君に会いに行く僕、君を待っている僕
誰かに会いたいと思った時、そこに『誰か』はいない。
誰にも会いたくないと思った時、そこに『誰か』いる。
「待ってよぉ、竹流ぅ〜〜」
歳のわりには幼い少年が、半べそで追いかけて来る。
「ついてくんじゃねぇよ! うっとぉしぃ!」
追いかけられている少年が、振り向かずに怒鳴った。それでも、金魚のフンは離れない。
「タケルぅ、竹流っ 置いてかないで・・・っ」
「知るか! 邪魔だっ どっか行け!」
「・・・・・っやだぁ〜〜」
「てめぇっ それでも十七か!? 男がびーびー泣いてんな!」
「〜〜〜〜・・・・・泣いてなんかないもん〜〜っ」
この状態が、かれこれ五分ほど続いている。
竹流と呼ばれた少年に幼なじみの少年が、いつものようについて行く。足早に歩く竹流に、少年は中々追いつけない。
竹流が最初に家出を決意したのは、十四歳の時だった。別に両親が離婚したとか、反抗期だからとか、そういう理由ではない。両親は健在だし、家族仲は良い方だ。
だけど。
竹流は何か、虚しさ感じていた。
何かが違う。誰かが足りない。
自分の、この心の本当を判ってくれる、誰かがいない。
だから。
家を出ようと思った。その誰かを探しに行こうと思った。
そして、十四の夏。スポーツバッグ片手に駅へと向かった。そこで彼に会わなければ、それは成功していたに違いない。
金魚のフンに、会わなければ。
「いー加減にしろッ 辰巳! お前は何度、邪魔すりゃ判るんだよ!
今度こそ、俺は行くんだ!」
「ダメだよぉ〜 竹流ぅ」
四度目の正直。過去三回とも竹流の計画は、『彼』、辰巳に邪魔されている。普段はボーとしてトロいくせに、何故かいつも目ざとく見つける。
小さい頃から、自分の後をついて来る、泣き虫な辰巳。
駅に着いた。竹流は、今朝のうちに買っておいた切符を、素早く改札に通す。もたもたと切符を買う辰巳の姿を尻目に、毅然とした足取りで、ホームへと向かう。
丁度、電車の発車時刻のベルが、ホームに鳴り響いたところだった。ギリギリで駆け込むのは、辰巳がついて来れなくする為。乗る電車はどれでもいい。とにかく、何処かへ行ければいいのだ。
プシュゥッ、という空気を吐き出した音をたて、電車の扉が閉まった。静かに動き出す。
竹流は心の中で拳を握った。辰巳の追って来る姿は見えなかったし、人込みに、もみくちゃにされる辰巳に絆されて帰る、というパターンを繰り返さずにすんだのだ。
(今度こそ、俺は・・・!)
にやり、と笑った時だった。後ろで聞き慣れた、鼻をすする音がした。いやな予感がする。できれば振り返りたくはなかった。それでも振り返ってしまったのは、違っていて欲しいという、ささやかな願いがあったからだろう。ギチギチと機械のようにぎこちなく、竹流はゆっくり振り返った。
「〜〜〜〜〜〜・・・タケルぅぅ〜・・・」
予感的中。ぜぇはぁと息を切らし、涙でぐちょぐちょになった顔の、面倒くさい、お邪魔虫がいた。
「っっっのバカ野郎!! お前って奴は!!」などと、車内で叫ぶ訳にもいかず、竹流はグググッと、怒りを抑えた。そのヒクつく竹流の顔を見て、辰巳は益々、瞳を濡らす。
「・・・・・竹流っ・・・ひどっ ・・・僕・・・・・扉・・・っ 挟まりかけて・・・っ
う゛〜〜〜〜・・・・・っ」
必死に走って来たのだろう。えぐえぐと泣く辰巳は、それでも、竹流のシャツの裾をしっかと握り締めた。
「辰巳、あのな・・・」
「もう止めない」
ぼそりと呟く辰巳の言葉に、竹流は口を詰まらせた。
「もう止めないから、僕も連れてって」
真っすぐに見上げた辰巳の瞳。止まらない涙。捨てられまいとする、子犬のようで。
竹流は大きく、ため息をついた。
* * *
「何処まで行くの?」
「・・・・・別に」
窓の外を眺めながら、竹流ぶっきらぼうに答えた。
いくつかの電車を乗り継ぎ、すでに景色は夜に染まっていた。都会の気配が遠ざかり、田舎へと近づく。道々外灯は見当たらず、暗い景色が静けさを醸し出していた。車内に人は少ない。
「なんか、『銀河鉄道の夜』みたいだね。ちょっとドキドキする」
えへへ、と笑う辰巳を、竹流はちらりと横目で見た。そしてまた、外へと視線を返す。よくもそんな呑気でいられるものだな、などと思ったが口には出さない。その代わりに別の言葉が口をつく。
「おばさん、心配してんじゃないのか?」
辰巳がギクリと、微かに肩を揺らせた。
「・・・竹流だって」
少しうつむき、上目使いで竹流を見る辰巳。絶対帰らないぞという、彼の最大限の意思表示だ。
「俺は、ちゃんと書き置き、残してきたから」
「家出するって?」
「ばかっ 声がでかいッ」
驚いて聞き返す辰巳を、竹流が睨んだ。慌てて口を塞ぐが、もう遅い。二つ三つ斜め前の席に座る五十歳くらいの男性が、こちらをちらっと見た。
と、その時、運良く車内アナウンスが流れ、次に止まる駅を知らせる。
「降りるぞ」
「え、ちょっと待ってっ」
素早く荷物を掴んで、扉へ向かう竹流。その後を数歩遅れて、辰巳が追いかける。
扉の閉まるギリギリ、辰巳がホームに足を踏み入れた。危うく服を挟まれるところを、竹流が引っ張り、なんとかセーフ。
「ったく、トロいな、お前は。きびきび動け、きびきびッ」
「ご、ごめん・・・」
そうは言いながらも、竹流は辰巳の腕を掴み、足早に改札へと向かう。されるがままに、辰巳はもたもたとついて行く。
小さな駅を出た。しかし、目の前には見事に何もない。
「ここ、何処?」
不安げに辰巳が竹流を見つめた。対して竹流は何も言わず、スタスタと歩き出す。
「う゛あぁっ 待ってよ、竹流っ」
何もない。ただ道が一つ伸びてるだけ。明かりひとつさえない。脇の草むらで虫が静かに鳴いている。空気が涼しく感じるのは、夜だからだけでは、ないだろう。静けさが妙に不気味だった。
しかし、虫は草むらでだけ鳴く訳ではない。腹の中でも虫は鳴くのだ。
「ねぇ、竹流。どうして、家出なんてするの?」
道の脇にある小さな岩に腰かけ、竹流に貰ったおにぎりを食べながら、辰巳がポツリと尋ねた。
リーリー。リーリー。鈴虫が鳴く。
「・・・・・・・なんかさ、考えちゃうんだよな・・・・・・」
遠くを見つめ、竹流が静かに語りだす。
「人間の一生には、出会う人とか沢山いるけど、そん中で自分の片割れってのは、ただ一人なんだよ。それは、親かもしんねぇし、友達かもしんねぇ。いつ出会うかも判んねぇし、もしかしたら一生、出会わないかもしんない」
夜空を仰いだ。星が幾つも見える。都会ではこんな空は見れないだろう。
「俺、ずっと思ってたんだ。俺の『誰か』は何処にいるんだろう。俺の『誰か』には、いつ会えるんだろうって」
辰巳は黙って、竹流の話を聞いている。
「なんか、虚しいんだよな。早く会いたいんだ。
だから、探しに行こうと思った。俺から探しだしてやるんだって、思った」
竹流は、不思議と気持ちが高揚するのを感じていた。無限に広がる星空が、人の心を大きくさせるのか。
「何処にいるかなんて判んねぇけど、とにかく俺、探してみたかったんだ・・・・。
だってさ、そいつが俺の『誰か』なら、きっと、絶対、会えるはずなんだ。早く、会ってみたいんだよ・・・・・・・」
そう言って、竹流は少し照れくさそうに、フワリと微笑んだ。
「・・・・・・・・・だから、家出したの?」
辰巳が尋ねる。顔は暗くて見えない。
「家出っつぅか、まぁ、すぐ帰るけどな」
ぱくりと竹流は、食べかけのおにぎりを口に放り込んだ。水筒に入れてきたお茶を、コップ代わりの蓋に汲み、ゴクゴクと飲み干す。そして、もう一度汲み、
「ほれ、辰巳」
と、辰巳に差し出した。が、しかし。
「・・・・・・・いらないっっ!」
突然、辰巳が竹流の手を振り払った。ぱしゃっと音をたてて、小さな水しぶきが辺りに飛ぶ。
「辰巳・・・?」
あまりに以外な出来事に、竹流が微かに驚きをみせる。
「・・・なんだよ、それっ なんだよぉ、それはぁ!」
「あぁ?」
泣きそうな顔で怒鳴る辰巳。いきなり何を言ってるんだとばかりに、竹流は眉をしかめた。
「そんなの変だよ! 竹流、変だよぉ!」
「・・・別に、お前に判ってもらおうとは、思っちゃいねぇよ」
辰巳の言葉に、むっとして竹流がそっぽを向いた。それを見た辰巳が、益々半べそをかく。
「・・・・・・っ なんで、そんな事言うのぉ・・・?」
「それはこっちが聞きたいねっ お前、何言ってんだか判んねぇよ・・・って、いつものことか」
かぁぁっと辰巳の顔が赤くなる。
「ひっっっどぉぉい! 僕がいつも変だって言うの!?」
「うっわっ 自覚ねぇんだ、お前。めーっっわくっな奴だな!」
竹流がすっくと立ち上がった。辰巳に背を向け、歩き出す。
「何処行くんだよ!」
辰巳が後を追いかける。
「お前にゃ関係ねぇだろ!」
やっぱり、もたもたと追いかけて来る辰巳にお構いなく、竹流は歩き続けた。今度こそは振り返らないぞと、スタスタ先を急ぐ。
しかし。後ろの方で、べしゃりと音がした。
竹流は足を止めた。深く大きなため息をつく。
くるりと方向をかえ、今来た道を戻り、倒れている物体の前で立ち止まった。
「・・・・・・わざとコケただろ」
「違うもんっっ どうせ僕はドジだよ!」
がばちょと起きて辰巳が、がなる。涙と泥まみれで、はっきり言って、
「きっったねぇ、ツラ」
しみじみ、竹流が見つめた。う゛〜〜〜と唸る辰巳。竹流はもう一度ため息をつき、いつまで経っても変わらぬ友人に、優しく声をかける。
「なんで、お前が怒るんだよ」
「・・・・・・・・・だって、竹流、変なこと言うんだもん・・・・・・」
「何が変なんだ」
本気で泣く辰巳に怒鳴るほど、竹流は彼を嫌ってはいない。
昔からそうだった。いつの間にか、後ろをくっついて来るようになった少年。うっとおしく思っていながら、何故だか、けして、突き放す事はできなかった。
「だって、変だよっ 判んないよぉ」
「だーかーらー」
辰巳からは、いつも主語が抜けている。
「だって、だってっ なんで!? なんで探すの!? 竹流の『誰か』は僕じゃないの!?
僕、竹流のこと好きだよ! 竹流は、僕がいくらトロくっても絶対置いてったりしないし、すっごい口悪くて、すっごいイジワルだけどっ」
「・・・ケンカ売ってんのか・・・?」
「違うよぉっっ 竹流、すっごい性格悪いけどっ 僕、竹流のこと好きだもん!
大事な、一番の友達だもん!」
頭が千切れるくらい、ブンブンと首を振る辰巳。溢れる想いは止まらない。
「ひどいよ竹流! 僕の『誰か』は竹流なんだよ!? なんで探したりするんだよ!
竹流のこと僕が一番知ってるのに! 竹流、ホントは寂しがり屋だってことも、ホントはちゃんと優しいってことも、僕が一番知ってるんだ!」
竹流は半ば呆然として、いつにも増して泣きじゃくる辰巳をただ見つめていた。
「なのに、なんでだよ! どうして遠くばかり見るの!? ひどいよ竹流!
僕、ここにいるよ! 竹流のそばにいるよ!? ずっといるよ!?
なんで気づかないのっっっ!!」
一気に言葉を吐き出し、はぁはぁと息を切らせる辰巳は、涙目で竹流を見つめた。
沈黙が返る。目を見開き、竹流は微動だにしない。
「・・・・・・・・何、言ってんだよ・・・」
フイをつかれたかのように、竹流が小さく呟いた。
「・・・お前、何、言ってんのか判んねぇよ・・・っ」
くしゃりと髪をかきあげる竹流の肩を、辰巳が勢いよく掴んだ。肉を絞めつける痛さに、竹流が顔をしかめる。
「なんで判んないんだよっ 僕、竹流がいるから『僕』でいられるんだよ?
竹流がいなきゃヤダよ! 竹流じゃなきゃダメなんだ!
ねぇ 竹流っ 僕、ここにいるよ!?
ここにいるよ!!?」
「ッ俺は・・・っ」
耐えきれず、竹流が叫びざま、辰巳の腕を振り払った。その勢いで辰巳はヘタリと尻餅をつく。
「・・・俺は、お前の事、ずっと、うっとぉしいと思ってた・・・っ」
竹流は自分の視界が少しずつ、ぼやけていくのを感じていた。目頭が熱い。
「すぐ泣くし、鈍くせぇし。なんでついてくんだって・・・・。
・・・・・だけど、ホントは、ホントは俺だって・・・・・・・っ」
誰かにいて欲しい時、そこに『誰か』はいない。
誰かにいて欲しくない時、そこに『誰か』いる。
「・・・・ッごめんっ・・・・辰巳・・・っ 気づかなくてごめん・・・っ!
俺っ・・・・・!」
突然、涙が溢れ出た。目の前は霞んで、もう辰巳の顔も見えない。
救われていたのに、気づかなかった悲しみが襲う。
「・・・・・・・・・・泣かないでよぉ 竹流ぅ〜〜〜・・・・・」
「・・・・ッ泣いてなんかいねぇよ・・・ッ」
鈴虫が鳴いている。
夜が静かに広がっている。
求める『誰か』は、何処にいますか。
自分の『誰か』に、気づいていますか。
自分を想ってくれる人がいる。
自分に囁いてくれる人がいる。
『会いたかったよ』
『君を、探してた』
『会いたかったよ』
『君を、待ってた』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・帰るか、辰巳」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・うん。一緒に帰ろう、竹流」
2人は駅へと足を向けた。繋いだ手と手に、お互いの存在を感じ合いながら。
涙は止まらない。だけど、大丈夫。君が隣にいるから。
君が、そばにいてくれるから。
大丈夫だよ。
僕は、ここにいる。
僕は、ここにいる。
誰かに会いたいと思った時、そこに『誰か』はいない。
―――それはまだ、自分が自分で探しに行っていないから。
誰にも会いたくないと思った時、そこに『誰か』いる。
―――それはまだ、それがそうだと気づいていないから。
大切な『誰か』は、きっと何処かにいるはず。
まだ見ぬ『誰か』に会えると信じて、人は『自分』を生きていけるのだ。
四度目の正直。
十七の夏の終わり。竹流は『誰か』を探す約半日の旅を、成功という名のもとに終わらせた。
君に会いに行く僕、君を待っている僕。
君に、会いたいと思う僕がいる・・・・・。