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028 美波奏乃 10

 始業式は退屈だった。


 ホールに全校生徒が集められて、理事長先生や校長先生のありがたいお話を聞く。あたしはお話の内容に一ミリも興味が無いので、今日のお昼どうしようとか、そういうことばかり考えている。昔の星花を知るOGのひとたちは「だいぶ短くなったんだよ」っていうけど、やっぱり退屈なものは退屈なのだ。早く515号室に帰りたい。


 ラッキーなことに、一年四組はホールの後ろの方の席だった。ここからなら、ホール全体を見渡せる。あくびをかみころしながら、先輩の頭を探した。あたしには、これくらい離れていても、先輩を識別することができる。自己紹介の「とくぎ」の欄に書いてもいい。とくぎ:先輩の識別。


 いたいた。前から四列目ぐらいの、周りよりちょっとへこんでいるところ。


 となりの子はヘドバンしそうな勢いで船をこいでいるのに、先輩は先生方のお話を真剣に聞いているみたいだった。……あの子、けっこう前の方の席なのにあんなので大丈夫なのかな。あとで担任の先生に怒られたりしないといいけど。


 それはともかく、やっぱり先輩だ、と思う。先輩はまじめだ。そういうところが、とてもかわいい。


 そんなことを考えていると、左の脇腹(わきばら)をつねられた。痛い痛い。何、今いいとこなのに。


「あんた、顔ヤバいわよ」


 汐音(しおん)ちゃんが耳打ちしてくる。頬を触ってみると、たしかににやーっとした口の形をしていた。


 ダメだ。いくら始業式が暇だからと言って、こんなだらしない顔をしていては。あたしも、クラスの子にドン引きされたくないし。


 自分で脇腹をつねる。脇腹といえば、先輩は寝る前のお菓子とかを、あんまり食べたがらない。もともと食べられる量が少ないからか、すぐにぽちゃってしまうらしい。あたしはあんまり我慢する方ではないので、よくあんなに辛抱できるなあ、と感心する。


 でも、あたしはぷにっててもいいと思う。抱き心地は今も最高だけど、もうちょっとぽちゃってたらさらに最高になるに違いない。先輩のぷにぷにした脇腹をつついてみたい思いもある。脇腹をつつかれて、びくっとする先輩。かわいい。


 また汐音ちゃんにつねられる。今度は声が出そうなくらい痛い。早く先生の話が終わらないと、あたしの脇腹が持たない。



 ***



 始業式の日は学校もそれでおしまいだったけど、翌日からは授業もふつうに始まってしまう。それは、あたしにとって良いこととは言えなかった。


 夏休みは、ふたりとも用事がなければ、ほとんど一日中、寮の部屋にいられる。でも、二学期が始まってしまうとそうはいかない。朝は部屋でゆっくりしてる時間なんかないし、学校に行ってから夕方までは授業を受けないといけない。ゆっくりできるとすれば夜だけど、部活や宿題で(主に先輩が)忙しいことが多いから、朝から寝るまでに二言三言しか会話を交わさないなんてこともある。仲が悪いわけでもないのに。


 そういう生活をしていると、だんだん先輩分が不足してくる。補給できる休日は貴重だ。


 だから、週末は515号室でごろごろしていた。決して無駄づかいしているわけではなく、先輩と部屋にいるってだけで、あたし的にはお得なのだ。


 先輩は、週末の休日の昼下がりはたいてい勉強している。五時間ぐらい。あたしは気が向いた時しかやらないので、先輩のそういうところは尊敬してしまう。


 先輩は、背の高い勉強机に向かっているときと、ローテーブルで勉強しているときがある。勉強机に向かっているときは「邪魔しないで」の合図なので、あたしはベッドで本を読んだり、スマホをいじっていたりする。ローテーブルでやっているときは、「ちょっかい出してもいいよ」のときだ。そういうときに、あたしが気づかないで何もしないと、「やってこないの?」みたいな視線を送ってくるので、「ちょっかい出してほしい」のときなのかもしれない。


 日が沈むぐらいのころ、先輩と一緒に寮のカフェテリアで夕食をとった。お風呂に入るのはずっと別々だ。あたしは別にいいけど、先輩は嫌がるような気がするので、一緒に入ろう、とか言ってみたことはない。あんまり困らせて、気まずくなるのは得意じゃないから。


 先輩の横に座って、九時のニュースを眺める。先輩はあたしの右手を取って、においを嗅いだ。もう気づくなんて、鼻がいい。


「使ってくれたんだ」


 お風呂上りに、先輩にもらったハンドクリームを塗った。先輩に気付いてほしかったから、初めて塗るのは先輩が部屋にいるときにしたのだ。ヴァーベナの香りがするクリームは、もともとあたしのからだの一部だったみたいに、すぐになじんだ。


「いい香りですね。さわやかで」


「ふふ。わたしは、いつもの奏乃ちゃんの匂いも好きだけどね」


「先輩も、つけてみますか? きんもくせいのコロン」


 いいの、と瞳を輝かせる。


 ベッドボードの棚の上に置いてある、小さい水色のびんをつまむ。本当は違う容器に入っているけど、お気に入りだからいつも移し替えて使っていた。


「つけ方、分かります?」


 先輩は首を振る。先輩から香水やコロンの香りがしたことはないから、たぶんつけたことないんだろう。先輩のからだからは、いつもシャンプーと柔軟剤の匂いがしていた。


 白くて細っこい手首にうすく吹きかける。あたしが言うとおり、先輩は手首にコロンを伸ばした。


 コロンを塗ったところを鼻に近づけて、彼女はにへっと笑う。


「あ、そうだ」


 先輩は立ち上がって、制定品のバッグをあさりはじめた。きんもくせいの残り香がする。先輩は、いつもあたしからこんな匂いを感じていたんだろうか。あったあった、ときっぷくらいの大きさの紙を手にして戻ってくる。


 受け取ったそのピンクの紙には、シンプルなデザインで「高等部2-1 Rapunzel」と印刷してあった。前売り──というか、優先入場券、みたいなものかな。


「けっこう恥ずかしいけど、約束だから」


 夏休みの初めのほうに、交換するっていう約束をしたのだ。もちろん忘れてたわけじゃない。あたしも先輩の分の前売りをずっとカバンの奥に忍ばせたままだった。ちょっと渡しづらかったのだ。先輩、お化け屋敷苦手みたいだったし。


「無理しなくていいですよ」


 あたしもカバンから黒い紙切れを出して、手渡した。こっちも負けず劣らず乏しいデザインで、「高等部1-4 Thriller House」と書いてある。


 先輩はむっとして言い返してくる。


「無理はしないよ、べつに。奏乃ちゃんいつお化け役するの?」


「九時から十二時です」


「わかった。ちゃんと行くからね」


 念を押すようにそう言った。そんなに言うなら、あたしも精いっぱいおどかすまでだ。変な悲鳴をあげたりしたら、それでまたいじってあげられる。


「奏乃ちゃんは、もう誰と一緒にまわるとか、決めた?」


 そういえば、文化祭も誰かと一緒にまわるってことができるイベントなんだった。模擬店で適当に何か買って食べることしか考えてなかったから、そういう考え方がすっぽり抜け落ちてしまっていた。


「決めてないです」


「じゃあ、一緒にまわらない? 午後とか、時間ある?」


 あたしが身構えていた言葉を、先輩は簡単に口にした。そうやって、先輩があたしを同じクラスの友達みたいに扱ってくれるのは、うれしい。


「いいですよー」


 あたしのシフトが終わる時間に、先輩に迎えに来てもらうことになった。文化祭の出し物は、模擬店のほかにも、いろいろある。


 星花祭、楽しみだね。先輩は、にこにこしながら言った。そうですね、と答えた。あたしは、いま楽しみになったとこだ。


 自分のクラスの出し物がお化け屋敷だったことを、少しだけ悔やんだ。先輩とお化け屋敷に入ることができなくなってしまうから。

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