望まぬ客
月に一度の大聖堂開放日。
この日は一般市民が大聖堂で女神像に祈りを捧げることができる。そこにアリーヤ達四聖が初めて参加するため、顔を拝もうと神殿周りには人だかりができていた。
準備が整ったアリーヤが大聖堂に行くと、そこにはすでに三人とも揃っていた。
カトリーナとアロマとは久しぶりに顔を合わせる。正装姿に身を包んだカトリーナはあいかわらずの美しさだ。また睨まれるだろうと予想していたのだが、なぜか今日の彼女はぼんやりしていた。
大聖堂が開放される時間になると大勢の市民が押し寄せてきた。
防犯上、祭壇近くにいるアリーヤ達には近づけないように柵があり、一定の距離が保たれている。
とはいえ声は聞こえてくる。
「あれが新しい四聖様か!」
「これでこの大陸も安泰だ!」
「ありがたい、ありがたい」
崇拝の目を向けて両手を合わせ祈りを捧げ、これでもかというほど深くお辞儀をして後ろに場所を譲る。
市民の中には結界の外で魔物と戦い、その毛皮や牙を売って生計を立てている者も多い。魔物の怖さをより理解しているからこそ四聖を崇め奉るのだ。
慣れていないアリーヤは顔が引きつらないようにすることで精一杯である。
これも仕事と言い聞かせていると、名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おい、アリーヤ!アリーヤ!こっちだ!」
見るとそこにはなんと、頭から存在を消し去っていたキールがいた。
アリーヤに必死に呼び掛けている。目が合うと嬉しそうに笑った。
「アリーヤ!話があるんだ!時間を作ってくれ!アリーヤ!聞こえるか?!おいアリーヤ!」
キールの周辺にいる人々も何事かとアリーヤに目を向けた。
ーーなに?!今さらなんなの?!しかもこんなところで!
アリーヤは頭を抱えたくなった。その間もキールはアリーヤの名を叫びながら手を振っているので、目立ってしょうがない。四聖の個人的な知り合いかと、ちょっとした騒ぎになりつつある。
後ろに控えていたアルカインがそっと囁いた。
「どうしますか?」
「とりあえず別室にでも待たせておいてくれる?」
「会うのですか?」
「だってあの様子じゃまた来そうだもの」
「それは言えますね。わかりました」
アルカインは溜め息混じりに古語で何かを呟く。少しすると聖騎士がキールに近づきどこかへ連れ出していった。
その様子に周りのざわめきが増してしまったがもう仕方がない。なにもなかったかのようにアリーヤはまた微笑みを浮かべた。
大聖堂の開放時間が終了した後、アリーヤは面倒くさいと思いつつもキールの待つ別室へと向かった。もちろんアルカインも一緒だ。
部屋に入るとキールは足をガタガタと小刻みに揺らして苛ついているようだった。だがアリーヤに気付いたとたん笑顔になる。
「遅かったな、アリーヤ。待っていたぞ」
「今さら何の用でしょう」
「お前と会うには手続きが色々大変だろう?けど今日はお前も出席すると聞いたからな。わさわざ来たんだ」
「そうですか。用件をどうぞ」
馴れ馴れしく笑いかけてくるキールに対して、赤の他人感を強調するべく丁寧に話すことを心掛けながら向かいのソファに腰を下ろす。
何の用かと質問しているものの、なぜキールが突撃してきたのか見当がついていた。
先日レイタック伯爵から手紙が届いたからだ。
内容は、今さらながらの婚約破棄に関するもの。言い訳がましい謝罪の言葉が延々、多額の慰謝料を用意したので受け取ってほしいと書いてある。同じような手紙がアリーヤの両親にも届いているらしい。
今さらどうでもよいと思っていたが。
「伯爵家にしてみれば瀬戸際ですからね。気にしていないのなら、謝罪を受けて慰謝料をもらっておけば早々にカタがつきます」
アルカインの言葉にそうしようと返事を返したばかりだ。
だからキールも伯爵同様、謝罪に来たものだと思った。どうせアリーヤに謝罪して、円満な婚約解消だったことにしたいのだろうと。
とはいえアリーヤの中にイラつきもあった。
言いたい放題言われて婚約破棄されたのだ。にもかかわらず、あんな場所で馴れ馴れしく呼びかけられれば誰だって腹が立つ。どういうつもりかと言いたい。
だがしかし、自分は今や四聖という立場にある。感情のままぶつけるのは品位に欠ける。だから努めて冷静に、心の中でそう言い聞かせていた。
だというのに。
「なんだ、髪を切ってしまったのか。俺は長い方が好きだと言ってあったのに」
その言葉に背筋がぞわっとした。今さらキールの好みがなんだというのだ。
ーー気持ち悪っ!何なのこいつ!
鳥肌が立ちそうになり両手で腕を擦った。
だがそれだけでは収まらない。
「アリーヤ、俺達やり直そう」
「ハアァァァッ?!」
保とうとしていた四聖の品位は見事に崩れ去った。思わず叫んでしまう。
「今さら何言ってるのよ!婚約破棄を言い出したのはキールの方でしょ!!」
「俺は伯爵家で過ごすようになってからいつもお前のことを思い出していた。やっぱり俺にはアリーヤしかいない」
とんでもないことをしれっと言い出した。真顔のキールにこいつ正気かと疑いたくなる。
「シルビア様と愛し合ってるって、私の目の前でわざわざ宣言してたじゃない」
「それは誤解なんだ。あれはシルビアに言わされただけだ。婚約破棄にしてもそうだ。彼女は伯爵令嬢だから俺は言うとおりにするしかなかった」
キールはわざとらしく肩を落とした。
「だがやっぱり無理だ。シルビアは甘やかされて育ったせいで俺は毎日振り回されている。もううんざりだよ。だがお前は違う。俺達は幼馴染でお互いのことをよくわかっているだろう?やっぱり俺にはお前しかいない。だからアリーヤ、俺とやり直そう」
キールは微笑みかけてくるが胡散臭いだけだ。こんな笑顔に騙されていたのかと過去の自分を殴ってやりたい。
アリーヤはイライラが増していくが、怒りを抑えるためにふうっと息を吐いた。
「キール、あなた自分が言った言葉を忘れたわけじゃないでしょうね。“四聖になれそうだから婚約を申し込んだ。なのに力がないなんて騙された気分だ”カフェでそう言ったのはあなたよ」
キールはハッとした。忘れていたようだ。途端に目を泳がせる。
「四聖になれないお前が悪いとも言われたわ」
「そ、それは…。その。あのときはああするしかなかったんだ!俺の本意じゃない!」
「私のことを見下して笑っていたくせに、よくそんなことが言えるわね」
「い、いや、違うんだ!あのときの俺はどうかしてたんだ!俺はやっぱりアリーヤがいいんだ!」
「それは私が四聖になったからでしょ。ほんと最低ね」
「ち、違うんだ!そうじゃなくて!」
「キール、あなた自分が恥ずかしくないわけ?」
溜め息混じりに言ってやればキールはぐうっと唸って睨みつけてきた。だがそんなものは怖くない。そもそもキールごときに睨まれてビビるほど大人しい性格でもない。
「なぜ私が睨まれなくちゃいけないのか謎だわ。バカじゃないの」
冷たく言い放つとキールは顔を真っ赤にさせた。
「う、うるさい!とにかくお前は黙って俺と婚約を結び直せばいいんだ!」
「そんなの聞く義理もなければ価値もない。もうここには来ないで」
「何言ってやがる!大体お前が四聖になれないなんて言うからこんなことになったんだ!責任とれよ!」
「責任とれって何よ!意味わかんないわ!私をバカにするのもいい加減にして!もう帰ってよ!さようなら!」
「おい待てよ!」
アリーヤが勢いよく席を立つとキールも慌てて立ち上がり、アリーヤの前に回り込んで肩を掴もうとしてきた。
「まだ話は終わって」
「そこまでです」
キールが伸ばした腕をアルカインがぐっと掴む。アリーヤは無意識に体を竦めていたようで、ホッと体の力を抜いた。
「なんだお前!たかが神官のくせに邪魔するな!手を離せ!」
「私はアリーヤのお側付きです。アリーヤに危害を加えようとしているあなたを放っておくことはできません」
「ハッ!何がお側付きだ!アリーヤ!お前もえらくなったものだな!美形の男を侍らせていい気になりやがって!お前なんかなぁ!四聖になれなければ何の価値もないんだ!そんなお前を俺がもらってやるって言ってるんだぞ!素直に頷けば」
「黙れ」
低い声が響きアルカインが掴んでいたキールの腕を後ろに引っ張り倒す。突き飛ばされたようにバランスを崩したキールは「うわっ!」と叫びながらそのまま床に強く尻をぶつけた。
キールを転ばせたアルカインは、いつもの穏和な雰囲気は鳴りを潜め冷たい空気を漂わせている。そんな姿にアリーヤはびっくりするものの、アルカインに守られたことが嬉しくてついときめいてしまった。
だが強く転ばされたキールは堪ったものではないだろう。アルカインを睨み付けて叫んだ。
「痛っ!くそっ!お前!何しやが、る……」
怒りをぶつけようとしたキールだったが、アルカインの凍りつくような冷たい目を見て勢いは削がれてしまった。弱者には強いが強者には弱いキールならさもありなん。
「まったく。どうしようもない男ですね」
「な、んだと」
「今さらあなたが何を喚こうと、あなたが破棄した婚約は覆りません。それから言っておきます」
アルカインが突き刺すように目を細める。
「あなたが横暴な振る舞いで婚約破棄した時点でアリーヤとの関係は終わりました。幼馴染という間柄でさえご自分で断ち切った。あなたは既にアリーヤにとって無関係の人間です。そしてアリーヤは今代四聖、その地位は王族に匹敵、いえ、それ以上とも言えるでしょう。そんなアリーヤに対する暴言の数々、これは許されるものではありません。不敬罪に該当します」
キールは顔面蒼白になった。
ことの重大さに気付いたようだ。
「そ、そんなつもりじゃ!」
「どんなつもりだろうと関係ありません。牢に収監します」
アルカインが古語で何かを呟いた。すると縄が現れ勝手にキールが縛られていく。
「うっ!うわっ!なんだこれは!やめろっ!放せっ!」
キールは暴れもがくが、それをすればするほど縄が絡みついていく。その間に聖騎士が現れた。
ギチギチに縛られたことでようやくキールは動かなくなった。
「牢に繋いでください」
「「「はっ!」」」
聖騎士に担がれて、キールは呆気なく退場していった。
それを見届けたアルカインがくるっと振り向いてアリーヤの顔を覗き込む。
「大丈夫ですか?アリーヤ」
「大丈夫よ、ありがとう。それにキールを転ばせてくれてちょっとすっきりしたわ」
するとアルカインがクスッと笑う。
「私には本当のことを言ってください」
「え?」
「先程の男、牢に入れることを気にしておいででしょう」
「な、なんで分かるの?!」
「分かりますよ。何年の付き合いだと思っているのです?」
アリーヤは苦笑するしかなかった。キールのことはもちろん腹立たしい。だからといって牢に収監は大袈裟ではないかと思ってしまう。
「もう、カインにはお見通しね。ただちょっと、牢はやりすぎかなぁって」
「ひとまずといったところです。四聖にあの態度はいただけません」
「それは、そうだけど」
「きちんと矯正されればいつか会えるでしょう。そのときは幼馴染みとしてまた話せばよいのでは」
「そう、そうね。カインの言うとおりだわ。私の代わりに怒ってくれてありがとう、カイン」
アリーヤが微笑むとアルカインもにっこりして、アリーヤの耳元で囁いた。
「惚れ直しましたか?」
その言葉にドキッとして一気に顔が赤くなる。怒ったアルカインにときめいて見惚れていたことに気付かれたのか、いや、きっと冗談だ。これは軽く受け流すべきだ。
「な、なななな何言ってるの?!カカカッカインってば!ややややだなぁ!ハハハ」
全然軽く流せていないのをアルカインにクスクス笑われ、挙動不審気味に視線をふわふわさせるアリーヤだった。
次話、キール視点です