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のろいの狐

 保育園が休みの日曜日。

 曾祖母と一緒に出かけた散歩からの帰り道で、春斗は家の軒下に陶器の小さな狐を見つけた。

 大人の親指ぐらいの大きさをしているそれは、縦にスラリと細長く、両耳はピンと立ち、ボリューム感のあるフサリとした尻尾もピンと上に向かって伸びている。朱色の細長い両目は筆で描かれ、勢いでかすれた細い線がシュッと吊り上がっていた。


「ひいばあちゃん、白い狐がいるよ」

「なんだって?」


 曾祖母は身を屈め、春斗の小さな人差し指が指し示す軒下を覗き込むと、手の平にスッポリと収まる陶器の白い狐をムンズと掴む。しばらく眺めて、低く唸った。


「まったく、ろくでもないことするもんだよ」


 苦々し気に、曾祖母は陶器の狐に向かって悪態を吐く。

 隣家との仕切りになっているブロック塀に向き直ると、大きく腕を振りかぶって陶器の狐を投げつけた。カシャンと響く破壊音。

 陶器の狐は粉々に砕ける。


「ひいばあちゃん、どうして壊したの?」


 曾祖母の洋服を引っ張ると、曾祖母は幼い春斗に険しい表情を向けた。


「あれは、近所の誰かが置いた……呪いの狐だよ」

「呪い?」

「快く思ってないヤツが、悪いこと起これ! って、お願いすることさ」


 春斗は首を傾げた。


「どうして、大人がそんなことするの? 友達とは仲良くしなきゃダメって、保育園で教えてもらうのに」


 曾祖母は春斗の頭に手を置き、曲がり始めた腰をさらに屈めて目線を合わせた。


「みんながみんな、賢い立派な大人になれるわけじゃないんだ。大人気ないって言葉がある。やることが子供のまま、年齢だけ重ねてしまった大人もいるのさ」


 曾祖母は春斗の頭にポンポンと軽く手を置くと、両手を後ろに回して、曲がっている腰を伸ばす。上着のポケットからハンカチを取り出し、破片が散らばっているブロック塀へ向かって歩き始めた。

 春斗も、急いで曾祖母の背中を追いかける。興味津々に曾祖母の手元を覗き込んでいると、この破片は神社に返してくるんだよ、と教えてくれた。


「神社に?」

「そうだよ。この狐は、和田巳神社の稲荷社から持ってこられたんだ。ウチにかけられた呪いが返るように、お返しするんだよ」


 曾祖母は破片をハンカチで包み終えると、春斗に家へ入るように促した。


「ひいばあちゃんは? 入らないの?」

「うん……ひいばあちゃんは、これから神社に行ってくるよ。こういうのは、早いほうがいいからね」

「春斗も行きたい!」

「ダメだよ。家で待ってな」

「嫌だ! 春斗も行くの」

「ばあちゃんが、おやつを用意してくれてるんじゃないかい?」

「嫌だ~! 春斗も行くっ」


 春斗は、もうすぐ三歳になる。自分のしたいことが、言葉で伝えられるようになってきていた。したいと思った衝動は、なかなか切り替えられない。

 曾祖母は観念したように溜め息を零す。


「仕方ないねぇ。ひいばあちゃんの傍を離れるんじゃないよ」

「うん、分かった!」


 春斗は差し出された曾祖母の手を握り、二人で歩いてきた道を再び歩く。

 自治会館の敷地に隣接して建つ和田巳神社に到着すると、石造りの鳥居を潜り、お社の脇の細道へ向かって行った。

 細道にも木製の赤い鳥居がいくつも並び、まるで赤いトンネルのようだ。

少しばかり恐怖心が芽生え、繋いでいる曾祖母の手を両手で強く握り締めた。


「怖いかい?」


 曾祖母の問いかけに、春斗は頷く。

 鬱蒼と茂る木々の葉っぱが陽光を遮り、薄暗くなっているからだろう。少し……いや、かなり不気味だ。


「狐にはね、神様のお使いをするいい狐さんと、悪い心を持った人のお使いをする悪い狐さんがいるんだ。この先に社がある稲荷さんは、悪い心を持った人の願いをかなえる手伝いをする狐さんが働き者らしいんだよ」

「いい狐さんも、その悪い狐さんと同じ稲荷さんにいるの?」


 そうだよ、と曾祖母は優しい声音で答える。


「神様やお使いをする狐さんは悪くない。人の不幸を願う人間が愚かなのさ」

「みんな、いい人ばかりだといいのに」


 そうだね、と曾祖母は困ったように微笑む。


「あのね、春ちゃん。いいことをしても、それが悪いことだったってこともあるんだ」


 曾祖母の言った言葉の意味が解らず、春斗は難しい顔をする。


「ひいばあちゃんが子供の頃に聞いた話をするよ。ひいばあちゃんが春ちゃんより、もう少しお姉さんだったときに、ひいばあちゃんのおばあちゃんから教えてもらった話だ」


 曾祖母は、ポツリと語り出す。


「その昔、なかなか食べ物が手に入らなかった頃。ウチの家の人と、近所の人が連れ立って、猟をするために山へ入っていったんだ。すると、大きな狐を見つけてね。猟銃で撃って、捕まえて、みんなで美味しいって食べたのさ。久しぶりのお肉で、みんなは大喜び」


 だけど……と、曾祖母は声を低くする。


「その狐は、神様のお使いだったんだ」

「神様のお使いをしてた狐さん……食べちゃったの?」


 そうだよ、と曾祖母は肯定した。


「みんなのためにいいことしたのに、悪いことだったのさ」


 稲荷社の前に着き、曾祖母は手を合わせる。


「だから、ひいばあちゃんは謝ってるんだ。愚かで、ごめんなさいねぇって」


 目を閉じて祈る曾祖母の真似をして、春斗も手を合わせて目を閉じた。すぐに目を開けると、曾祖母は稲荷社の片隅にハンカチで包んでいた狐の破片を返している。

 呪いをお返し致します、と呟きながら。

 春斗は曾祖母の背中から、稲荷社に目を向けた。

 陶器の狐が、合唱をする子供たちのようにズラリと並んでいる。稲荷社の建物は古く、風雨にさらされて朽ち始めている部分が目につき、少しばかり不気味な印象を受けた。


「ひいばあちゃん……食べちゃった狐さんは、ここがお家なの?」

「ここじゃなくて、もっと町のほうにある大きな神社がお家だよ。葛田神社のお社の裏に、神域となっている葛田山があるんだ。そこに入って猟をしちゃってたって言うんだから、バカだよねぇ」


 バカだバカだ、と曾祖母は繰り返す。

 ハンカチをパッパと払い、陶器の細々とした破片を全て落とす。


「呪う人間もバカだ。春ちゃんは、そんなバカになっちゃいけないよ」


 曾祖母の声は、酷く冷たい。

 春斗は曾祖母の言葉の意味を全て理解ができなかったけれど、うん……と返事をしておいた。


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