009 桜ヶ丘結奈9
そう考えていたんだけど、世の中には、ままならないことがたくさんある。
「さて……まずは主役かしらね。ラプンツェルをやりたいひとはいるかしら」
莉亜ちゃんがまるっこい字で映画に必要な役どころをすべて書いたあと、いいんちょがそう切り出した。黒板にはラプンツェル、魔女、王子さまのほかに、ラプンツェルの両親や衣装、大道具、カメラ、編集、なんて役もある。
「……遠慮しなくていいわよ」
そんなことを言われても、誰も手を上げたがらないのはお約束だよね。お姫さま役なんて恥ずかしいし、忙しいし。たとえ映画で女優さんをやりたいひとがいたとしても、ラプンツェルはちょっと……。
「みんな、お姫さまだよ? なりたくないの?」
莉亜ちゃんが盛り上げようとしてくれるのに、クラスメイトは白けた反応を返すばかり。
このままだと押し付け合いが始まってしまう。そんな雰囲気を察したのか、いいんちょが仕方なさそうに言った。
「……他薦もありにするわ。誰にラプンツェルをやってほしいかしら」
むっ。なんだか、すごく嫌な予感がするんだけど。
教室の対角線のあたりで、瑠璃ちゃんが手を上げる。瑠璃ちゃんとはクラスも放送部も同じで、よく一緒に星ラジのパーソナリティーをしたりする。まあ……親友、みたいな感じだ。
「はい渋谷さん」
瑠璃ちゃんなら安心かな。放送部が文化祭の準備で忙しいのは知ってるだろうし、あえてわたしを推薦しようとは思わないだろう。きっとわたしや瑠璃ちゃんにならないように、別の人を──
「結奈ちゃんがいいと思いまーす」
「ふぇっ!? なんでうち!?」
別の人どころか、まるっきりうち……じゃなくて、わたしだった。名指しでわたしだった。しかもクラスメイトから「あー」みたいな声も聞こえてしまう。あーってなに……。
無慈悲にも、いいんちょの手によって黒板に「桜ヶ丘」と書かれる。桜ヶ丘……。どこからどうみてもわたしの苗字だった。
「ほかには?」
瑠璃ちゃんのほかに手を挙げる人はいなかった。ラプンツェルを避けるためには、わたしが誰かを犠牲にするしかない。
でも誰を……?
莉亜ちゃんなら許してくれそうだけど、もう脚本っていう大役を果たしてもらったし、却下されるに違いない。
「いなさそうね。じゃあ……」
うぅ……このままではわたしがラプンツェルにされてしまう……。
「待って! あの、主役に推してくれるのはうれしいけど、わたし、放送部の仕事もあるし、ちょっと難しいかなーって……」
「そうなの? 渋谷さん」
わたしを援護してくれるよう、ちらっと目線を送る。瑠璃ちゃんはわたしと目が合うと、しっかりうなづいてくれた。心強い……!
「大丈夫! 結奈ちゃんの放送部の仕事は、私がやっておくから!」
違う! うれしいけど、わたしが求めていたのはそっちじゃない!
ブーイングの意味を込めて瑠璃ちゃんの方を見ると、何を勘違いしたのか瑠璃ちゃんは胸の前でこぶしを握った。がんばれ、ってことらしい。一緒に放送してるのに、わたしたちのコンビネーションはもしかすると最悪かもしれない。
「桜ヶ丘さん……?」
いいんちょと目が合う。
教室に緊張が走って、わたしも息が詰まりそうになる。
……まあ、こうなるのは、台本を読んだ時から、なんとなくわかっていたんだけど。ラプンツェルっていうのは十三歳の女の子で、今ふうにいうと中学一年生ってことになる。
そして、わたしの身長はちょうどそれくらい。クラスの中ではかなり小さいほうだ。他薦になったらわたしの名前が挙がるだろう、という予感もあった。誰かほかにやりたいってひとがいればやらなくていいかもなんて思ってたけど、その望みもついえてしまった。
あきらめ時みたいだった。
お昼の放送の時みたいに、裏返らないように、慎重に声を出す。
「……やります」
わたしだって、お姫さま役を拝命して別にいやな気はしない。それに、最後の文化祭で主役をやれるなんて、そうそうないことだし。
「桜ヶ丘さん、ありがと」
どういたしまして。
その後、他の配役、係などがとどこおりなく決められていく。魔女も王子さまも、すんなり決まってしまった。こうしてみると、うちのいいんちょさまはなかなか敏腕だ。今日はこれでもう解散かな、などと甘く考えていると、いいんちょからじきじきに「脚本と役者は残るように」と指令が下る。
教室を出ていくクラスメイトにうらやむ視線を送っていると、莉亜ちゃんが抱きついてきた。ずいぶんお疲れらしい。
「脚本おつかれさま。おもしろかったよ」
軽く頭を撫でてあげる。制服にすりすりしてきた。かわいい。わたしも妹がいたらこんな感じなのかもしれない。奏乃ちゃんは、年下で妹なのに、全然妹っぽくしてくれないし。
「ほんと? うれしい」
えへへ、とはにかむ。妹というより犬だった。今に尻尾が見えそうだ。すごい勢いで振ってるやつ。
「桜ヶ丘さん、栗橋さん、よく聞いて」
台本を手にしたいいんちょに軽くたしなめられ、莉亜ちゃんがしゅんとする。かわいそうなのでまた頭をぽんぽんした。
「役者になってくれてどうもありがとう。星花祭まであと一ヶ月ね。寮生は帰省もあるだろうし、みんなの都合が合うのは多くて数週間でしょう。30分もない映画だけど、余裕がないことには変わりないわ」
数週間……。わたしは帰省するつもりもないし、放送部も瑠璃ちゃんが何とかしてくれるなら心配ないけど、たしかに使える時間は限られている。
「桜ヶ丘さん」
はい! なんでしょう。
「……ラプンツェルをやるのは、不本意だったと思うわ。押し付けるような形になってしまったし、それについては、私も申し訳ないと思ってる。でも、二年一組の映画を成功させるためには、あなたが必要なの。……もしよければ、協力してくれないかしら」
いまさらだなあ。くすっと笑ってしまう。
……星花祭を成功させたい。
わたしのその思いを叶えるために必要なのは、わたしじゃなかった。わたし以外の誰かが主役をやって、みんなが楽しく終わればいいと思っていた。クラスも、放送部も。わたしはその人がうまくやれるように、一生懸命サポートする。それで楽しければ、わたしも満足なんだって。
でも、彼女のことばに気づかされる。いいんちょの思いを叶えるために必要なのは、ほかでもないわたしなのだ。それはちょっとくすぐったいけど。
「みずくさいなあ、いいんちょは。……わたしでよければ、力になるよ」
「よし来た!」
莉亜ちゃんがこぶしを突き出してくる。よくわからずにわたしも真似すると、いぇい、と軽く触れ合わせてくる。
「そうと決まれば、早速で悪いんだけど……」
いいんちょがポッケからメジャーを出した。それで察してしまった。
ラプンツェルを撮影するためには当然衣装が必要だ。衣装は買うにせよ作るにせよ、わたしのいろんなところのサイズがわからないと始まらない。そしてそのために採寸が必須なわけで。
気は進まないけど、大見得を切った手前逃げられない。
「トップシークレットだからね……?」
いいんちょも莉亜ちゃんも思うところがあるのか、しっかりとうなづいてくれた。