二度となかった。
「やはり自滅したか……」
「あなた様もやりすぎたと思いますよ。ただでさえあの王女は自ら作った虚像の中にいたのに、あれほど煽れば勘違いに拍車がかかります」
責めてでもいるかのようなその口ぶりにギロリと睨むと相手は肩を竦めた。
「まあよい。それで、例のものは?」
「出来上がりましたよ。ですがねぇ」
「金ならいくらかかってもよい」
「フフ、話が早くて助かります。ですがあの王子の神力は相当なものです。私に男爵令嬢はどうこうできませんよ」
「わかっている。洞窟から拾ってきた男は?」
「変わらず離宮で豪遊していますね。使い捨てにされるなんて思ってもいないようで」
「それぐらい頭が足りていないのがよいのだ。では引き続き監視してくれ」
「どなたを?」
問われた質問に溜め息を吐いた。
「我が娘、カトリーナだ」