甘味は幸せ
高校の修了式が終わった午後の昼下がり。
佐々木真那は学校帰りに、彼氏である柳楽涼介と通学路にできた新しいケーキ屋さんで品物を眺めていた。
ショーケースの中に並ぶスイーツは、フルーツたっぷりで、生クリームもたっぷり。どれもボリューミーで美味しそうだ。目移りしてしまい、数ある中からどれか一つに決めることができない。
ケーキとにらめっこをしていた真那は、店内を観察している涼介を呼んだ。
「涼介君は、なににするかもう決めた?」
「俺はチーズケーキ」
「チーズケーキか……」
ニューヨークチーズケーキと書かれている箇所を見れば、明らかに濃厚チーズと言わんばかりの濃い黄色。フォークを入れたなら、グググと力を加えなければひと口大にすることができないであろう質感だ。
「絶対、美味しい」
「じゃあ、真那も一緒のにする?」
「いや~どうせなら、ひと口もらって違うお味を食べたい」
「ははっ、俺から分けてもらう前提なんだ」
楽しそうに笑う涼介に、真那も「へへへ」と照れた笑みを浮かべた。
『相変わらず、食い意地が張っているな』
頭の中に直接語りかけてきた声に、真那はプクリと頬を膨らませる。
「少しずつ、いろんな味を楽しみたいのが女子ってもんなんです~」
独り言のように文句を垂れると、涼介の顔が真横に現れた。芸能人のように整った綺麗な顔が近くにくると、付き合っている彼氏であるとはいえ、顔に熱を帯びてしまう。
涼介はそんな真那を気にした様子もなく、真那の耳元で声を潜めて囁いた。
「神様、なんて?」
「ん? うん……相変わらず、食い意地が張ってるって」
恥ずかしいながらも素直に神様の言葉を伝えると、涼介はククッと白い歯を見せて喉の奥で笑う。その表情は、とても無邪気だ。
きっと、伯池神社の主祭神であるフシミハヤテヒノミコトという名である神様も、涼介と同じ顔で笑っているに違いない。
真那の頭の中に直接語りかけてきた神様と、彼氏である涼介は、まったく同じ顔をしているのだ。
『キキッ』
『キ~』
今この場にいる人間の中では、真那と涼介にしか聞こえない獣の声。真那を護る式神の声だ。
アーとウンという名の二匹の式神は、共に狸のように丸い耳をしていて、犬のような長い口をしており、狐のようにフサリとした尻尾を持つ独特な容姿をしている。右の耳が茶色いほうがアーで、左の耳が茶色いほうがウンだ。
二匹は涼介のように、人ならざる存在を見ることができる人間にしか見えないように術がかかっている。だから、飲食店の中に一緒に居てもスタッフから注意を受けることがないのだ。
キッ! と鳴いた二匹は、乗っている真那の肩を前足で掻く。
「あぁ、ごめん。早く選ぶね」
アーとウンに催促され、再び意識をショーケースへ向ける。二匹も真那に倣うように、首を伸ばしてショーケースを覗いていた。
「あ~やっぱりタルト! タルト好き。イチゴタルトにする!」
大好物であるタルトは、カスタードクリームの上に苺がこれでもか! と言わんばかりにドッサリ乗っかっている。値段を考えれば、これだけの量の苺が使われていると安いくらいだ。サックリのタルト生地と、甘いカスタードクリーム。そして、甘酸っぱい苺。想像しただけで、口の中に唾液が溢れてくる。
「神様には、ガトーショコラね!」
「真那が勝手に決めていいの?」
一応伺いを立てたほうがいいんじゃないかと心配そうな涼介に、真那は自信を持って頷く。
「きっと神様は御神酒を飲みながら食べるからね。チョコのほうが、お酒に合うでしょ」
『そのとおりだ。さすが、よく解っている』
「ふふっ、でしょ?」
神様に褒められ、嬉しさから口元に笑みが浮かぶ。それを見た涼介は、少し寂しそうに肩を落とした。
「いいなぁ神様は……真那に理解してもらえて」
「もう! 涼介君のことも解るようになっていくから、落ち込まないでよ」
付き合い始めて数ヶ月の涼介と、十年以上前から友達である神様とでは、把握している事柄の情報量が違いすぎる。
励ますように、真那は涼介の二の腕にポンと手を置いた。
「例えば、なにか解ることある?」
子犬のような潤んだ瞳になった涼介に、真那の胸はキュンとときめく。格好よくもあり、可愛くもあるとは、ある意味ずるい。
こんな人が自分の彼氏だなんて、いまだに信じられない。
真那は、そんな彼氏が今までとってきた行動を振り返る。そうだなぁ……と呟き、人差し指をピッと立てた。
「ずばり涼介君は、このあとコンビニでブラックコーヒーを買うでしょう」
どうだ? と神妙な表情を浮かべる真那に、涼介は微笑む。
「正解。真那は、コンビニでストレートティーだな」
「うん。正解」
真那も嬉しくて微笑むと、涼介はニコリと笑ってから「すみませ~ん」と店員を呼んだ。
欲しい品を注文し、レジへ向かう。金額を伝えられると、涼介が全額支払った。
「待って、涼介君。自分と神様の分は、私が出すよ」
慌てて財布を取りだすと、涼介は「まあまあ」と、真那の通学カバンに財布を押し戻す。
「冬休みにバイトしたから、ここは払わせて」
「でも……」
『真那。こういうときは、男を立ててやるものだ』
神様にもたしなめられ、真那は涼介の好意に甘えることにした。
こういうのには、いまだ慣れない。
「分かった。ありがとう」
『それでよい』
「どういたしまして」
神様も涼介も、どちらも満足そうだ。
女心が分からないということをよく聞くが、真那にとっては、男心もまったくもって解らない。お互い解らないのだから、やはり言葉にして伝えるというのが大事なんだろうな……と、子供の頃に神様からもらったお守りのペンダントをいじりながら思ったのだった。