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井戸

 神様の屋敷の一角にある、底が見えない井戸。陽の光が届かないほど深いのか、張っているであろう水面の揺らめきも見えない。

 深さは、いったいどれくらいなのだろう。ずっと見つめていたら、吸い込まれてしまいそうだ。

 井戸の中を覗き込んでいた真那は、神様に尋ねた。


「この井戸が、本当に志生さんの家に繋がっているの?」


 そうだよ、と神様は微笑む。


『真那は、小野篁という人を知っているか?』

「おのの、たかむら?」


 小野妹子なら歴史の授業で習ったが、小野篁という人は知らない。初めて聞く名前だ。


「平安時代の公卿で、生きた人間でありながら、冥界の閻魔大王の裁判を補佐したと言われている人物ですね」


 クエッションマークが頭の中いっぱいになっている真那の隣に立っていた涼介が、神様の問いに答えた。


『ほう、さすがに涼介は知っていたか』

「はい。叔父に教わりました」

「生きた人間でありながらって、小野篁さんは、死んでないのに閻魔様の裁判を手伝ってたってこと?」


 閻魔大王と言えば、地獄の王というイメージが強い。

 嘘を吐いたら閻魔様に舌を抜かれるぞと、幼い頃には大人達から脅されたものだ。

 そんな閻魔大王は、死んだ人間の業を詳らかにし、極楽行きか地獄生きかの判断を下す。

 実際には、十人いる王のうちの一人らしい。


『真那にとって読める書物で言えば、図書館で借りられる今昔物語の中に書かれている。病で死んだ同僚が閻魔大王の裁きを受けに連れて来られたとき、補佐をしていた小野篁のお陰で生き返ったとね』

「それ、本当の話なの?」

「俺は本当なんだろうな~って思ってるよ。叔父さんや律さんみたいな人達を見ていると、そういう人がいても不思議じゃないって思えてさ」


 律とは、真那にアーとウンを与えてくれた女性祈祷師だ。土御門の流れを汲む陰陽の術の使い手で、お祓いと占術の専門家。

 志生と律も、生きながらにして神様と共に仕事をすることがあると言うのだから、小野篁も同じだったかもしれない。


『その小野篁が、冥界に行くために使っていたのが井戸だ。井戸は、もう一つの世界に続く出入口ともなる』

「なんか、怖いな……」


 素直な感想を口にすると、神様は楽しそうに笑った。


『真那がそう思うのも無理はない。無理はするな。お前達は、正式な人間界のルートで行けばいい』

「でも、そしたら時間がかかっちゃう。志生さんの家に着くのが、神様よりも遅くなっちゃうわ」


 神様なら、この井戸を使えば一瞬で志生の家に辿り着ける。あのネコ型ロボットが四次元に繋がっているポケットから取り出すドアみたいなものだ。

 真那や涼介が人間界のルートで志生の家に行くには、自転車で三十分はかかってしまう。

 三十分も経ってしまっては、到着した頃には話が終わってしまっているかもしれない。

 それは、嫌だ。どうせなら最初から一緒にいて、水戸山の狐の処遇がどうなるのか、最後まで見届けたかった。


『ならば、私の手を握りなさい』


 神様は、ところどころ鱗が浮かぶ白い手を真那に向ける。真那が神様の手を取ると、ほのかな香の匂いが鼻をくすぐった。とても心地よく、穏やかな気持ちにさせてくれる嗅ぎなれた神様の匂い。リラックス効果が期待される、どんなアロマの香りよりも、真那にとってはこの匂いが一番の精神安定剤だ。

 アーとウンも真那の両肩によじ登り、準備万端というように、小さな鼻をピスピスと動かしている。


『涼介は、真那の手を。そうすれば、私と共に移動できる』


 涼介は頷き、真那の手をギュッと握り締めた。

 神様と涼介の温かな手が心地よい。大好きな神様と、愛しいという感情を抱いている涼介と手を繋げて、ジワジワと嬉しさが込み上げてくる。気恥ずかしくもあるけれど、喜びのほうが勝っていた。


『伯池の神様。私はどのように?』


 水戸山の狐が、神様におずおずと尋ねる。


『そのまま、あとについて参れ』

『承知致しました……』


 狐に対する、神様の態度は素っ気ない。

 神様は、肩を落とす水戸山の狐を一瞥すると、井戸の縁に足をかけた。


『準備はよいな』


 神様が井戸の上にフワリと舞い上がれば、真那と涼介の体もフワリと浮く。

 宙に浮く感覚は、とても心許ない。まるで、宇宙空間に漂うかのように、体のバランスを崩してしまいそうだ。


「ぅわあ!」


 浮遊感が少し怖い。けど、面白い。

 真那は笑みを浮かべ、涼介に顔を向けた。涼介も、アトラクションで遊んでいるときのような笑顔を浮かべている。


『さぁ、行くぞ』


 神様は滑り台から滑り降りるように、体を井戸の中に滑り込ませていく。真那と涼介は引っ張られるように、頭から井戸の中に飛び込んだ。

 フワリ……と、全身を薄い絹のような物で包まれる感覚。突如として、眼前に現れた白い光の中に飛び込んで行く。

 眩しさに閉じた目蓋を持ち上げれば、そこには手入れの生き届いた純和風の庭が広がっていた。


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