036 美波奏乃 17
「私は片倉沙希から送られてきた動画を見ても、満足できなかった。あきらめてすべてを受け入れ、ダッチワイフのように犯される桜ヶ丘結奈を見たいわけじゃない。私のように、泣き叫んで、絶望してほしい。私の復讐心が満たされないのは、何度繰り返しても同じことだった」
渋谷瑠璃は浮かべていた笑みを消す。彼女のほのぐらい復讐心は、一度先輩を犯したくらいでは消えなかった。先輩は、一度や二度じゃなく、何度も慰み者になった。男たちが、小柄な先輩をむさぼるように覆いかぶさっている映像を思い出し、あたしは身震いした。
「私の復讐が志半ばになっているというのに、時間は待ってくれなかった。片倉沙希から、片倉の家が大阪から引っ越す予定だと聞いたんだ。桜ヶ丘結奈は星花女子の寮に入る予定だというのもね。私は焦った。女子校の寮に入られると、今までの方法は使えなくなる。このままじゃ、計画が宙ぶらりんのまま終わってしまう。
私は両親に、高校は何としても星花女子がいいと訴えた。桜ヶ丘結奈が私の手の届かないところに行ってしまわないように、あわよくば復讐を続けられるように、私は懇願した。もちろん、両親は反対したよ。何せ私には、あの忌々しい過去がある。親元から離れて高校に行くなんて、今度は何があるか分かったものじゃない、と。私は星花が女子校で、しかも校内に寮があることを強く主張した。くしくも桜ヶ丘結奈がここを選んだ理由と同じなのかもね。
結局、親は最後まで同意してくれなかったんだけど、私は勝手に出願して、受験日に黙って星花女子まで向かった。小遣い稼ぎをしたかいがあったよ。合格発表の時にバレて、親にはめちゃめちゃ怒られたけど、彼らはしぶしぶ私が星花に行くことを許してくれた──というより、そうせざるを得なかったんだ。私はここ以外の高校をひとつも受けていないわけだから、どうしようもないし。危うく高校浪人になるところだった。今となっては笑い話だけどね」
東京からここに来るって決めたとき、あたしはたくさん悩んだし、いろんなひとに相談した。ミサやユキにも、兄にも、もちろんお父さんやお母さんにも。
けど、渋谷瑠璃にとっては、そうじゃなかった。復讐のために──いや、復讐とさえ言えないようなもののために、ひとりの女の子を追いかけて、何百キロも離れた高校にあっさりと進路を決めてしまう。ふつうの中学生にできることとは思えない。悪意が動機なら、なおさらそうだ。
そういった意味で、渋谷瑠璃は──ゆがんでいる。見知らぬ男にされたことが彼女をゆがませてしまったのだろうか。
「私は星花女子に入学して、桜花寮に入った。ついでに桜ヶ丘結奈と同じ放送部に入部したりもした。桜ヶ丘結奈への復讐の計画を続けるためには、なるべく彼女の近くにいるのがいいからね。
それから、私は第二幕を考え始めた。ああいう手は、もうおそらく使えない。女子校の寮という閉鎖的な環境に加えて、彼女は性的な視線におびえて生活するようになったからだ。警戒心の強い動物ほどとらえるのは難しい。でもそれ以上の方法が何かあるだろうか。桜ヶ丘結奈が絶望するような方法。顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶような方法。あれでうまくいかなかった以上、私にはもう思いつかなかった。
何もできないまま数ヶ月が過ぎようとした頃に、私は彼女がよく思いつめた表情をするのに気が付いた。部活もクラスも、寮まで同じという私には、彼女の異変を察知するのは簡単だった。これは何かに使えるかもしれない。私は親友という立場を利用して、彼女に教えるように迫った。
『最近結奈ちゃん、元気ないよ。何か悩みごと?』
『悩みがあるなら言ってもいいんだよ。私、力にはなれないかもだけど、相談なら乗るから!』
みたいに、何度も何度も。最初の方は、かたくなに口を開こうとしなかったけど、私がしつこく食い下がると、彼女は自分から襟を開いてくれた」
なんだと思う、と渋谷瑠璃はあたしに尋ねる。先輩の悩み──それは先輩が今も抱えていて、苦しんでいるものなのかもしれない。あたしには想像もつかない。素直に首を振ると、彼女はため息をついた。
「愚かだね。一緒に暮らしているのに気が付かなかったんだ。きみが気づいてあげられていたら、彼女はこんなところに来なかったかもしれないのに」
渋谷瑠璃は、みぞおちを人差し指でつつきながら、あたしを容赦なくなじった。あたしも責任を感じていることだったから、何も言い返せない。あたしは先輩とあの部屋にいたとき、幸せな思いをすることばかり考えていて、先輩の苦しみに目を向けようともしなかった。そんな自分が悔しい。
愚鈍な王子さまのために、魔女の私が教えてあげる。渋谷瑠璃はそう言った。
「いつも通り放送部の活動を終えたあと、私たちは一緒に寮に帰った。いつもは部屋の前で別れるんだけど、その日は彼女が私の袖を引っ張って515に連れ込んだ。きみが入寮する前は、桜ヶ丘結奈はあの部屋にひとりだったんだよ。
彼女は私をローテーブルのそばに座らせて、自分はベッドに腰かけてから切り出した。
『瑠璃ちゃん、相談、乗ってくれるって言ったよね』
私は神妙な顔をして、もちろん、結奈ちゃんのためなら、と答えた。内心ではうれしくてたまらなかった。桜ヶ丘結奈が私に相談してくれたことが、じゃないよ。やっと桜ヶ丘結奈の弱みを握れることが。
『誰にも言わないでね』
そう前置きしてから、彼女は言った。
『……わたし、まだ来てないの』
私は一瞬、何のことかわからず、戸惑った。でも、何が、と訊く前に思いついたんだ。そういうはばかるような言い方をするってことは、あれのことなんだってね。
『来てないって……初めても?』
彼女はうなづいた。たしかに、高校一年生にもなってまだ来てないっていうのは遅いよね。彼女が悩んでしまうのもうなづける。
『保健室の先生のとこには行ったの?』
今度は首を横に振る。
『どうして?』
我ながらひどい質問をしたものだね。どうしてかなんて、私にはわかっているようなものだったのに。
彼女は何も答えずにうつむいた。私はそれを見てやっと悟った。私が脚本を考えるまでもなく、すでに復讐の第二幕は始まっていた。彼女は、中学の時に犯されたことが、初潮が来ない原因だと考えている。そのことを自分の口から話すのが怖くて、誰にも相談できない。彼女にとっては、自分が犯されたことだけでなく、犯されて泣き寝入りした理由──父親が性犯罪者であるということも、知られてはいけないことだから。
『結奈ちゃんは、ほんとに来てほしいと思ってるの?』
それは、私がこれからの計画を考えるにあたって、どうしても聞いておかなくてはいけないことだった。
私はできるだけやさしい声で、うつむいたままの彼女にそう尋ねた。彼女は驚いたように顔を上げた。
『あ、いや、結奈ちゃん、来てほしいっていうより、なんかまだ迷ってる感じだったし。保健の先生に言わないのもそういう理由かなーって』
適当なことを言ってはぐらかす。踏み込んだことを聞きすぎたか、と少し後悔した。桜ヶ丘結奈には、私が大阪にいたことも知られてはいけない。私の名前もどこから洩れているかわからないし。
彼女は私の想定通り、首を横に振った。
『来てほしくない。でも、来ないのも怖いよ』
じゃあ、と私は言った。
『じゃあ、大丈夫だよ。私も来たの、高校生になってからだし。きっと、結奈ちゃんは心の準備ができてないだけだよ。それができれば、来るんじゃない?』
弱った彼女には、私のことばは悪魔のささやきのように思えただろうね。私の生理のくだりは真っ赤な嘘だけど。悩むことはないんだ、誰にも言いたくないなら放っておけばいい。そういうふうにも聞こえたはずだ。
今になって思うと、桜ヶ丘結奈には誰ひとり頼れる人がいないんだ。母親はいないし、義母も義姉もあれだしね。そういうことが知りたければ、ネットかなにかで調べるか、保健の授業ぐらいしか方法がない。私の言うことを鵜呑みにしても仕方ないよね。
私に話して楽になったのか、彼女の表情は明るくなっていた。ありがと、相談してよかった、と言われて、私は515をおいとました。
自分の部屋に帰ってから、笑い転げてしまった。復讐は思わぬ方向にうまくいっていた。生理が来なければ、彼女のからだは欠陥品になる。来たとしても、そのとき彼女は間違いなく絶望する。彼女は時限爆弾を抱えているような存在で、私はそれをただ眺めているだけでいい。最高の筋書きでしょ?」
「どこが……」
最低だ。渋谷瑠璃はあたしを殴りつけていたときのような嗜虐的な笑みを浮かべた。
「桜ヶ丘結奈は、父親の罪への罰として、子供のからだに囚われ続ける。塔の外にも部屋の中にも希望はない。これは、そういうラプンツェルのお話だよ」