じっちゃんの孫はクラい。
作者の家に電話がついたのは昭和48年ごろでした。
その時代に母親と離れて東京にいた、ふたりの小学生の話です。
もしご存知であれば、拙作「神社の忍者は貴族の末裔」(彬文視点)から2か月後の話を、信也視点で語っています。
ずうっと母子家庭に育って今年、小四の夏休みにお母さんは結婚した。でもぼく加藤信也はお母さんに付いていかず、遠縁のじっちゃんちにイソーローしている。漢字がわからないけど、じっちゃんは神主で、長慶青造といって名前も立派だから、「行儀見習い」をさせてもらう約束で転校せずに済んだ。
千葉にいるお母さんと暮らしたい気持ちもあるけど、結婚相手をどうしてもお父さんだとは思えないし、3人でいてもギクシャクするだけだから、これでいいと決めた。じっちゃんもばあちゃんもちっちゃい頃からよく知ってて毎月ご馳走を招ばれに来てたから、住み心地は悪くない。
ばあちゃんがアレしろ、コレしろって容赦なく命令形で煩いくらいだ。
もうひとついいことは、ここには長慶彬文がいる。じっちゃんの孫で、ぼくよりひとつ年下の小三。
夏休みにはぼくが彬文の本を破いてひどいケンカもしたけど、一緒に住む前から仲良しだと、ぼくは思ってる。
二学期もたけなわ、って言葉は正しいのかな、11月頭の学芸会のクラス発表に伴奏のピアノを弾く予定だし、その数日前、今月末にぼくの誕生日はあるしで、なんとなく忙しい。
下校時刻まで学校でピアノを弾き、――といっても課題曲は難しくないから、伴奏を理由にピアノの感触を楽しんでるだけだけど――家に帰ってテレビを見て、じっちゃんが帰ってきて順番にお風呂に入り、宿題やってだらりんとして、7時から夕食。
その後自室で愛用のキーボードに向かっていた。お母さんがまた何か誕生日プレゼントをくれるだろうからそのお返し用に、「ありがとうの歌」を作曲中。
ヘッドフォンしてれば音は洩れないのに、ばあちゃんに「キーボードは夜8時まで」と約束させられているから、余り時間はない。
鍵盤を見るでもなく弾いていたら、廊下側の襖が揺れた気がした。じわじわっと開くと、そこに彬文が立っていた。
――クラい。いつもに増して、クラ過ぎる。
やせっぽちはクラいんだろうか? それとも神社のお手伝いし過ぎでお上品だから? 目が大きいのに細長くて、いつも半分閉じてるみたいなのがいけないんだろうか?
ともかくコイツはクラいんだ。
「何かあった〜?」
こういうときはめっちゃ力を抜いて声をかけることにしている。
彬文は俯いたまま入ってきて、キーボードの脚が載っている敷物の横の畳にぺたんと座った。サラサラの髪がすぐ顔を隠してしまう。
ぼくも隣に座ってみた。
「あのね……」
学校でまだイジメられてんのかな、と気になる。こいつが転校してきた一学期だけで終息したはずなんだけど。
「明後日ね、母さんの誕生日なんだ……」
「あ、恐山にいるお母さん? おめでとうじゃん?」
声はあくまで明るく保ったけど、「それでなんでクラいのか、説明しろよ」と込めた。彬文には大抵なんでも、ぼくの気持ちは説明なしに通じる。
「手紙とね、押し花つけた誕生日カードはもう送ったの。でもね……、声が聞きたいなあ、って……」
「電話すれば?」
沈黙があった。ぼくは毎週水曜日夜8時にお母さんと長電話することになっている。他にも用事があったら、「電話する!」って宣言してダイヤルしてしまえばばあちゃんも止めたりはしない。
「しちゃだめなんだ。禁止。手紙しかだめなの。4月から声聞いてない」
「何ソレ?!」
彬文はじっちゃんの跡取りの神官候補で、その修業のために東京に来ている。お父さんは当り前だけどじっちゃんの息子で、恐山の神社の神主さんだ。なんか代々跡を継ぐ家系らしい。
それは知っているけれど、お母さんに電話しちゃいけないって、そんな規則に何の意味があるの?
もしぼくがお母さんと電話で話せなかったら、ぞっとする。
「じっちゃんのせいなの? そんな規則誰が決めたの?」
ぼくは茶の間に断固抗議に行くつもりで彬文の顔を覗き込んだ。
「じっちゃんか、父さんか、よくわかんない。教団の約束だと思う……」
この教団ってヤツがどうにも気に食わない。ぼくは神社とは関係ないって、彬文にもばあちゃんにもじっちゃんにも言われる。お母さんだって、「無宗教のほうがカッコいい」とかってわけわかんないことを言う。
ぼくは部外者、除け者のイソーローな気がとってもする。
「かけちゃえばいいじゃん。家からがダメなら公衆電話からでも。お金少しならあるし、こっそり抜け出すなら手伝うよ?」
スリルたっぷりのぼくの提案も彬文を笑顔にできない。
「電話番号もわからないんだよ。僕が小学校に上がった時、連絡網で要るからってうちにも電話をつけたんだ。でも、僕が東京に引っ越すと同時に番号変えたらしい。実は今日下校中、かかるかどうかだけ電話ボックスで試した……。現在使われておりませんって録音だった」
う〜んと、どうできるかな、とぼくが考えているうちに彬文が呟いた。
「なんでここまでしなくちゃなんないのかな。神社ってなんなのかな? これで僕が神社嫌いになっちゃったら困るのは教団なのに、どうしてなのかな? じっちゃん、父さん、僕、三人は直系だからって、血筋ってそんなに大事なのかな? 修業って何なのかな?」
彬文は彬文らしく、難しく悩んでるみたいだ。
「神社なんてくだらないよね」って言ってあげるのは簡単だけれど、ぼくはその実情を知らない。雅楽の神さまをお祀りしていて、彬文は笛が得意でじっちゃんも雅楽器を演奏するし、歌も上手い。もしかしたら、親と離れて修業しなくちゃ身につかない大事なこともあるのかもしれない。
だとすると、じっちゃんやばあちゃんもグルだ。面と向かって抗議しても、埒は開きそうにない。
「信ちゃんだってお母さんと離れてると、僕のことなんかもうどうでもよくなっちゃったかなって心配にならない?」
ほら、彬文が核心の気持ちを吐いた。教団がどうとかってのは周辺の問題だ。
ぼくだってわかる、「ぼくより結婚相手のほうが大事なの?」って何度も思ったから。一緒にいてもお母さんがぼくよりも彼氏さんを見てると心配になったから。お母さんはそれに気付いてぼくのほうもしっかり見ようとして、両方立てようとしててんてこ舞いしてた。
ぼくはそれを感じてしまったから、じっちゃんちに住むと決めたんだ。
電話の時間だけは百パーセントぼくのお母さんって決めてしまった今のほうが、相手もぼくもお母さんも楽なんだ。
神社部外者のぼくとしては何よりも、彬文がお母さんの声を聞くのが大事だと思う。
――よし、目標が決まった。明後日、彬文がお母さんに電話できるようにする。