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この世で最期の僕だけの。


 『ナーン』

 「ねえ君、とてもきれいな毛並みだね。」


 目の前の白猫に話しかけてみる。

 太陽の光を受けて金色に輝くその毛並みが、本当に見事だったから。

 しかし、磨かれたビー玉のような眼は僕を見ず、耳をピクリとさせるだけ。


 丸まった白いクリームパンのような右手で猫の横腹をチョンと触れてみる。

 

 猫は尻尾をぶんと一回りさせると、のそっと立ち上がり、横顔、前足後ろ足とゆっくり僕の視界から外れていった。


 ああ、またか。

 もしかしたら、もう僕だけかもしれない。


 人間と同じように言葉を持ち、誇りを持ち、生きるための生ではなく、価値を持たせるための生を生きている猫は。



 足元の水溜りに映る自分の姿が死んだ母を彷彿させる。


 母さんは言っていた。


 昔は僕たちのように、広く知性と汎用な言葉を持った猫がたくさんいた。いや、まるで小さな蟻から百獣の王ライオンに至るまで、すべての動物がかつてはその文化を持っていた。しかし、サルから進化していった人類に私たちはついていく事ができなかったのだと。


 そうして人類に飼いならされるなり家畜として生かされた結果、絶滅を避けるため、動物は生きるための生を送る必要に迫られ、生命の根幹を強固にして枝葉を切り捨てる進化の仕方をしたのだと。


 その進化は種族存続の力を強めることと引き換えに文化と言葉を失わせた。



 僕がこの世に生まれてもう10年。僕の野生としての生は残りわずかだろう。

 同じような仲間を見つけなければ、僕たちの文化と言葉は滅びるのはもう1秒後に迫っているかもしれないと言うのに。

 

 もしかしたらこの僕が、この世で最後の元祖の猫かもしれない。


 例えば僕がこの生で、進化していない同族を見つけることができなければ僕たちは完全なる進化を遂げるのだ。


 だが僕はそれを進化とは呼びたくない。


 ただ生きるだけ、それなら僕はなぜ生まれてくるのかわからない。その疑問を失いたくない。


 でも、もう進化した猫たちにとってはそれが当然なのだ。

 彼らは生きるために生きている。


 僕とは違う……。


 言葉が通じない。思いの丈が伝わらない。

 その辛さもまた自分の中にしかない。



 ああ、けれども自分の言葉を伝えることに、もう意味などないのかもしれない。


 言葉は相手と自分の中にある考えを共有し、理解を得るために使うのだと思っている。


 今生きている同族達は言葉を介さずにそれを行えているのだろうか。


 だとすれば、それは紛れもなく進化だろう。


 



 自分が持つ言葉を次に繋ぐのが自分の役目だと思っていた。

 これまで滅びていった動物達、あるいはそれらの持つ文化。


 彼らの中にも人知れず、僕と同じように最後を見届けた者がいるのだろう。


 彼らはその最期、何を思ったのだろう。



 そして僕は、何を思うのだろう。



 



 いつしか辺りは暗くなり、銀の月とそこから散らばったような満天の星空が広がっている。

 


 1日通して猫を見つけては話しかけ続けたが、期待していた結果は得られなかった。


 トタン屋根のコンテナとコンクリートが所々欠けている古いビルの隙間、その路地に身体を丸めてしばらく経つ。



 もう重くて動かない四肢を地面に持たせ、ただぼぅと空を見上げる。



 身体は疲れているのだけど、不思議と空腹も喉の渇きも、不安な気持ちもない。

 本当にぼんやりと、僕と自然との境界が薄くなって溶け込んでいく感じ。


 

 

 『ナーン。』


 宙に向かって一言、誰かー、と呟いてみる。


 『ナウー。』

 

 そして今度は意味を持たせずただ喉を鳴らす。



 どちらもただの「猫の鳴き声」で、困るなぁ、と思いつつ少しだけ笑ってしまう。



 どうせ誰にも届かないなら最後まで鳴き続けよう。

 少しでも長く、この言葉をこの世に残しておこう。


 使命とか、そんなかっこいいものじゃない。


 これまで長い間受け継がれてきたこの素晴らしい文化がもう最後なのかと思うと、余計に誇らしくて、愛おしくて堪らなくなってくる。




 『ナン、ナン。ニャン。ニャウー。』

 「みんな、さようなら。楽しかった。幸せだなぁ。」



 『ナーン。ナーン。……ンナーン。』

 「誰かー。返事をおくれよ。……お願いだ。」


 銀の月と同じ色をした星々が、視界とともにぼやっと滲んで見えなくなり、雫が頬の毛を濡らして落ちる。

 そしてまた視界がクリアになった時には満天の星がより輝きを増している。


 なぜだろう。

 心は暖かいのに涙が出てくる。

 満たされているのに故も知らぬ不安がある。

 諦めたはずなのに期待してしまう。


 誰か僕に応えて、と。



 そうしているうちに数分か数時間か、もう分からないくらいの時が過ぎた。

 だんだん瞼が重くなってきて、とにかく泥のように眠たくて、目を閉じる。



 ふと、誰かが優しく頭を撫でてくれているような心地がした。



 心がぽかぽかと温かい。


 目を開けるとそこにはグレーの瞳が2つ。

 全体を見ると、どうやら白か黒か、模様のない猫。


 どうやら僕を毛繕いしてくれているようだ。



 驚いて見つめていると猫と視線が交わった。



 ニャン、と一声かけてみる。



 猫は僕の目を見つめながらゆっくり瞬きをして、ニャン、と返事をしながら尻尾をパタリと一振りした。

 それから僕のそばに寄り添うように身体を丸める。


 

 それは紛れもなく言葉ではない、ただの猫の鳴き声だった。

 

 しかし、堪らなく嬉しくて、耳の先から尻尾の最後まで包み込まれて満たされていく。

 下がる瞼に身を任せ、本当にゆっくり世界を閉じる。


 

 次に繋ぐ、僕の役目は果たされたのだ。

 この世で最後の僕だけの。

 



ペットを飼った経験のある方は一度くらい言葉が通じたらな…と思った経験があるのではないでしょうか。

ノンバーバルコミュニケーションがあるように、言葉だけがコミュニケーションの手段ではないですね。

猫は瞬きで親愛を伝えると言われてますが、私は猫と目を合わせると逃げられることが多いです。

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