002 桜ヶ丘結奈2
わたしの通う私立星花女子高校には、星花祭と呼ばれる文化祭がある。学園の多くの生徒にとっては一大イベントだ。もちろん、それはわたしにとっても例外ではない――いや、わたしたちにはひとしおだった。高校二年生が文化祭の主役なのだから。高三は受験だなんだで「お祭りだー」なんてのんきに構えていられないし。
クラスや部活、人によっては有志の企画まで準備がある。夏休みにもかかわらず、校舎にはちらほら人影が見えた。まだ一カ月以上あるとはいえ、みんな忙しそうだ。
昇降口の掲示板には、味気のない事務連絡のコピー用紙に混じって、色鮮やかな映画やコンサートのちらしが目立つ。わたしのクラスは何をすることになるのかな。去年は確か……メイド喫茶だった。できれば、もう思い出したくない。
教室のドアを開ける。一斉にわたしのほうに目が向いた。ところどころ空席はあるものの、いつもの授業のときみたいに、ほとんどのクラスメイトが自分の席についていた。え、なになに。
「桜ヶ丘さん、遅刻ね」
いいんちょが教壇の上に立っていた。黒板にはすでにいくつかのアイデアが並んでいる。ちらっと時計を確認すると、一時を少しだけ回っていた。急いだつもりだったのに、ダメだったかぁ……。
「ご、ごめん……」
「罰として、何か一つアイデアを出しなさい」
「えー……いいんちょ、厳しいー」
クラスから笑いがこぼれる。
黒板には、メイド喫茶、劇、たこ焼き屋、などなど当たり障りのないアイデアが並んでいる。メイド喫茶は当たり障りありまくりだけど。去年の惨状を知ってなおメイド喫茶を推す人がいるとは。このクラス、恐ろしい。
「えーっと、映画とか?」
「……意外とまともね」
「まともじゃないの期待してたの!?」
ひどい。わたしはいつだってまともだ。
「ちなみに何の?」
「な、なんのって……」
そこまで考えてなかった。もしここでオリジナル、とか言っちゃったら、脚本とかやらされるかもしれない。
「何かの童話とかだと、一から考えなくていいんじゃない?」
「何の童話よ」
「うぅ……」
うーん……。シンデレラとかは高校生の文化祭でやるようなものでもないし……。
「あ、ラプンツェルとか! 映画もやってたし」
ラプンツェルはグリム童話の中では有名じゃないけど、だからこそ向いているかもしれない。我ながら当意即妙というか、ナイスアイデアだ。ふふん、と自信ありげに言うと、いいんちょも納得してくれた。
「なるほど……。桜ヶ丘さん、戻っていいわ。ほかに何かある?」
それから、お化け屋敷とか、休憩所とか、いろんな意見が出て、結局投票になった。わたしは言い出しっぺな手前、ラプンツェルの映画に手を挙げる。
それでまあ。
「投票の結果、高等部二年一組は映画をやることになりました。異議があるひとは?」
どういうわけか、そうなってしまった。
……で、ラプンツェルってどんな話?
***
映画のおかげで知名度は上がったとはいえ、シンデレラや白雪姫と違って『ラプンツェル』はみんなが知ってるような童話じゃなかった。……わたしも知らないんだけど。日本人の三割しか知らないかもしれない。
というわけで、コピーされた『ラプンツェル』が手元に配られる。いいんちょが図書館まで行って、全員の分を印刷して帰ってきた。すごい熱意だ。
子供向けの童話ということもあって、そう長くはない。あらすじだけならプリント一枚の半分に収まるくらい。
「読み終わったわね。まずは脚本が必要ね……。やってくれるひとはいるかしら」
ちらっといいんちょの視線を感じたけど、プリントに目を落として気づかなかったふりをする。わたしに頼ろうったってだめだからね。わたしは放送部もやらなきゃなので、忙しいのです。
「はいはいはーい! 私やる!」
………。
クラスに沈黙が舞い降りる。
「……いるかしら?」
いいんちょが何事もなかったかのように会議を続行した。
「なんで無視するの!?」
「いや、あんたに書けるの?」
わたしも莉亜ちゃんに脚本を任せるのは一抹の不安を禁じ得ない。いいんちょもそうだし、たぶんクラスメイトもだいたいそう思っているだろう。莉亜ちゃんっていうのは、そういう子だ。
「か、書けるよ! セリフを書けばいいんでしょ?」
世の脚本家さんを怒らせるような大胆発言をする莉亜ちゃん。
「まあ今回に限っては、そうともいえるけど……。ほんとにほかにやりたいひといない?」
残念ながら。
「……わかったわ、栗橋さんだけじゃ不安だから、あたしも手伝う。みんな、それでいい?」
さんせー、と口々に言う。まあ、いいんちょがついていてくれるなら心配はないと思う。それに、もうストーリーはあるから、取り返しのつかないようなことにはならないだろう。
「じゃあ、来週の月曜までに脚本をLINEに上げておくわ。次は配役と係を決めるから、そのつもりで」
はーい。まあ、わたしはどの配役につくつもりもないけどね。衣装係があったら、それでお願いしよう。
今日はもう解散みたいだ。早く桜花寮に帰ろう。鞄をひっつかむと、莉亜ちゃんに呼び止められた。
「あ、ゆなっち。この後どこかいかない?」
「あー……」
ごめん、今日は奏乃ちゃんとごはん食べる約束してるの、と謝ろうとしたけど、その必要はなかった。
「くーりーはーしーさーん?」
「ひぃぃ!?」
いいんちょの圧を背中に感じたのか、莉亜ちゃんがひきつった声を出す。……もしかしたら、いまから彼女には執筆地獄が待っているのかもしれない。まあ、彼女が言い出したことだし……。
「莉亜ちゃん、がんばってね!」
「み、見捨てないでー! ゆなっちー!」
悲痛な叫びを聞きながら、わたしは振り返らず515号室に向かうのだった。