王女襲来
馬車の一件以来、アリーヤは一人になるとじっとしていられず、ベッドの上でゴロンゴロンと転がっている。
あの日のキスを思い出してしまうのだ。アルカインの端整な顔が近づいてきたと思ったら額にチュッと……
ーーイヤーーーッ!恥ずかしすぎる!悶え死にそうだわ!恋をするって命がけなのね!
ゼイゼイしていたアリーヤだったが、ふと冷静になってすくっと起き上がる。
アルカインがアリーヤを大切にしてくれていることは間違いない。ずっとそばにいてくれると言ってくれた。だがそれは、恋愛的な意味なのか、はたまた四聖に対する崇拝か、それとも妹を思う兄心か。どれなのかがわからない。あの距離感は恋愛的だと思い込みたい反面、もし違ったらへこむどころの騒ぎじゃないため予防線を張ってしまう。
しかもアリーヤには長年婚約者だったキールの言葉を鵜呑みにした結果、実は聖なる力目当てだったというオチがある。アルカインが騙しているとはこれっぽっちも思っていないが、アリーヤは自分の判断力にまったく自信がない。
色んな思いが頭の中をぐるぐる回り、少々寝不足が続いていた。
そんな中アリーヤはびっくりする話を聞かされる。
「え?!王女が滞在を希望してるの?!」
「はい。といっても一週間程ですが」
他国からの視察はもちろんあるが、基本は訪問のみで滞在することは滅多にない。なぜなら神殿は女神セイレーンが好む質素倹約を常としており、もて成すことができない。する気もないからだ。
「ルガッタは魔術が盛んですから、聖なる力や神力に関しても見聞を広げたいそうですよ」
王女であれ特別扱いはできないからと一度は断ったが、それでも構わないと本人が強く希望しているという。
アリーヤは王女にあまりよい印象がない。お披露目会ではアリーヤを無視し、先日は庭園でハンカチ探し。王女がアルカイン狙いなのはアリーヤだって気付いている。
ーーなんだか嫌な予感がするわね
なぜこうも厄介事が起こるのか、アリーヤは溜め息をつきたくなった。
それから数日後、主だったメンバーが大聖堂でローズマリーを出迎えた。
「ローズマリー・ルガッタですわ。短い期間ですがよろしくお願いします」
優雅に微笑むローズマリーはやはりとんでもない美人だ。びっくりするほど着飾っているというのも大きいが、王女としての風格も備わっているし何より絶対的な自信が漲っている。
まずは神官長が挨拶し、アリーヤ達も順に名乗っていく。それを黙って聞いていたローズマリーだったが、アルカインの番になると途端に顔を輝かせた。
「アルカイン様がいらっしゃって安心ですわ。こちらでの生活もわからないことだらけですもの。お力をお貸しくださいね」
「私にできることはそれほどありませんが」
「そんなことはありませんわ。同じ王族として心強いですし、とても頼りにしておりますのよ」
その後も二人の会話が長々と続く。
楽しそうに話しているローズマリーを見ているとなんだかモヤモヤしてくるが、アリーヤはアルカインから直接、王女のことは何とも思っていないと聞いている。
ーーそれにほら、そばにいるってキ、キスしてもらったばかりじゃない!
馬車での一件を思い出すと勝手に頬が緩む。ニヨニヨしていると隣のシシリーに面白いものでも見るような顔をされて、慌てて真顔に戻った。
「ローズマリー様、お話はその辺で。神殿内を案内しましょう」
「それではアルカイン様、また後程お会いしましょう」
神官長に促されたローズマリーはアルカインだけに挨拶して去っていった。アリーヤのみならず他の四聖もいない者扱いだ。
「すごいな。あそこまであからさまなのは逆に感心するよ。ルガッタでは四聖って地位が低いのか?」
「そんなわけありませんよ。四聖にあんな態度を取るあの方が特別です」
呆れ笑いのシシリーに対してロイは少し怒っているようだ。
「あれではあまりに……」
「そうですね。少々行き過ぎかと……」
アロマとそのお側付きの呟きも聞こえた。他の神官達も首を横に振ったり眉を寄せたりしている。だがカトリーナだけはぼんやりとローズマリーの後ろ姿を見ていた。
先日の大聖堂開放日のときもそうだが、カトリーナに覇気がない。以前はよく睨まれていたのにそれもなくなってしまった。
ーーどうしたのかしら。もしかしてどこか具合が悪いとか?
アリーヤは思い切って声を掛けてみようとカトリーナに近づく。
「あの、カトリーナ様、大丈夫ですか?」
ぼんやりとしていたカトリーナはアリーヤに気付くと目を見開いた。アリーヤから声を掛けられたことに驚いているのだろう。
「カトリーナ様、どこか具合でも悪いですか?」
「……別にどこも悪くありませんわ」
スッと顔を背けて立ち去ってしまう。代わりにお側付きのリオンが申し訳なさそうに頭を下げて、カトリーナの後を追っていった。
余計なことをしたかなと眉を下げるアリーヤに、シシリーが肩をポンポンと叩いて労ってくれた。睨まれなかっただけよしとしようと思った。
その後、祈りの間に案内されたローズマリーに遭遇したアリーヤだったが。
「やっちゃったわ……」
いつもの湖、アリーヤはぼそっと呟いた。
今日はいつもの半分ぐらいしか光を放出することができなかった。理由は明白、祈りの間に訪れたローズマリーがアルカインにひっきりなしに話しかけていて、それがつい気になって集中力を欠いてしまったからだ。大事なお役目なのにとさすがに自己嫌悪に陥る。
沈んだ表情のアリーヤにシシリーが声を掛けた。
「司祭様も言ってただろう?アリーヤの力ならそれでもすごいって」
「でもカトリーナ様とアロマ様の分も頑張るって決めてたのに」
「たまにはそんな日もあるさ」
「うん……」
俯き加減のアリーヤに、シシリーは湖の水を手ですくいアリーヤにパッとかけた。実際は濡れていないが水をかけられた感触はある。
「キャッ!ちょっとシシリー!」
「アリーヤがいつまでもうじうじしてるからな」
「うじうじって!もーう!お返し!」
「わっ!やめろ!」
アリーヤがバシャッと水をかけた。それが思ったより多かったせいか、シシリーは顔をきゅっと中央に寄せる。
「あはははっ!シシリーの顔ったら!」
「やったな!それならこれでどうだ!」
笑ったアリーヤを見てシシリーも笑いながら水をかけてくる。しかもさらに大量に。
「キャーッ!やめてーっ!」
その後も二人できゃあきゃあ言いながらはしゃぐ。少し離れた場所で読書をしていたアルカインはクスッと笑い、ロイは肩をすくめて苦笑した。さらにもう一人、木の影からそれを眺めている人影もあったがアリーヤは気付かなかった。
しばらく遊んでいたアリーヤとシシリーだったが、肩で息をし始めてお互い手を止める。
「アリーヤ、少し休憩しよう」
「そうね。この勝負、引き分けってことでいいわよね?」
「ああ。だが次は負けない。私はまだ余力を残している」
「それなら私だって本気を出していないわ」
意地の張り合いにおかしくなって二人でプッと吹き出し、声を出して笑いながら湖に寝転がった。
視界には晴れ渡った空にキラキラと輝く太陽が眩しい。先程までの鬱々とした気持ちがはしゃいだおかげで今はスッキリしている。
「ありがとう、シシリー」
お礼を言うとシシリーはフフッと笑った。
「あの王女、声が高くて響くからな。気になるのは仕方ないさ」
「ううっ。面目ないデス」
「気持ちもわかるけど。でもアリーヤ、もう少しアルカイン様を信用してあげたらどうだ?」
「信用?」
「そう。あの王女、ものすごく美人だけど性格悪そうじゃないか?」
「……答えにくいわね」
なぜシシリーがこんなことを言うかというと、私語を慎むように言われたローズマリーは逆に、「こんなことで力がぶれるなんて繊細な方ですわね」とアリーヤを鼻で笑ったのだ。
「四聖をいない者扱いしてアリーヤにあんな態度を取る女性が素晴らしいと言えるかどうか。アルカイン様がそんな女性をどう思うか。考えたら答えは出るだろう?」
言われて気付く。
アルカインは柔らかい態度はそのままだが、ローズマリーと話すときは口数が少ない。別にアルカインは無口ではないというのに。
「もしかして、ちょっと嫌がってる?」
「じゃないかな。でもそんなことを顔に出す人ではないし」
「それは、そうね」
「だから端から見れば、アリーヤが不安に思う必要なんてないって断言できる」
「そんなにはっきり?」
「そんなにはっきり」
力強く頷くシシリーに、アリーヤは肩の力が抜けた気がした。
離れた場所にいるアルカインを見ると、視線に気づいたのか顔を上げたアルカインがアリーヤに向けて優しく微笑んだ。それを見たら初めての恋に一喜一憂して悶々としている自分が笑えてくるし、気にする必要なんてないと思えた。
ーーそれにほら、キ、キスしてもらったんだから!
馬車の中での色々を思い出して一人で納得していると、シシリーが含み笑いをした。
「なぁアリーヤ。今朝もそうだが、何を思い出したらそんな締まりのない顔になるんだ?」
アリーヤは顔を真っ赤にするしかなかった。