神楽太夫という人
四月になり、新学期が始まって二週間余り。
クラス替えがあってクラスメイトの面子が変わり、真那は教室で共に勉学に励むこととなった新しいメンバーを覚えることに四苦八苦していた。
一クラスは約四十人。一年生のときに同じクラスだった人は大丈夫なのだが、違うクラスだった人達は、まだ三分の一くらいしか覚えられていない。
アイドルグループのような、黒髪ロングの女子が多く、みんな同じ顔に見えてしまう。
観察力の問題なのだろうけど、まだそれぞれの特徴を掴めずにいた。
そしてやはりここでもクラス単位のカーストは存在していて、早くも派手目なグループと地味目なグループに区分けが完了してしまっている。
自分がどの位置にいるかで、教室での過ごしやすさが変わってしまう。最下層にいないというだけで、心なしかホッと安心してしまうのだけれど、ちょっとしたことで脆く崩れ落ちてしまう足場はなんとも心もとない。
自分自身の地固めをしていなければ、カースト上位に君臨する生徒の顔色を伺うことに必死になって、生き苦しくなりそうだ。
ただ、同じ学校の同じ学年の同じクラスで勉強をするだけなのに。それだけの関係だけでは、許してもらえないから困る。
集団生活の中で身につけなければならないとされる社会性や協調性は、どれだけ対峙する相手を不快にさせないか、という能力に長けているか否かの適性で左右されるのかもしれない。
コミュニケーション能力に長けている人ほど、クラスの中でも発言が通りやすいのも事実。人と接することに苦手意識がある人ほど、自分の存在を消すように、内にこもってしまうのも事実。
そういう人を自分よりも下に見て、安心感を得ている人がいる限り、スクールカーストという階級の差別は無くならないのかもしれない。
時間に換算すると、一日二十四時間の中では家族と過ごすよりも、クラスメイトや部活の仲間と共に過ごす時間のほうが長くなる。だから、その場所が自分の全てだと錯覚してしまう。
どこまでも世界は開けているのに、目を向けることができなくなってしまうのだ。
学校だけが、家庭だけが全てじゃないのに。
ほかの繋がりも、自分が動けばたくさん作っていける。所属している団体やグループ、趣味や興味は広げていくべきだと、真那は思う。
今日、神社の境内で奉納されるのは、同じ県内の山間部に古くから伝わる神楽という伝統芸能。
神楽とはもともと、その場に集まる全ての人々に対する鎮魂行事。日本全国、各地域に伝わる神楽の形式は一つではない。それぞれ地域の人々の血に溶け込み、体の一部となり、血肉の中に脈打っているらしい。
口授口伝で伝承され、記録は無いに等しく、各地で異なる部分もある。
地方の神楽は神職や特定の氏子の手に限られた場合が多く、神楽の舞手は神楽師や神楽太夫というらしい。
(今日の神楽社中の神楽太夫さんって、どんな人達なんだろう)
信心深く、信念を持ち、浮世離れしている聖人君子のようなイメージがある。神楽を受け継ぎ、伝承していることに凄く誇りを持っていそうだ。
(どうしよう……胃が痛くなってきた)
真那は初めて会う神楽社中の方々に緊張しつつ、白い小袖に緋袴を履き、巫女装束で伯池神社の社務所の中を涼介と共に歩いていた。
チラリと、横目で隣にいる涼介を見遣る。
白い小袖に白袴という出で立ちの涼介に、どことなくソワソワしてしまう。
涼介が和装をしていると、本当に神様そっくりだ。というか、普段は洋装の涼介が和装をしているというだけで、色気が増しているような気さえする。
(わ〜も~和装の破壊力が凄い……)
そして伯父が予想したとおり、涼介が社務所の販売スペースに居ると、御神札や御守りを購入しに立ち寄ったマダム達が「眼福だわ〜」と肌ツヤがよくなっていた。
伯父が「姪っ子の彼氏なんだ〜」と自慢げに紹介するものだから、真那を小さい頃から知っているマダム達は、よりテンションが高くなる。「いい男じゃな〜い」とか「伯母さんがあと四十年若かったら〜」とか、いろいろ茶化されるのだ。
正直、勘弁してほしい。
苦笑いと愛想笑いを浮かべで、午前中にして若干笑顔のための筋肉が疲労している。
「真那、大丈夫?」
「えっ、なにが?」
気遣ってくれる涼介に、今の今まで頭の中を占めていた負の思考を覚られたのかと、ドギマギしてしまった。
「それ……重たくない? 俺まだ余裕あるから、もうひと袋持てるよ」
涼介は、真那が持っているペットボトル飲料が何本も入っているビニール袋を顎で示す。
真那と涼介は、神楽社中の方々の控え室として使われることになった社務所内の和室に、飲み物を運んでいる最中だ 。
一人で運べる量じゃないから、涼介にも手伝ってもらっていた。
両手にそれぞれ二袋。正直、細くなった持ち手の部分が皮膚にくい込んで痛かったりもする。けれど、涼介のほうは箱に入っている缶ビール二箱を両手に抱えて持っているのだ。それで、まだ余裕があるというのだから信じられない。
「涼介君のほうが重いの持ってくれてるから、これくらい大丈夫だよ」
「頼ってくれていいんだけどな」
「もう着くし、大丈夫」
神楽社中の方々に使ってもらう控え室の、和室の襖はもう見えている。
ケータリングのオードブルは、すでに役員の氏子さん達が運んでくれていたから、この飲み物さえ届けてしまえばオッケーのだ。
襖の前で止まり、失礼します、とひと声かける。中からの返事を待って、指先を引っ掛けて襖を開けた。
八畳の和室と六畳の和室の間を仕切る襖は取り払われ、今は十四畳のひと部屋になっている。手前に重厚感のある長方形の座卓が二つ置いてあり、その上には、すでに運ばれていたオードブルが整然と並ぶ。奥のほうに、年齢層が様々な男性が九人。
この人達が、今日の春祭で神楽を奉納してくれる神楽社中の方々だ。
「お飲み物をお持ちしました。こちらに置いておきますね」
「おぉ、ありがとよー!」
「ねぇちゃん重かったろ。おい、春斗! お前あの袋全部持ってやれ!」
年長者に指名され、春斗と呼ばれた真那や涼介と同い年くらいの少年が「はい」と返事をして立ち上がる。
猫背気味の背中を伸ばしたら、身長は涼介と同じくらいだろうか。歩み寄ってくると、無言のまま、真那が手にするペットボトル飲料が入っている袋を掴む。
「あ、どうも……」
礼を告げようとする真那の手から袋を取り、なにも言わずに背中を向けてしまった。
「あ、ありがとう!」
慌てて背中に向かって礼を告げるも、春斗は肩口で真那を振り向きみて会釈を一つするだけ。そのまま準備に戻ってしまった。
(なに、あの人……なんか喋ってくれてもいいじゃないのよ)
少し不機嫌になっていると、缶ビールが入っている箱を座卓の横に置いた涼介が戻ってくる。すれ違いざま、真那の耳元に顔を寄せた。
「行こう」
真那にだけ聞こえる囁き声。低いトーンが、耳に心地いい。
素直に「うん」と頷くと、涼介は笑みを浮かべて「失礼しました」と襖を開けた。そして真那を促し、率先して廊下に出る。真那も「失礼します」とお辞儀をし、静かに襖を閉めた。
ふぅと、溜め息がこぼれる。
神楽社中の方々は、とても気さくな印象だ。それなのに……なんだ、あの男は。愛想笑いを浮かべろとは言わないが、せめて、そう、もうちょっと、なんかこう……愛想がよくてもいいんじゃなかろうか。あんな態度が悪い人間でも、神楽を舞えるというのか。
真那の胸中でムカムカが増大していると、襖に置いたままにしていた手に涼介の手が重なった。
顔を見れば、真那を落ち着かせるような優しい笑みを浮かべている。
「きっと、準備のことで頭がいっぱいだったんだよ。気にするな」
「うん……そうだね」
まだムカムカは消えないけれど、いつまでも負の感情に向き合っているわけにはいかない。気持ちを切り替えなくては。
「指、赤くなってる」
涼介は真那の手を取り、ビニール袋の持ち手部分が食い込んで赤くなっている指をそろりと撫でた。真那は慌てて、パッと手を引っ込める。
「そ、そのうち戻るよ」
ジンジンしている指は、滞っていた血液がスムーズに流れ始めてのことなのか、涼介が触れたからなのか。
判然としないけれど、ハッキリしていることは……彼氏の行動が、心臓に悪いということ。驚いたのと恥ずかしいのとで、心臓がバクバクしている。
『キ~!』
『キキ!』
真那が首から提げている御守りのペンダントトップから、アーとウンが飛び出してきた。
涼介に飛びつくと頭まで駆け上り、ハグハグと甘嚙みを始める。まるで、真那を困らせるなと怒っているみたいに。
「ちょっと、やめろって。それ地味に痛い」
アーとウンの首根っこを掴んで頭から剥ぎ取ると、二匹を目の前にぶら下げて「め!」と子供を叱るように怖い顔をする。二匹はフサリとした尻尾を垂らし、反省の意を示すようにキュ~と小さな声で鳴く。
「分かればいいんだよ」
涼介は二匹を真那に預け、不満そうな表情でアーとウンの頭をワシャワシャと撫でる。
「まったく、とんだ見張りがいたもんだ……」
拗ねたようにポツリとぼやく涼介に、真那も少しだけ同情の念を抱いた。




