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031 美波奏乃 13

 悪い予感ほど、当たってしまう。


 全然眠れたような感じはしなかったけど、起きたってことは寝ていたんだろう。部屋の電気も朝までつけっぱなしだった。下のベッドを見ても、先輩は帰ってきていなかった。ちりちり、頭の中で焦げるような音がする。目を覚ますためにコップ一杯の水を飲んで、手早く制服に着替える。カバンをつかんで部屋を飛び出した。


 先輩は帰ってきて、仮眠をとって、出て行ったのかもしれない。先輩は放送部の部室に泊まったのかもしれない。徹夜で映画の準備をしたのかもしれない。


 こうだったらいいな、というストーリーはいくつも思いついた。そのどれか一つであること、それだけでいい。最悪のストーリーはひとつしか思いつかないから、確率的にはよほど低いはずだ。


 校庭を横切って走る。もうまばらに登校してきている生徒がいて、走っていると彼女たちの視線を感じる。昇降口で靴を脱ぐ。どっちから行こう。放送室か、二年一組か。迷って、先に放送室に行くことにした。


 放送室は、新校舎の三階にある。階段を駆け上がって、息もととのえずに白い金属製の扉をノックする。待っても中から反応はない。他よりも厚く作られているから、ノックじゃ聞こえないんだろうか。


 仕方なく、ノブをひねった。数人の女子が忙しそうにしている。その中に見知った顔を見つけた。


「あれれ? 奏乃ちゃんだ」


 渋谷瑠璃さんだった。寮のおとなりさんで、先輩からクラスも部活も一緒だと聞いたことがある。


「どーしたの? 結奈ちゃんに用?」

「えっと、まあ、そんなとこです。先輩、いますか?」

「ううん。今日は見てないなー」

「あの、ちなみに昨日の晩は、部活で準備したりとか」


 あたしが尋ねると、渋谷先輩は苦笑いをした。


「あー、まあね。おかげで寝不足で……」

「先輩も、そこにいましたか?」

「結奈ちゃん……は、クラスの方にいたんじゃないかなー。こっちには来なかったよ。教室見てきたら? あ、視聴覚室のほうかも。上映はそっちだから」

「そうですか……。ありがとうございます。あと、すみません、忙しいのに」


 ううん、文化祭楽しんで。彼女は笑う。あたしも笑い返して、放送室を後にする。うまく笑えていたかは、わからない。


 先輩は部活にはいなかった。だとすれば、残りはクラスの方の準備を手伝っていたってことだ。


 文化祭が始まる前のあわただしい廊下を、速足で歩く。高等部の教室は同じ三階にある。


 曲がり角を曲がるとすぐに先輩のクラスの教室だった。蛍光灯はついているけど、誰もいない。みんな映画の設営を手伝っているんだろうか。渋谷先輩が視聴覚室かも、と言っていたことを思い出して、階段を駆け下りた。


 視聴覚室には一クラス分くらいの生徒が集まっていた。ほとんどの人が紫色の学年章をつけている。高校二年生の色だ。先輩のクラスメイトらしい。


 近くにいた愛想のよさそうな先輩に話しかけてみる。なぜかベレー帽みたいなものを被って、小さいサングラスをしていた。監督さんなのだろうか。息を切らして駆け込んできた後輩にじゃっかん引いているような気がしたけど、もしあたしの予感の通りになってしまえば、気にしている場合ではない。


「あの、すみません、いきなり。結奈先輩……桜ヶ丘先輩、来てますか?」

「ゆなっちは……」


 背伸びをして、彼女の視線が教室中を行ったり来たりする。あたしも一緒に探してみたけど、先輩の小さなからだは見つけられなかった。


「いないね。そういえば、昨日から見てないかも」


 血の気が引く。彼女の言葉は、考えうる限り最悪の状況を指し示していた。頭の中の焦げる音が大きくなる。


「すみません、準備の邪魔しちゃって」

「ううん、全然。……どうしたの、きみ。具合悪い?」

「……だ、大丈夫です。ありがとう、ございます」


 足が震える。今日は曇っていて蒸し暑いはずなのに、肌寒く感じてしまう。


 人通りが少ない階段にうずくまる。脳内がごちゃごちゃになっていた。昨日、先輩は寮の部屋に帰ってきていない。放送部の企画の準備を手伝っていたわけでも、クラスの映画の設営を手伝ってたわけでもない。昨日からメッセージを五回も送ったのに、既読もついていない。だとしたら……。


 最悪だ。なんで昨日、先輩の様子を見に行かなかったんだろう。昨日のうちに違和感に気が付いていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。


 めまいがした。落ち着け、と頭の中で誰かがささやく。まだ手段を残してあるだろ。


 最後の希望を託して、震える手でLINEから電話をかける。シンセサイザーの発信音を聞く。出て、出て、出ろ出ろ出ろ出ろ!


 スピーカーから彼女の声が聞こえることもなく、ダイヤルが切れる。画面を見ると、「応答がありません」というポップアップが表示されている。


「ああ、もう!」


 落ち着いていられるか!


 誰か、たちの悪いドッキリだと言ってほしい。仕掛け人は誰? 汐音ちゃん? あたしが焦るさまを、先輩と一緒にどこかから見ていて、爆笑しているんだろうか。昨日のことは謝るから、だったら早くネタバラしして。


 スピーカーから流れる放送のチャイムの音で現実に引き戻される。渋谷先輩のはきはきした声が、階段に反響する。


 放送部です。これより、第64回星花祭をはじめます。この二日間、いっぱい楽しみましょう!


 その放送を合図に、喧騒が徐々に大きくなっていく。星花祭は、星花女子の生徒だけじゃなくて、入場券を持った家族の来客もある。学校に人が増えてしまえば、先輩を見つけるのは余計にむずかしくなってしまう。


 もうほかに手はない。うずくまっていても先輩が見つかるわけじゃないのだ。あたしは手当たり次第、学校中を探し回ることにした。


 人通りの多い廊下に出る。まだ制服が目立つけど、生徒だけでもかなりの数だ。文化祭が始まって、そのほとんどが教室から出てしまっているから、ひとの波にもまれて移動することしかできない。この中から、あの小さな体を見つけなければならない。


 お祭りの熱狂と、彼女が見つからないかもしれないという焦りで、額に汗がにじむ。模擬店になっている知らない教室に入って、ひたすら人の頭を数える。違う、違う、違う……。


 一階の教室をしらみつぶしに見終え、二階に上がろうとしたとき、スマホが震えた。先輩かもしれない、とわずかに希望をもって確認するが、案の定、違った。


 九時からシフト、と過去の自分からリマインダーが届いている。もう十分もない。こんな時とはいえ、知らんぷりをするのは気が引けた。事情を話して、誰かに代わってもらえたら……。


 三階の自分の教室まで急ぐ。ちょうどいいところに汐音ちゃんを見つけて、駆け寄る。


「汐音ちゃん!」

「奏乃じゃない。シフトの時間? ……あんたどうしたの? 汗やばいけど」


 冷汗で、額に前髪が張り付いていた。うん、えっと、と何から説明していいか迷う。呼吸も落ち着かなくて、まともに話せる状態じゃなかった。


 見かねた汐音ちゃんに手を引かれて、暗幕で仕切られた場所に連れていかれる。お化けの控え室兼更衣室だ。はいこれ、と汐音ちゃんが差し出したミネラルウォーターで、自分の口を湿らせた。


「落ち着いて説明しなさい。何があったの」

「先輩が、いなくなっちゃって」

「先輩って、桜ヶ丘先輩のことね?」


 汐音ちゃんは先輩のことを知っているみたいだった。あたしがいつも話してるからだろうか。


「そう。昨日の朝から、帰ってこないの。部活の人もクラスの人も、見てないって言ってた。ケータイもつながらないし、全然見つからないんだ。あたし、心配で、探したいの。だから、一生のお願い! シフト変わって!」


 ぱん、と手のひらを合わせて、汐音ちゃんを拝む。汐音ちゃんはいつになく真剣な表情で、髪をかき上げた。まるで、あたしをとがめるような目つきをしている。


「もしあたしがシフト代わったとして、いまのあんたに見つけられるの?」

「そ、そんなのわかんないよ。でも、探さないと」

「落ち着きなさいってば」

 汐音ちゃんの声には苛立ちが見え隠れしていた。あたしは口をつぐむ。


「先輩が帰ってこなくて焦るのはわかるけど、闇雲になっても何も始まらないわ」

 彼女の言うとおりだ。冷静に考えないと、先輩の居場所なんてわかるはずがない。


「先輩は、自分の意志でいなくなったの? それとも、誰かに連れ去られたの?」

「……わからない」


 あたしが答えると、汐音ちゃんはあからさまなため息をついて、子供にさとすような口調で話し始めた。


「少しは考えなさい。あんた、あんなに先輩にべったりなのに、そんなのもわかんないわけ?」


 挑発的なことを言われる。せめて先輩が書き置きとか残しておいてくれればあたしにもわかるんだろうけど、そういうものはなかった。そういうものがあれば、コロンを探しているときに目に付くはずだ。


 脳のふだん使わない部分で考える。もし何もないとすれば、先輩は誘拐されたってことになるだろうけど、寮は学園の敷地内にあるから、学校と寮の間で誘拐されるっていうのもちょっと考えにくい。一緒のベッドで寝た日の夜や次の日の朝に、先輩が学園から出たっていうのも、考えられなくはないけど……。


 一緒に寝た日──。そうだ、あの日の先輩は、どこか様子がおかしかった。あの日だけじゃない。二学期が始まって、少し経ったあたりから、ずっと。


 あたしは、星花祭が終わっちゃうのをさみしがっているんだとばかり思っていたけど、それは、盛大な勘違いだったんじゃないか。


 星花祭前の一週間、先輩は何かに苦しんでいて──あの日は、あたしに助けを求めていたんじゃないだろうか。それにあたしは気づけなかった。


「……先輩は、自分の意志でどこかに行ったんだ」


「……確かなの? 何かあってからじゃ遅いのよ」


「うん。間違いない」


 あんたがそう言うなら、そうなんでしょうね。汐音ちゃんは言った。


「だとしたら、きっと見つけられる場所にいる。シフトは代わったげるから、今のあんたに何ができるか考えて、必ず見つけ出しなさい。もしダメだったら、文化祭の明日のプログラムは中止して、星花女子は警察のお世話よ」


 わかった、とうなづく。なんとか見つけなきゃいけない。先輩が楽しみにしていた文化祭を、悪い思い出にしたくない。

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