シシリーの洗礼
結界の巫女となったアリーヤには巫女としての役割が増えた。
全土を覆うことができたとはいえ魔物の瘴気は強力で、油断すれば綻びる可能性もある。なので一日一回、神殿の最上部にある祈りの間で必ず結界の祈りを捧げるようになった。
それとは別に、湖に浸かることも増えた。あの湖は本当に不思議で、浸かると聖なる力の質が上がり安定するのだ。
「湖に入るのはいつでも構いませんが、必ずカインを同行させてください。でなければ何時間でも寝てしまいますよ」
アナスタシア様がそうでしたと、泣き笑いの顔で神官長は言った。
「気にせずゆっくり浸かってください」
カインがそう言ってくれるのでお言葉に甘えさせてもらっている。その間カインは少し離れた木陰で読書をしていた。
湖は変わらず心地よすぎて、むしろご褒美をもらっているようだ。
ゆらゆらと浸かりながらぼんやりする。
ーー結界の巫女か。予想どおりっていえばそうかも
前四聖が残してくれた光の残滓はまだところどころ残ってはいるが、もうずいぶん微力だ。中でも一番早く逝去したのが結界の巫女なので早急に補う必要があった。
どの巫女が聖女になるかは神託次第だが、すべての巫女が出揃わないと神託は降りない。他三人が洗礼を終えていないので、聖女が決まるのはもう少し先だろう。
アリーヤが気持ちよすぎてウトウトしていると、岸から声を掛けられた。
「そんなに気持ちいいものなのか?」
目を開けるとシシリーが楽しそうにアリーヤを見ている。
「そうですね。ふわふわの布団に包まれている感じです」
「そうか、それは気持ちよさそうだ」
「シシリー様もよかったらご一緒にどうですか?」
「シシリーでいいよ。敬語もなしにしてくれ。私もそうさせてもらうから」
「えっと、ではシシリー、一緒にどう?」
「最初よりは大分ましになったが。冷たいんだ」
両腕で自分を抱き締めてぶるっと震えるふりをするのでアリーヤは笑った。なんとなく一緒に浸かりたくなった。
するといけるんじゃないかという気がしてきて、アリーヤは湖から上がりシシリーの手を引いた。
「なんか大丈夫な気がするわ!」
「え?!ちょっと!そんな強引な子なのか?!」
アリーヤにぐいぐい引っ張られてシシリーは眉を下げるものの、突き放すことはしない。根が優しいのだろう。アリーヤは調子に乗った。
「一緒に入れば大丈夫よ!セイレーン様もお喜びになるわ!さあ!」
「つ、つめた……くない?」
「シシリーなら大丈夫!気持ちよく感じるはずだわ!」
「……本当だ」
「腰までいけそうね!カイン!神官長を呼んでくれる?!シシリーの洗礼ができそうよ!」
「少々お待ちください」
カインは古語で何かを呟く。念話を送っているようだ。
少ししてから神官長が神官達を連れて走ってくるのが見えた。
「はぁ、はぁ、アリーヤ様、シシリー様」
「じゃあ私は湖から出るわ。洗礼頑張ってね」
「あ、ああ。ありがとう」
「はぁ、はぁ、シシリー様。大丈夫、そうですね。はぁ、はぁ」
息切れしている神官長の方が大丈夫ではないだろう。もうずいぶん歳なのだ。
「ふぅぅ。お待たせしました。それでは肩の力を抜いてリラックスしてください。深呼吸するとよいですよ。落ち着いたら誓いの言葉を唱えてください」
シシリーは目を閉じて深呼吸を始めた。
しばらくして誓いの言葉を口にすると湖が銀色に変わっていく。アリーヤは目が眩むような金だったがシシリーのそれは厳かな雰囲気があり、凛々しい雰囲気を持つシシリーにぴったりだった。
「おめでとうございます、シシリー様!銀色の光は浄化の巫女の証!それでは浄化の祈りを捧げてください!」
アリーヤのときと同様、シシリーから銀色の光が放たれ、辺り一面に舞い散ったあと空に上っていく。
アリーヤは興奮した。自分のときは驚きが勝っていたが、客観的に見るとどれだけ神秘的で素晴らしいかがよくわかる。しかも大陸の半分以上が浄化されていくのがわかった。
「すごいすごい!シシリー!とても綺麗だったわ!おめでとう!」
「あ、ああ」
シシリーは生返事だ。たぶん実感が湧かないのだろう。アリーヤは感動を伝えたくて隣にいるカインのローブを引っ張り捲し立てた。
そんなアリーヤを視界に入れながら湖から出てきたシシリーに、神官長が問いかけた。
「シシリー様、大丈夫ですか?」
「神官長、正直今は立っているのも辛い」
膝を突きそうになったところを、シシリーのお側付きのロイが支えてくれる。
「大丈夫ですか?」
「ロイ、すまない。部屋まで支えてくれるか?」
「もちろんです。しっかり寄りかかってください」
神官長が優しく言う。
「洗礼では聖なる力が一気に上がりますが、その後の祈りで大部分が抜き取られます。それに体がついていけず、先代の皆様も立っていることができませんでした。少し休めばよくなりますのでご安心ください」
「やはりそうか……それを考えるとアリーヤはさすがだな。洗礼のとき、彼女はケロリとしていた」
「まあ、アリーヤ様は別格ですからね」
シシリーは疑問をぼそっと口にした。
「私が洗礼を終えることができたのも、そのおかげだろうか」
「シシリー様のお力でしたらほぼ問題なかったでしょう。セイレーン様から寵愛を受けているアリーヤ様の影響がまったくなかった、とは言えませんが」
神官長がアリーヤを見るのでシシリーも視線を動かした。
アリーヤはカインに一生懸命感動を伝えている。それを微笑ましそうに聞いているカイン。
その二人の姿にシシリーは笑った。
アリーヤは自身の力が強大だということは理解しているだろう。だがまったく気にかけていない。
そのおおらかさが寵愛の所以かもしれない、そう思えた。