それぞれの思惑(キール視点)
キールは騎士科で盗み聞きして以来、猜疑心のかたまりになっていた。
そんな学園生活とシルビアのご機嫌とり、鬱憤が溜まる日々に嫌気が差していた。
さらにここにきて、キールもシルビアも生徒達からあからさまに敬遠されるようになる。どうやらアリーヤとの婚約解消当日に、シルビアと婚約を結んだことが原因のようだが。
ーーなぜ今更?
その疑問に尽きる。
当時シルビアが自分で吹聴していた。それを周りは聞き流していたというのに。
シルビアは癇癪を起こして学園に行かなくなった。プライドが高いキールもシルビアが心配だからともっともらしい言い訳をして、学園から遠ざかっていった。
そんなある日の夜遅く、シルビアと一緒に伯爵から呼び出しがかかる。
執務室に入ると珍しく夫人も同席しているが、憔悴しているようだ。伯爵も機嫌が悪そうで、重い空気が漂っている。
「今日、四聖のお披露目会に出席してきた」
もうそんな時期なのかと聞き流す。学園を卒業した成人以上が出席するパーティーなのでキールには関係なかったし、自分のことに手一杯で頭になかった。
「自分には関係ないと言いたげだな、キール」
伯爵にギロリと睨まれ、竦み上がりそうになる。伯爵がここまで機嫌が悪いのは初めてだ。
「いえ、そんなことは。何かあったのですか?」
「あったもなにも。お前の元婚約者アリーヤ・クレスタが四聖に就任していたぞ」
その言葉でキールの頭が真っ白になる。
「そ、そんな、バカな……」
「信じたくないかもしれんが本当の話だ」
「ちょ、ちょっと待ってください!アリーヤは自分で言ってたんですよ!四聖は無理だって!」
「それは私の方でも調べたから分かっている。だが最後の儀式でひっくり返したらしい。しかも現在、誰よりも聖なる力が強いそうだ。それは将来聖女になることと同義語だ」
キールにはわけがわからない。なぜそんなことになっているのか、何が起こったんだと混乱する。
「そ、そんな!誰よりも強いなんて!おかしいです!それは本当のことなんですか?!」
「ディーン殿下も同じように糾弾した。だがそれをアルカイン殿下が一笑に付した」
アルカインは病弱で表舞台に一度も出たことがなく、顔も知られていないぐらいだ。そんな方がなぜ、と戸惑う。
「アルカイン殿下は幼少期から神殿に預けられていたらしい。その殿下がおっしゃったのだ。クレスタ嬢、いや、アリーヤ様は誰よりも強い力を持っているとな。それを陛下もお認めになった」
「嘘だっ!!」
敬語も忘れて思わず叫ぶ。だが伯爵はそのことを追及せず、首を横に振るだけ。
「嘘だったらどれだけいいだろうな。最近商談でトラブルが続いていたせいで私も情報収集ができていなかった。今日のお披露目会でアリーヤ様が現れた瞬間の、私の衝撃がお前にわかるか?それで確信したのだ。彼女が四聖に選ばれたために、うちは商談相手から敬遠されたのだと」
伯爵が低い声で唸る。キールは黙るしかなかった。
伯爵が忙しそうにしていたのは知っていたが、呼び出しがなくなって助かったとしか思っていなかった。
「アリーヤ様との婚約を一方的に破棄し、慰謝料も払わず、破棄した当日に婚約を結んだ。お前は四聖に選ばれるほどの令嬢を捨てた男、それをさせたのは我が伯爵家となるわけだ。お披露目会では他家の当主達に、四聖の顔に泥を塗った家だと蔑まれたぞ」
すると夫人がわっと泣き出した。
「だから言ったではないですか!婚約するのは日を改めた方がよいのではと!」
「慰謝料を払おうとした私に、男爵家にそこまでする必要はないと言ったのはお前だ!」
キールの実家であるソルディ子爵家は、実はクレスタ男爵家に借金があった。
祖父の代で事業に失敗し、途方に暮れていたところを助けてもらったのだ。男爵家だって別に裕福ではない。父同士は幼馴染で変わらず仲がよいが、本当なら足を向けて寝られないのだぞとしつこく言われていた。
現在も完済できておらず、慰謝料など用意できるわけがない。
キールの両親は恩を仇で返せないと、アリーヤとの婚約破棄も婿養子の話も頑として許さなかった。
そこにレイタック伯爵が圧力をかけて、慰謝料はうちが用意するからと強引に推し進めた。
だが結局、男爵夫妻がおっとりしているのをいいことに慰謝料の話はうやむやにしてそのまま放置している。
伯爵の一喝に夫人は「でも、だって」とめそめそし出した。
それを横目に、伯爵ははぁっと重い溜め息を吐く。
「シルビア、お前は学園でキールがアリーヤ様を冷たくあしらって自分を選んだだの、破棄した当日に婚約を結んだだのと、吹聴していたそうだな」
「それは!」
「お前が浮かれていたのは知っている。彼女がただの男爵令嬢であれば、蒸し返されることもなかっただろう。だがな、彼女は四聖になってしまった。お前の行動は品位に欠けると眉を顰められている」
「酷いわ!私はただ嬉しくて!」
「そうだな。私達も止めなかった。自由奔放なお前がかわいかったからだ。だがその結果、皆から怒りを買ってしまった」
シルビアは涙目になり、声を張り上げた。
「そ、そんな!どうしたらいいの!」
「お前は当分学園を休みなさい。その間に折りを見て、男爵家とアリーヤ様に私から謝罪をする。多額の慰謝料も払うつもりだ。あとは噂が収束するのを待つしかない。キール、お前は学園に行け」
頭の中の処理が追いついていないキールだったが、自分だけが学園に放り込まれるとわかり焦る。
「待ってください!今学園に行けば針のむしろではないですか!俺も休みます!」
「馬鹿か!お前がシルビアの盾にならないでどうする!いいか!何を言われても黙って顔を上げていろ!そうすればいずれ収まる!お前は伯爵家を背負う立場なんだぞ!逃げることは許さん!」
「そんな!」
「余計なことは絶対するな!学園でおとなしくしていろ!わかったな!」
「………」
「返事をしろ!!」
「……はい」
キールは了承するしか道がない。
静まり返る中、夫人のすすり泣く声が響く。
「なぜこんなことになってしまったの…?」
それはキールが言いたかった。
翌日からキールは一人で学園に向かった。
久しぶりの学園ではまさに針のむしろだった。遠巻きにされ、わざわざキールに聞こえるように嘲る。
「四聖を見下して、あいつ何様のつもりだ?」
「騎士科でも落ちこぼれだったらしいぞ」
「よく平然と学園に来られるな」
それは教室でも廊下でも食堂でも、どこにいても侮蔑の視線と言葉にさらされ、逃げ場がなかった。
だが学園に行かなければ伯爵が激怒する。耐えられないキールは学園から抜け出すようになった。
勝者になれるはずだったのに今ではその真逆。なぜこんなことにと腹が立って仕方がない。
アリーヤと婚約を続けていればこんな目に遭わずに済んだ。ヒステリックなシルビアのご機嫌取りも、伯爵の怒鳴り声も、自分には関係なかったはずだ。
そもそもアリーヤが四聖になれないと言い出したから、キールはシルビアと婚約を決めた。
「そうだ、アリーヤだ。四聖になったのならもう一度婚約を結べばいい。そうすれば俺は四聖の婚約者だ。ハハッ!見てろよ!俺を馬鹿にしたやつらを見返してやる!」
キールは淀んだ目で高らかに笑った。