ぼくは電話が得意なの!
次の日学校で、担任より清水明代先生に相談しようと思った。六年生の担当だけれど、夏休みに音楽室で一緒にピアノを弾いて遊んだから気やすい。
「お母さんの体調が悪いらしくて、少し話したいんだけどお電話借りられないでしょうか?」
職員室でそういうと、「あ、お金? 玄関の公衆電話からかける?」と訊かれた。
「それがこーえん会で東北にいて、長距離なんです」
ぼくのお母さんがピアニストなのは知られているけれど、結婚してもうリサイタルはしてないことまでバレてたらヤバいから誤魔化した。自分の経験談とか話すことを「こーえん」と呼んでいたと思う。
「じゃ、学校の電話借りちゃおうか? 職員室じゃ落ち着かないから、誰も来ないところ、そうね、図書館の司書室に行こう」
清水先生はいたずら仲間みたいな顔をしている。
図書館まで連れだって歩いて、印刷物の匂いが溢れる部屋に入れてくれ、
「最初に9を押してビーって鳴ったら番号ね」と言って、本がたくさん並んでる図書室のほうに出て行った。
プライベートな話は聞くまいとしてくれる優しい明代先生。
大きく息を吸い込んでから神社の番号を廻した。
「恐山長秋神社でございます」
女の人の声だ。この人が小夜子さんだったらアウト、作戦大失敗。
「神社、長慶さんの神社でしょうか?」
「はい、そうですが」
相手が子供だとわかって声が柔らかくなった。
「あの、ぼくのお母さんが小夜子さんに会いたいって、だから電話番号を教えてください」
少し焦った声を出した。
「長慶小夜子のほうから折り返しさせていただきます、どちらさまですか?」
「だめ、だめなんです」
マジで焦った。でも頭をフル回転させて、自分のストーリーを復習する。
「……お母さん入院してて調子のいいときしか電話出れないから、だから……」
間があいたのが逆に効果があったかもしれない。
「そんなにお加減が悪いのですか……、お母様、お名前は?」
「加藤奈緒子。小夜子さんって稲城小夜子さんですよね? 中学校でとっても仲良くしてくれたって。お電話で声聞くだけでもいい、でもできたら神さまのお話とかも聞いてみたいって、入院してたらとっても心細くてって。前の番号通じなくなってて悲しいって」
涙ぐみそうに一生懸命話してみた。
「少々お待ちください」
おねえさんは手元の電話番号リストに目をやったのかもしれない。
「確かに番号変わってますね、新しい番号言いますね。メモしてください。0175-○-○○○○。お母様、早くよくなりますように」
「ありがとう、ありがとうございます」
受話器を置いて、手のひらを制服のズボンで拭った。
さあ、このおねえさんが彬文の家に行って、加藤奈緒子って同級生がいたかどうか小夜子さんに確かめたら、これもアウト。
本を眺めていた清水先生にお礼を言って教室に戻った。
さて、次に考えるのは彬文にお母さんの声を聞かせること。彬文が電話するんじゃない。あくまでかけるのはぼく。彬文が聞きたい言葉をどうすれば小夜子さんに言ってもらえるか。
―◇―
翌日の夕方5時、じっちゃんの帰宅前だから、恐山でもきっと、お父さんの帰宅前だ、その時間を狙った。
「彬文ぃー、お母さんに電話するからちょっと来てぇー」
あからさまなぼくの言い方に彬文は顔を顰める。
「信也、また電話? 今日は早いのね?」
お夕飯のいい匂いがしている台所から、ばあちゃんが顔だけ出してぼくを見た。
「うん、彬文の鼻歌の続きがわかんないんだ。お母さんに聞かせれば一発だから」
「はいはい」
ばあちゃんは別に止める気はなさそうだ、お料理に戻った。
ぼくはまた深呼吸してから、昨日手に入れた番号をダイヤルした。
「長慶でございます」
落ち着いた女性が答えた。
彬文が言うには、お手伝いさんがいたりもするらしいから、念のために確かめた。
「彬文君のお母さんと話せますでしょうか?」
「私が母親ですが?」
解せないという声。
「それはよかった。ぼくは『長慶彬文くんをイジメる会の会長』です。彬文君には恐山のイタコの霊が憑いているといわれているのですが、お母さん、本当でしょうか?」
電話の向こうに一瞬にして暗雲立ち込めた。
「バカ言わないでください! 彬文を本当にイジメているのですか? 名前を言いなさい!」
かなりの叫び声だ。
ぼくの隣で彬文は、洩れ聞こえる声を耳にしハラハラしている。
「今日はお母さんの誕生日だそうですが、息子さんがイジメられたらお祝いどころじゃないですよね。それで、お母さんがどれほど彬文君を好きか言ってくれたら、今日の分のイジメはやめておきます」
そう言うや否や受話器を彬文に渡した。
「私が彬文を好きか、ですって?! 好きに決まってるじゃない。毎日会いたくて毎日声を聞きたいのに。今だって贈ってくれた押し花のカード見てたんですから。一言ありがとうって言えない母の気持ちがあなたにわかりますか? あなた、何年生か知りませんが、彬文をイジメたらただじゃおきませんからね? 彬文は、恐山のイタコじゃなくて母の愛が守っていますから、遠く離れていると思ってバカにしないでください、名を名乗りなさい!」
彬文は俯いて受話器を耳から離した。ぼくはそっと受け取って、
「イジメないから大丈夫だよー、お誕生日おめでとー!」
と言って電話を切った。
下を向いたままの彬文の後ろから両肩に手を置いて、廊下をずんずんと押していった。
彬文の部屋の襖をピシッと閉めて尋ねる。
「だめだった? ぼくの作戦失敗?」
彬文は首をぶんぶん横に振って、拳で涙を拭った。
「素敵なお母さんだね」
ぼくはもらい泣きしないうちに隣の自分の部屋に逃げ帰った。