004 桜ヶ丘結奈4
わたしはごはんのあとすぐにお風呂を済ませるけど、奏乃ちゃんのバスタイムは寝る前だ。だから、夜はいつも三十分くらい部屋にひとりになる。
クッションの上でニュースを眺めていた。まだお盆の帰省ラッシュって時期じゃないのに、関東の高速道路の渋滞予報が流れている。
奏乃ちゃんは、わたしをよく妹扱いしてくる。年齢的にいうとわたしがお姉ちゃんだと思うんだけどなあ。
「奏乃ちゃん、妹とかいるの?」
お風呂から帰ってきた奏乃ちゃんに尋ねてみる。大浴場の自販機で買ったのか、少し減ったジンジャーエールのペットボトルをぶら下げていた。
「いないですけど。……ついになってくれるんですか?」
「ちがうよ!」
そうですか、と残念そうな顔をして、冷蔵庫にジンジャーエールをしまう。わたしのとなりの壁に背中をつけて座った。湯上りの奏乃ちゃんからは、きんもくせいじゃなくてボディーソープのバラみたいな匂いがした。
「先輩は、お姉さんいるんですか?」
「いないよー」
「ふーん。じゃあちょうどいいですね」
何に? とは聞かない。あたしと姉妹になるのに、とか言われるにきまってるから。ちょっとした抗議を込めて、わたしは奏乃ちゃんの腕にもたれかかる。
「きょうだいは?」
「兄がひとりいるくらいですね。でももう社会人だから、あんまり会わないですけど」
「え、ってことは妹なんだ」
意外に思って聞き返すと、奏乃ちゃんが渋い表情をした。そんな顔をされたらついついいじりたくなってしまうのが人の性だ。
「へー。ふだんはお姉ちゃんぶってるのに、実は妹なんだー」
「………」
「もしかして、だからいつもお姉ちゃん役するの?」
奏乃ちゃんの桃色の頬がぷっくり膨らむ。珍しいと思ったときには、奏乃ちゃんが左腕をよけてしまっていた。
支えを失って、ぽてっと床に倒れるまえに抱き留められる。そして膝の上に乗せられた。
「先輩、ちょっと言いすぎましたね」
「あ、え……か、奏乃ちゃん……?」
わたしの抵抗なんて少しも相手にならない。簡単に手足を抑えられてしまう。
……なんとなく、先が見えた気がした。
「謝るなら今のうちですよー。すぐに口もきけなくなっちゃいます」
「こ、怖いよ!? 謝ったら、許してくれるの?」
「許しません」
そっかー。
じゃあ謝るのはやめておこう。
***
「も、もうむりぃ……」
朝よりも激しいくすぐり攻めにあってしまった。わたしが弱すぎるのか、奏乃ちゃんが上手すぎるのかわからないけど、息をつく暇もくれない。床に突っ伏すと、奏乃ちゃんはやっと拘束を解いてくれた。
ひたすら肺に酸素を送る。笑いすぎたせいで腹筋がうずく。こんなにしんどくなったのはいつぶりだろう。一年生の冬にやったマラソン大会以来かもしれない。
「ひどいよ……。こんなにしなくてもいいのに……」
額に汗がにじむ。ホームランバーを舐める奏乃ちゃんに恨めしい視線を送ってみる。涼しい顔をして受け流されてしまった。
「先輩もこちょこちょ弱いですねー。……アイス、食べます?」
「いらないよ!」
もう寝るのにいい頃合いになりそうだった。この時間からのバニラアイスは背徳の味がして、それはそれでおいしいかもしれないけど、きっと何かとやさしい味ではない。
奏乃ちゃんと一緒に暮らしていると、もしかしたら彼女は「カロリー」ってことばを知らないのかもしれないとときどき思う。それとも奏乃ちゃんの食べるものにはカロリーがないのかな。奏乃ちゃんが食べるからゼロカロリー。……ちょっと何言ってるかわかんない。
深夜帯に差し掛かったテレビから流れる、独特なバラエティー番組を聞き流しながら、ごろごろする。今日は二回もくすぐられて疲れてしまった。目を閉じればこのまま眠ってしまえそうだ。
「……明日も学校ですか?」
奏乃ちゃんの捨てた木の棒が、ごみ箱のビニール袋にこすれて音を立てる。
「ううん。明日はおやすみー」
ふぅん、と気のないあいづちが返ってくる。いくら文化祭の準備があるといっても、日曜日くらいは休ませてもらえる。クラスも部活も、そこまでブラックじゃない……と、思いたい。
「予定は?」
「別にないよー。奏乃ちゃんは?」
「あたしもです。ひさびさにゆっくりできますね」
「そだねー」
テレビを眺める奏乃ちゃんの横顔に微笑みが見える。わたしをからかうときみたいな邪な笑みじゃなかった。ちょっとうれしい。
「……なんですか?」
「なんでもない」
いけない。わたしもにやついてしまった。これ以上つっこまれる前にと、起き上がって洗面所に向かう。
「もう寝ちゃうんですか? 明日休みなのに」
「明日休みだから、ね」
休みの日の午前中を棒に振るのももったいない。言い返すと、奏乃ちゃんの姿が洗面所の鏡に映る。奏乃ちゃんも夜更かしはやめたらしい。
歯を磨いてから、今日はちゃんと間違えずに二段ベッドの上に入った。
消しますよー、と言ってから、奏乃ちゃんが部屋の明かりを落とす。呼吸とシーツのこすれる音が聞こえるようになる。
静けさに身をゆだねるようにまぶたを閉じる。明日は奏乃ちゃんとどこかに食べに行けたらなあ、なんて考えていた。