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033 美波奏乃 15

 ──脇腹に、重たい衝撃が走る。


「あ、がっ」


 激痛で呼吸が乱れる。立っていられなくなって、あたしは沈められるように廊下にうずくまった。渋谷先輩は──渋谷瑠璃は、あたしの脇腹をえぐったかかとを、静かに床に下ろす。回し蹴りがきれいにきまっていた。


「王子さま。あの小鳥は、もう巣の中で歌ってはいないよ。あれは、猫がさらっていってしまったのさ」

「う……ぁ……」


 噛み締めた奥歯の間から、息が漏れる。彼女が近づいてくるのが見えた。ゆっくりと、あたしに恐怖を与えるように。また、やられる。でも、急所に一撃を入れられたからだは、言うことを聞いてくれない。床の上でちぢこまることしかできない。


 彼女はあたしのあごの下から、つま先を振りぬいた。視界が揺さぶられ、吐き気がこみあげる。朝から何も食べてないことが幸いだった。


 床にからだを打ち付ける。ほこりが舞う。反撃しようにも、起き上がるひまさえ与えてくれない。

 彼女の足が振り上げられる。守ろうとしたが、その前に彼女のするどい蹴りが突き刺さる。


「うぐぅっ」


 今度はみぞおちだった。あまりの痛みに意識が遠のきそうになって、必死に理性を保つ。だめだ、あたしには、役目がある。先輩を迎えに行かないと。


 渋谷瑠璃は、痛みで抵抗できないあたしを何度も蹴った。おなかの下のあたりを踏みつぶされたあと、もう片方の脇腹にもかかとを入れられる。ろくに防御も取れず、サッカーボールみたいに蹴られては転がるのを繰り返す。彼女は気持ち悪いくらい的確に、急所につま先やかかとを突き立てた。そのたびに激痛が走る。あたしは息も絶え絶えになりながら、彼女の攻撃を受けた。


 仰向けに転がされると、渋谷瑠璃はあたしに馬乗りになった。あれだけあたしを足蹴にしたのに、頭の上にはまだ魔女の帽子がのっかっている。


 彼女は少しも呼吸を乱さないで、愉快そうな笑みを浮かべていた。そのまま、おなかに何度も殴打をもらう。苦痛に顔をゆがませても、容赦する気配はない。ヤバいタイプだ。憐れむとか、そういう考え方がない人間の笑い方だ。このままだと、あたしが意識を手放すまで殴られ続けるかもしれない。


 声にならないうめき声が漏れる。彼女はあたしのブラウスの首元をつかみ、目の前でこぶしを振り上げた。顔だ、と分かっていても、守ることはできない。もう指一本動かなかった。


 左頬を殴られる。頬の内側が切れて、口の中に血の味がにじむ。


「痛いでしょ」

 彼女はあたしのおとがいをつまんで、表情を確認するように、顔をのぞきこんでくる。苦痛に歪ませながら、せいいっぱい強がる表情を作った。


「カギ、ほしい?」

 そんなの、当たり前だ。ここからじゃ、先輩に声を届かせることはできない。答える代わりに睨みつけると、渋谷瑠璃はばかにするように鼻で笑った。


「カギは渡すよ、王子さま。でも、それは私のお話が終わったあと」


 それを待たなくても、奪い取ることはできるはずだった。彼女はあたしよりも小柄で非力に見えていた。しかし、あたしはなすすべなくボコボコにされてしまったわけで──その時点で、その可能性はついえている。


 渋谷瑠璃は、あたしを虐げることに飽きたのか、襟首から手を離した。そして、今度は乱暴に左胸を揉む。何をされてもされるがままだった。鈍い痛みに顔をしかめることしかできない。


「ふーん。意外とあるんだね」


「………」


「健康に育ってうらやましいよ。このふくらみは、私も桜ヶ丘結奈も手に入れることができなかった」


 渋谷瑠璃のからだに目をやる。たしかに、先輩よりも背は高いけど、そのぶんスレンダーに見える。むしろ、「貧相」という言葉が似合いそうなほどだった。


「……何が言いたいの」

「おっぱい揉まれて気持ちいい?」

「ふざけないで! あなたは……ほんとうに、先輩の友達なの?」


 渋谷瑠璃は、先輩と同じクラスで、同じ部活で、部屋だってとなりで──でも、もうあたしには、彼女が先輩の友達だとは思えなかった。今もきっと先輩は苦しんでいる。それなのに、焦るどころか、あたしの胸を右手で鷲掴みにしたまま、楽しむような余裕さえ見せている。そんなのが友達だなんて、信じられない。


「少なくとも、桜ヶ丘結奈はそう思っている。瑠璃ちゃんは親友だってね。だから私は、きみの知らないことも知ってる。彼女がどんな家庭で過ごしてきたかも、彼女の過去にどんなことがあったかも、彼女が今何に苦しんでいるのかも。何もかも」


「……だったら、何?」

 あたしは、彼女のルームメイトで、後輩だ。親友と呼ばれるような関係でも、姉妹でもない。だから、先輩に何か後ろ暗いものがあっても、あたしには知ることができない。


 それでいいと思っていた。先輩のことを知りたいと思うけど、知るのは今の先輩だけでいい。一緒に今を見るっていうのは、そういうことだから。


「きみがカギを手に入れて、桜ヶ丘結奈に会うことができたとして──それで、連れ戻すことができると思う? 『あたしがそばにいれば、彼女は大丈夫』みたいなことって、ないと思うけど。だって、きみがそばにいても、桜ヶ丘結奈はここにきてしまったんだから。自分の意志で、ね」


「……っ」


 悔しいけど、何も反論ができない。あたしには、先輩の苦しみも、どうしてあたしの前から姿を消してしまったのかも、わからない。先輩の「親友」である渋谷瑠璃には、それがわかるのだ。


 なら、あの部屋には、あたしじゃなくて彼女が行くべきなんじゃないか。行くように彼女を説得する方が近道なんじゃないのか。


 しかし、渋谷瑠璃は、あたしにカギを渡すと言った。わかっていたけど、自分で先輩を助けに行く気はさらさらないらしい。


「そんな悔しそうな顔しないでよ。いじめたくなっちゃうでしょ」


 ぎゅっと彼女はあたしの胸をしぼる。一緒に寝た時に、先輩が顔をうずめていた場所──その感触が、渋谷瑠璃によって塗り替えられていく。


「そんな王子さまのために、私がラプンツェルのお話をしてあげる。桜ヶ丘結奈というラプンツェルと、彼女の知らない魔女のお話を。先に言っておくと、この話にハッピーなオチはないよ」


 だって、と渋谷瑠璃は胸から手を放して、古い放送室のドアに視線をやった。


「このお話は、まだ続いているんだから」

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